せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年03月29日(火) 昨日の続き - 宗教と殆ど宗教のような「平和主義」という観念

昨日の日記を書いたら、エンピツさんから長すぎて載せられないと苦情が来たので、切り取った部分を今日の日記とする。よって、以下は続きである。


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ワタシはこれまで培った知識を総合すると、基本的には反キリスト教である。

と言っても、無知なる善意のキリスト教徒それぞれに対して憎んでいるとかいう意味ではなくて、これまでの歴史の中でキリスト教徒が行ってきた様々な悪行に対して不信感を持っていて、またある国の指導者が偶々中でも特に過激なキリスト者であるという事実を鑑みるに付け、尚更この宗教の恐ろしさというか宗教的盲人の成せる業というものに対する危機感というようなものを切実に感じている、という意味である。

それで、ワタシにとってはひとつの長編小説でしかない、ある戦闘地域で存亡の危機にある人民を取り纏める必要に駆られた為政者が、文才のある人物に書かせた、政治的に重要な一事業である「聖書編纂」というものについて、この機会に改めてまた考えさせられた。

科学の時代を経ても、今猶先進国で信じられ続けている宗教というもの。

理解不能な事象を、例えば「魔女狩り」に於いての残虐行為に見られるように、科学的に解明する事無く一律に葬り去った長い「無知の時代」を経ても、まだ生き残っている宗教というもの。

尤も、人の心の迷いというものは中々解決が着かないし、そういう混乱の中に居る人々は何処でも、何時の時代でも存在するだろう。

しかし、例えば心理学という学問で、または医学という学問で、相当の範囲の事は説明が付く様になっているこの時代に、それでもまだ説明が付かないもの、つまり「真理」というもの、または死を恐れるという事、これらは未だ健在なのだろう。


よく戦争が起こる度、人間は未だ歴史から学んでいないのか、などと訳知り顔で言う人がいる。

ニホンジンに多いから、多分「平和主義」教育とやらが根付いた証拠だろうと思う。批判的思考を教わらない国民というのは、なんとコントロールし易いのだろう。

ワタシはそういう事を恥ずかしげも無く言える人に対して、それでは貴方は何か学んだつもりでいるのですかと聞いてみたい。一体この世の中の何を知っていると言うのですか。余所の国の大軍隊に守られながら、温室の中で平和を語る事に疑問を感じませんか。戦争で負けた途端に日本は「平和主義」を受け入れる心の準備が出来たのだと、本当に信じているのですか。

同様に、この時代にキリスト教というものを信じる人々にも聞いてみたい。これまでキリスト者が世界的に、また地域社会に対して行ってきた悪行の数々、例えば正義や真理の追及という名目での侵略戦争や「ミッショナリー」という名の文化侵略行為などについて、それを正当化するだけの理論的説明をお持ちですか。そういう人々に加担する事に付いて、良心の呵責というのは感じませんか。



ちなみに後者の質問に付いては、以前生まれつきでないキリスト教改宗者にはぶつけてみた事がある。でも誰も理論的説明はしてくれなかったから、恐らく出来ないのだろうと思っている。


もし我こそはまともな説明が出来るという人がいたら、是非お知らせ下さい。


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