せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年04月04日(月) ゆっくりおやすみキャロル

中々逝かないで、未練がましいじいさんだ、なんて悪態を付いているうちに、とうとう逝ってしまいましたね、ポープ(Pope)。日本的には、「教皇またはローマ法王、ヨハネパウロ二世」という人。

「キャロル(Karol Wojtyla)」っていうのが、本名なんですって。可愛い名前。

(そうそう、キャロルと言えば、その昔ワタシは「舘ひろし」という人が好きでしたよ。時代を感じますね。) (きっと彼も今頃は、一寸見ない間にとんでもねぇ相当のじじい年配の方になってるのでしょう。残念ですが、夢が壊れます。)

(あ、ちなみにうちの地方では「キャロル」と読むけれど、多分地元では「カロル」と呼ばれていると思う。波蘭にお住まいの読者の方がいたらお知らせください。)


ワタシ個人的には、ここ暫く続いていた「デス・ワッチ(Death Watches)」に収拾が付いたので、よかったよかった、これで人々は尋常な人間性を取り戻せる、と一安心しているのだけれど、この機会に各メディアでは「カソリック特集」というか「明日のキリスト教特集」というか、何しろ今後のキリスト教会のあり方とかカソリックの課題などに付いて、色々と解説を載せ始めているので、どれワタシもひとつ、 記憶の中で殆ど霞と化している例の「長編小説」の話と共にそれらに目を通し、この件に付いてじっくり考えてみようではないか、などと思っているところである。

ところがこの週末はまたヴォランティアワークをしに出掛けたので、そして今日は久方ぶりにヨガレッスンに行って来てすっかり疲れ果ててしまったので、残念ながら今のところ深いお勉強の時間が取れないでいる。

しかしそうやってワタシがもたもたしているうちに、 モモリーネさんちの日記にこの件が詳しく述べられているので、勝手にご紹介する事にする。とても分かりやすく書かれているので、ワタシなどが口幅ったくあれやこれやとやるより話が早いと思う次第である。

モモさん、もしこれを見ていたら、ブログまがいにリンクしてしまいましたよ!



さて、明日のポープは誰だ?というのが、巷の人々(主にキリスト教徒と宗教学者や政治学者)の話題になっている訳だけれども、それはここ数日内に決定を見て、「黒い煙」から「白い煙」となって知らされるそうなので、請うご期待。

ついでに、ポープの葬式当日にチャールズとカミラが本当に結婚式を挙げる気でいるのかについても、請うご期待。(*と書いた後に、「挙式は九日に延期」というニュースが入って来る。今週忙しいな、チャールズ。)

(八日はちなみにエクリプス(日食)だけど、いいのかな。そもそもこの日を結婚式に選ぶとは、随分呪われたカップルだと思っていたけれど、葬式がこの日なんて、棺桶ひっくり返ったりしそうで、何だか嫌なものを見せられそうな予感である。)



ところでワタシは最近まで知らなかったのだけれど、カソリシズムというのはラテンアメリカとかアフリカなどを中心に、ヨハネパウロ二世時代にまた随分と信者を増やしたのだそうである。

プロテスタントでなくカソリック・・・

それも彼の精力的な巡業の故だろうか。

今や 全世界の17パーセントがカソリック教徒なんですって。そして 全世界のカソリックのうち三分の二は発展途上国の住民ですってよ、奥さん。

ワタシにはどうも、その昔「黒い人」とか言って蔑んでおいて今更何さ、という辺りの矛盾が気になるのだけれども、信者獲得の為にはこの際、細かい事は言っていられないのだろう。何事にも本音と建前というものがあるからね。

それで例えばメキシコ、ブラジル、ナイジェリアなどの有力なカソリック国から次のポープを選出するとなると、それはつまりカソリック教会が所謂「第三世界」問題を重視するという意思表示であり、つまりローマ・カソリック教会は最早欧州だけのものではない、という明確なメッセージにもなる、という話である。

これはEU加盟を目指すトルコなんかにしてみると、中々上手い展開ではないかと思う。何しろ西欧諸国が「人権問題」の所為だとか言って(つまりそれを何とかしたら入れてあげてもいいよと言って)いる脇で、ヴァティカンがしつこく「あれは欧州じゃないから」と言い続けていたお陰で、トルコはいつまでもEUの恩恵に与かれないでいた訳だから、「目の上のたんこぶ」というのはまさにこの事だろう。

(尤も、現代の欧州が言い難い事をヴァティカンがはっきり言ってくれた、という見方もあるかも知れないが。)

もしくは、これまでの例に倣ってイタリア人にポープを戻すとか、西欧や北米から選出する(亜米利加からというのは九分九厘有り得ない話だけれども)とすれば、それはこれらの西洋先進国の人々を「資本主義的物質主義」から解放して「キリスト教的モラル」に立ち戻らせる、という意図と解釈されるそうである。

西欧資本主義の起源とプロテスタンティズムは大いに関連があるので、これはつまりカソリック教会内部から、価値観や理論の再構築により多くの力を注いで行く方針、という意味である。

今後教会としてこの路線を重視するという事になれば、ヨハネパウロ二世時代以上の保守化の波がやって来る訳で、中絶その他の家族計画やらホモセクシュアリティ、安楽死、女性の聖職授任などは何が何でもダメ!という事で、これまで以上に活発な反対運動なども行われるかも知れない。

(ならばオーソリティ溢れる神父様が、いたいけな少年たちを次々と犯して来た事実は、どう説明してくれるのでしょうね。)

まああとは、年齢の問題が上げられていて、例えばヨハネパウロ二世の様に若いうちから教皇にしてしまうと、長々とその地位に居座られてしまうので、次はもう少し「じじい」にしたいという意向があるらしい。そうすると七十代半ば以降というのが好ましいそうで(何だか嫌な言い方だな・・・)、それ以下のは却下という事になる。

しかしまた、それと同じくらい若返りを望む声もあるそうで、この辺りは教会がどういった問題に焦点を当てていくかに掛かって来るのだろう。



そういった諸事情を考慮に入れると数人の候補が居るそうだけれども、しかしこれだけ政治的なポープの後釜は、中々見当たらないだろうよと思う。一宗教人がこれだけ政治に口を挟んで、彼是と意見を言って来た例は、他にそうないだろう。

尤も世の中には、一宗教人がアンスラックスなんかを作り出して、地下鉄にばら撒いたりなんかする例もある。これはまあ「テロリスト行為」であって、「政治行為」とは言わないのだけれど。

そう、参加すれば良いのにね。自ら意見を表明する事で、一宗教人だって政治に参加する事が出来るのだから。(・・・そういえば、一応参加してましたね。)

そういう意味では、ヨハネパウロ二世という人は、宗教人というより「政治人」と呼んで良いだろう。実際自分とこの信徒が過去に犯したミステイクをちゃんと認めたりして、筋は通したところもあるのだから、中々侮れないじいさんであった事は確かである。

また彼方此方へ出掛けて若者たちと関わるのが好きだったとの事だけれど、それも不届きな神父様のようなのとは違って、若かりし頃の自らの地下組織的宗教団での経験を重ね合わせての事だろう(と信じる事にする)から、辛い戦争体験を潜り抜けた心根の若いじいさんならではの所業とも言えるだろう。

またそれは、彼方此方から苛められ続けた波蘭人ならではの、この人の政治信条の所以でもあるだろう。



兎に角、貴方の時代は一先ず終わったから、ゆっくり静かにおやすみキャロル。

後の事は若い者に任しとき。


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