せらび c'est la vie |目次|昨日|翌日|
みぃ
先日は同僚と話をする機会があって、これは思いがけず精神衛生上大変良い効果をもたらし、お陰で今日のワタシは一寸落ち着いている。 目の前に立ちはだかる難問が、決してワタシひとりを苦しめている訳では無いという、ある意味当たり前なのだが、しかし引き篭もって作業に没頭しているうちにすっかり忘れていた事実に思い至る。そうかワタシもまた皆と同様、普通の人間であったのだ、と安堵する。 特に近頃ワタシたちの周囲を賑わせている 情報部門の新部長推挙に関する話題では、ワタシひとりの懸念かと思って控えめに言った事が、実は同様の事を心配している関係者が上層部にいる、という情報を得て、ああこれはまた一悶着起こりそうだなと、何やらキナ臭い事情を垣間見る。「とばっちり」さえなければ、個人的にはどうでも良い事ではある。 ゴシップと言ってしまえばそれまでだが、しかし情報交換というのは実際身を助ける事も多いから、やれる時にやっておくが良いに越した事はないと、改めて思う。 ところでワタシの住処の南方の空には、飛行機の航路があって、台所の窓からお湯を沸かす間などに外を眺めると、着陸態勢もしくは「魔の七分間」(だったか十一分間だったか十三分間だったか)に入ったと見られる飛行機が、徐々に高度を下げ、みるみる下降していく様が間近に見られる。 そしてそれが間も無く家々によって視界を外れ、恐らく無事に着陸したと思われる頃になると、ワタシは誰だか知らない乗客の皆さんに向かって「お帰り」と呟くのが、なんとなく習慣になっている。 きっと機内でも乗務員の誰だかがそう言っているのだろうし、また税関の気難しそうな担当官も、眼鏡越しに色々の書類を睨み付けたり、病気を持ち込んでいないかとか酒は何本入っているのだなどの厳重な質問という、一通りの関門を越えた後には、打って変わった笑顔でそう言ってくれたりするのだろう。 しかしワタシは、やはり飛行機が好きである。 本当の事を言うと、物理学がもっと出来たら操縦士になりたいと思っていたくらいで、昔は裸眼で良く見えたし虫歯も無かったし、それはひょっとすると何とかなりそうな夢にも思われた頃があった。今となっては、そのどれも無くして、全く適わない夢ではあるけれども、それでも飛行機にはなんだか思い入れがあるのである。 ここにはまだ少し、近頃の逃避思考が残っているのが伺える。 それに、何しろここはワタシの第二の祖国のようなものなので、「お帰り」と言われた時の感慨といったら無かった。 という事を覚えているからでもある。 そんな事を思いながら、昨日の残りのタイ風カレーをいざ片付けんとす。 しかしココナッツミルクの所為か、結構ボリュームがあって、一皿食べきらないうちに満腹になる。明日もまた残り物を食べる羽目になりそうである。 ところでうんこというのは、沢山すると自然に渦巻き状態になるのですね。 という事を今日発見した。 物の本によると、西洋のある国でトイレに腰掛けてする成人男性とアフリカやインドなどで野にしゃがんでする成人男性とで比べた場合、うんこの質と量に大いなる差があるそうである。 これには食べ物の質的な違いの所為もあるのだが、西洋的食事で繊維質が少なく長時間腸内に滞在していたうんこは、概して少なく硬く重たいのに比べ、豆や穀類や野菜などの繊維質を多く含む食事をして比較的短時間で消化・排出されたうんこは、嵩が多い割りにふかふかと軽いそうである。また体内に長時間あればある程、悪臭も強烈という。 そして野でスクワットした場合には、「渦巻き」確立が高いとも書かれていた。これはその方が力が入り易いので、出すべき物をすっかり出し易いとの事である。 しかし、ワタシの現在のトイレ事情は勿論スクワット状態ではないのだが、それでも立派な渦巻きが出来る事がある、というのが、この度の新発見である。 ワタシは余り肉食ではないので、普段の食事で何らかの肉片(ハムとかベーコンとか、または塊肉の一部)を食べるのは、二三日に一度という頻度であるから、全体の割合としては穀類が圧倒的に主である。野菜も心掛けるけれど中々追いつかないが、その代わり水分は良く取っているから、恐らくその辺りがワタシの便通事情に貢献していると思われる。(この手のうんこの話は、散々しましたね・・・) しかし、穀類をある程度量を食べると、それに伴って随分大量に出るので、そうすると出し切るまでの間健康的なうんこは殆ど切れずに、便器内の形状に収まるような渦巻きが形成される、という事のようである。 ええ、つまり先日大食いをしたのです。代謝が良くてよかった。若いって素晴らしい。
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