せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年03月01日(火) 大雪の中、良かった事幾つか

日曜。

今日は歯医者へ行って、臨時収入があった。

そう言うと妙だけれど、まだ訓練中の学生が地方自治体の資格試験を受けるので、その為に日曜に出掛けて来てくれる虫歯持ちを探していて、あるときたまたまワタシの前歯の裏に小さな小さな、X線写真でなければ分からない程度のやつを発見したのである。

そしてそのお出ましに、日本円にして二万円相当をくれると言うのだから、貧乏なワタシは一も二も無く引き受けた。こんな痛くも痒くもないものの為におカネをくれるなんて、神はワタシを見放さなかった!と臨時信者になる。

その学生ドクターは中々のジェントルマンで、若しくは過剰に女を女扱いする輩という言い方もあるかも知れないが、しかし久し振りに若いオトコに丁寧な扱いを受けると、これは中々気分が良い。


それで得た金を手に、帰り道日本の本屋へ出掛ける。そこで前から欲しかったワタシのアイドル、林芙美子の本をふたつ買い求めた。

と言っても「放浪記」しか読んだ事がないし、日本で美少年好みの老女がやっているという芝居の方も観た事は無いけれど、専らその一冊きりの本を何度も繰り返し読んでいるのである。貧乏で旅好き、というのがワタシとそっくりで、大変好感が持てる。

今日は彼女の紀行文を集めたのを二冊買ったのだが、その中で、とても信じられない偶然を発見した。

それは、彼女が「放浪記」の印税で洋行した際、初めて巴里で滞在したのは「おてるでりおん」だというのである。それは巴里市の南方の広場に面したホテルなのだが、実はワタシにとっても、初めて巴里で泊まった思い出深い場所だったのである。

そこは確か、二つばかし星が付いていた。朝食の色々なパンがとても美味しくて、それとココアと、少しのチーズとマーマレードと、これまた美味しいバターが付いていて、日頃朝食すら摂らなかったワタシが、毎朝すっかり巴里っ子気取りで、大変気分良く過ごしていたのを覚えている。

交通の便も良くて、ただ二度目以降は流石に自腹で二つも星の付いた宿には泊まれなくなってしまったけれど、しかしとても行き届いた良い宿なので、もしまた巴里に行く事があったら是非又あすこへ泊まりたいと懐かしく思って居るくらいである。

昭和の戦中期にある作家が滞在したホテルに、平成初期に何者でもないワタシという人間が滞在した。

思いがけない接点を発見して、一寸気分が良い今日のワタシ。


おお、そういえばこの間、満月付近でうつうつさめざめとしていた頃の事だけれど、同様にして、以前好きだったある 写真家のウェブサイトを偶然発見して、思わずファンレター(メール)を出してしまった。

これも旅の本がらみの話なのだけれど、今から十数年前、ワタシがまだ大学に入る前のうら若き乙女だった頃、当時出たばかりの、黒くて細長い、わら半紙のような安っぽい紙に印刷された旅行本があった。

これのお陰で、それ以降のワタシは放浪する旅娘になってしまったと思われるのだが、その中に著者と同行した写真家が空港で万歳をしている写真があった。

髭面のおじさんの隣で、一寸だけ微笑んでいるその人を見て、ああなんて可愛らしいのかしら、こんな人と知り合えたらいいのに、などとときめいていたワタシは、それから数年経って、留学先で手にしたまた別の本の中に、当時の旅程を再現した旅の最後に映っている同様の万歳写真を発見して、更に又可愛らしくなっているその人に身もだえしながら、しかし彼は最初の世界一周旅行時に紐育でおにぎりを差し入れてくれた女性と結婚して、今ではお子様もいらっしゃる、という記述を発見して、俄かに衝撃を受ける。

それでその写真家獲得作戦はすっかり諦めてしまったのだけれど、最近偶々ネットサーフィン又の名を現実逃避行動をしているうち、偶然サイトを発見して、懐かしさがこみ上げた、という次第である。

