せらび c'est la vie |目次|昨日|翌日|
みぃ
毎週水曜日になると、子供を寝かしつけた後、夫婦は二人きりで食事に出掛ける。本来この国では、ベビーシッター等の監督者無しにある一定の年齢未満の子供だけで放置するのは、法律で禁じられているのだが、シッターを雇うのをケチっているのか、全く意に介さない様子だった。 同居し始めて間もなくの頃、ワタシも水曜の食事に誘われた。それでは誰かが子供を見ていないといけませんねと言ったのだが、すると、いやどうせ大人しく寝ているから大丈夫、などと言って取り合わない。通報しないでねと口止めされたので、これまで公にはしなかったけれど、ワタシも何度か誘われるうちニ三度一緒に出掛けた事があって、なんだか幼児虐待に加担しているようで大いに気が引けた。 ある時彼らがそうやって出掛けて帰って来た頃、偶然子供がニ三度咳き込んだらしい。ワタシは隣室に居て、それまで特に物音も聞かなかったから、ずっと静かに眠っていたのだろうし、またその日は特に風邪気味という様子でもなかった。しかしその咳き込んだのを見た父親が、風邪かな、薬を飲ませてやるといい、と言うので、母親が子供をわざわざ起こして薬を飲ませたそうだ。 そうしたら、半時間もしないうちに子供がみるみる具合を悪くして、げぼげぼと吐き出した。夜通しわんわん泣いて、げろげろとやるから、それはもう大変な騒ぎであった。ワタシなどはとうとう幼児虐待でも起こったかと不安になり、トイレに行く振りをしながら隣室の前で物音を確認してみたりしたものだ。 そのうち未明になって彼らが出て来たので、いったいどうしたのですかと聞いたら、事の次第を教えてくれたが、ワタシはこの医者である筈の父親に対して、一体どういう藪医者振りだろうかと、忽ち怒りがこみ上げた。 そんな事があったので、ワタシは「リサーチドクター」という、実践経験の無い医者という人々の言う事を、余り信用しない事にしている。 話が逸れたけれど、そういう訳でこの家では、朝の子供の世話以外の事は、結局全て奥さんがこなしていた。このダンナより十五ばかり年の若い奥さんというのは、フルタイムの仕事を持ちながら、パートタイムでフリーランスの仕事も取って来て、そして更に母親業に家事も殆ど一人で手掛けていた。 更に良く見てみると、彼女は四十幾つになろうかという自分のダンナの「母親」の役目もこなしていたのだ。 ある時奴は、いつものようにさっさと酔っ払うと、憎々しげにワタシにこう言った。 女は子供が出来ると、変わるね! 何の事やらと不審に思いつつ、そうですかとワタシは聞き流した。 すると奴は間髪を入れずにこう続ける。 女はね、全ての女っていうのはね、子供を生むと全然変わっちゃうんだよ! 恰も大発見でもしたかのような口振りに、ワタシは堪らず笑い出した。しかし奴は真顔で続ける。 俺はね、知ってるんだよ。前の女房もそうだったけど、今のもそうだね。どの女もそうだ。子供が出来た途端に、女はころっと変わっちまうんだよ! 奴曰く、前妻とは必ずしも結婚する予定ではなかったそうだ。 ある時婦人科系の疾患のある彼女に治療を受けさせる為、自分の配偶者として保険で賄ってはどうかという話になって、便宜上入籍をする事にした。子供は恐らく出来ないだろうと言っていたのに、籍を入れた途端妊娠した事が分かった。彼女は、これが最後の機会かも知れないから是非産んで育てたい、と言って聞かないから、仕方なく同意した。そうしたら、彼女はすっかり「変わってしまった」のだ。 それで彼女と暮らしていくのが段々嫌になり、家に帰らず飲み屋を梯子したりしているうちに若い女と知り合ったので、別れて再婚した。しかしこの新しい妻もまた、子供が出来た途端「変わってしまった」のだ。 これを翻訳すると、以下のようになる。 女が母親になった時、彼女は必然的に女から母親へと成長していく。それは彼女自身が、その新たな人生の試練に対応していかなければ、乳飲み子の面倒を見る人は他に誰もいないからである。子供の誕生と同時に、それまで成長した大人の男であるダンナに向けられていた関心は、当然ながら子供の方へ多くが向けられてしまう。しかしこの男は、それが俺は気に入らない、女が俺に対する愛情や関心を失ってしまうのは許さない、と言っているのである。 こいつは、いい歳をして随分情緒不安定だな、と思われた。そしていつまでも子供のままで居たいなんて、気持ちの悪い野郎だ。いい加減父親に、そして大人の男になるべく、成長したらどうだろう。しかも同じ事をもう二度も経験したというのに、失敗から何も学んでいないのだから、相当重症である。 ワタシは奴を放っておくことにした。四十を過ぎたコドモの男に周りがどんな説教をしようとも、そう聞く耳もないだろう。こういうのは一生こうやってほざいているのに違いない。母親の愛情を充分貰わないで大きくなると、こうやって自分の子供にまで嫉妬して、妻にすら怨念を募らせるのだ。全く教科書通りのサンプルである。 ワタシは初めのうち、同居人としてお互いを知り合う為にもと思って、交流を持つ機会を作る様心掛けていた。だからこの夫婦が夕食を一緒にいかがと誘ってくれれば、どうぞワタシの事はお構いなくと一応は断るものの、何度も勧められたら無下に断るのもどうかと思って、それではとご馳走になっていた。 そしてそれが度々続いたので、それが負担になってはいけないから、本当にどうぞお構いなくと言ったのだが、いやそんな事は気にするなと言うので、心苦しいながらもご馳走になり続けていた。 そこで週末などには、例えばカレーだとかパスタだとかを大鍋に作っては、さあ沢山作ったからご一緒にいかがですかと薦めて、出来るだけ「お返し」をするようにしていた。実際「借り」があるような気分だから、正直言ってこちらとしても負担だった。 しかしそれもひょっとすると、奴の長男としての責任感だとか情緒不安定の所為で、ワタシに「貸し」を作る事で奴なりに満足していたのかも知れない。もっと言えば、お前は俺に「借り」があるのだから、晩酌の時に俺の愚痴を黙って聞かなくてはならない、とか俺に関心を払わなくてはならない、とでもいうような、歪んだ優越感を感じていたのかも知れない。 というのも、ワタシが借りを返すと決まって、「いやそんなことをして貰う訳にはいかないだろう」などと言っては、更にワタシにご馳走してくれようとするのである。しかしこれでは、奴は良くても、結局奥さんの負担が増すばかりであった。 実際、後に怒鳴りあいになった晩に、やはり毎度食事に招待するのは負担だったと言われたのだから、それ見たことかという気分である。 その晩は珍しく奥さんもまだ食卓に付いていた。 つづく。
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