サイトで見る麗しの君は、流石に一寸年輪を感じさせるものの、なにやら懐かしい青春時代を(勝手ながら)思い起こさせるのには違いなく、また当時のワタシが目指していたものを、配偶者以外にも既に手に入れている彼の活躍振りなどを、こうして身近に見られるというのも、中々感慨深いものである。

意外な偶然がこのところ続いていて、人生満更捨てた物ではないなと思い直す。試練の中で、時折そういうご褒美をくれたりするのが、人生というものなのかも知れない。そういう小さなご褒美的出来事が、殺伐としたワタシの生活に灯りを燈す。


月曜。

このあいだの満月期は、随分きつかった。あれは魚座の太陽と真反対の乙女座の月だったが、きっとワタシの諸々の星の位置との角度が丁度悪かったのだろう。

それに加えて、ケイローン(Chiron)という惑星(小惑星?)が山羊座から水瓶座に入ってきた。これは賊に「癒しの星」などと呼ばれていて、過去の癒えていない傷に気づきを与えたり癒したりする星だそうである。満月期にかち合うと、その影響が大きくなるので、場合によっては傷口に塩を刷り込んだりもするかも知れない。

何しろ、その時期が過ぎたら随分落ち着いてきたから、助かった。まるで予定外のPMSみたいで、ワタシも吃驚した。


そうしてまた作業に戻って、あれやこれやの資料の山に埋もれながらうんうん唸っていたら、先日思い余って二通も手紙を書いた大先輩から国際電話が掛かってきた。

思いがけない電話で、そう、電話自体最近では余り掛かって来ないから、それも思いがけないけれども、兎に角吃驚したが、彼女は大変元気そうで、よかった。

ここ数年は、母校で再び非常勤をしていると言う。特に短大の方のプログラム改変でワタシが今いる分野も視野に入っているから、帰ってきたらやる事はあるのだから、そちらで行き詰まっても心配するなと言ってくれた。

そうか、日本に帰るのか。

これまであんまり長居し過ぎて、日本に帰るという事に付いて深く考えてみた事が無かったけれど、そう言われてみればワタシはここでは一外国人に過ぎない訳で、毎年税金は取り立てられていても選挙権を得る事は一生無いだろうという、割の合わない暮らしである。母国の方が待遇が良いのは当たり前ではある。

いや、しかし、彼女と長々と(国際)電話をして、色々と話を聞いていたら、日本はワタシが知っていたよりも、更なる右傾化が進んでいるようである。待遇が良い筈は無い。

事に、女性は閉経後は勿論、結婚していても子供を産み育てないなら、社会にとって無用の長物だなどと言う不届きな男がいて、お陰で日本の女性たちは「勝ち組」か「負け組」かという、如何にも薄っぺらい日本らしい尺度だけれど、そのどちらかに括られて、それが不必要に「結婚願望」を煽っているという。

この二十一世紀の時代に、なんという逆行現象。なんという時代錯誤。そして、なんと恥ずかしげも無い、ひ弱な男たちの危機感の垂れ流し。

仏蘭西なんて、出生率増えているというのに。しかも籍入れないカップルだって多いのに。


学校から変えていかなくてはならない、女性が変わっていかなくてはならない、と彼女は言う。

ワタシもそれの一端を日本で担うのかと思うと、気が遠くなりそうである。

これらの保守化、右傾化というのは、八十年代から現在に至るまっしぐらな路線ではあるけれども、これは所謂戦後の五十五年体制というのに端を発していて、しかし実際のところは戦争で負けた事による変化などというのとは全く関係なくて、戦前から一貫して続いている話である。

これと、日本の法体制の中での「人権」とか「民主主義」とかいう欧米観念の受け止められ方などの調べ物をした時、ワタシはやり終えないうちから既に、浮かび上がってきた結論にすっかり打ちのめされ、もう日本はいいやと匙を投げたのである。当分帰る事も無いだろうし、と知らん振りを決め込んだ。

それより自分のシアワセの事を考えていたい、というのが、うら若き夢見る未婚女性としての本音である。

全体主義の国になんか、住みたくない。

でも、そこに住んでいる人もいるんだよな。

・・・


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