せらび c'est la vie |目次|昨日|翌日|
みぃ
実際同居人になってみると、奴は本当にうんざりする程、愚痴の多い男だった。 大して酒に強くも無いのに毎日晩酌をしては、例の教育熱心で厳しい母親がどれほど自分を認めてくれなかったかとか、三人兄弟の長男としてどれほど自分が犠牲を払ってきたかとか、普段付き合いのあるニホンジンの若者たち(例えば某生臭)の軟弱振りは甚だしい等々、あれやこれやと愚痴を垂れ始め、それは止め処が無かった。放って置いたら、一晩中そんな繰言を続けていた。 要するに、奴は「同居人」というより、晩酌の相手をしてくれる若い二ホンジン女性が欲しかっただけなのである。「酌女」または「ホステス」。そういう事をヴォランティアでやってくれと言って理解する女性は、ニホンジンは兎も角、非二ホンジンでは中々いないだろう。「バーテンダー」だって、金を貰うからこそ、黙って酔客の愚痴も聞いてくれるのである。 そもそも「同居人」の定義は、「無償心理カウンセラー」とか「心理的ゴミ箱」ではないのだから、そういう事を当てにするのは土台から間違いではある。お互いの領域に踏み込まないのが、他人同士の同居の大前提である。 実際、「同居人募集」とメールが来た時点で、条件が奇妙だという事については、気付いていた。 それには「若い独身の二ホンジン女性限定」である事が明記されていた。奴はそれを、子供が小さいから若い女性の方が良いだとか、日本語を覚えさせたいから二ホンジンが良いだとか、もっともらしく当時は説明したけれど、これは結局「隠れ蓑」であった。子供をダシに使っているけれど、早い話がそれは自分の要望なのだ。 それからそこに住むに当たって、その同居する女性は奴の「妹」であり、暫く滞在しているのだという事にして欲しい、とも告げられていた。 後で聞いたら、同居人を入れるには相応の手続きが要る決まりになっていて、そうすると家賃が上げられてしまうから、こっそりやるのだと言った。随分せこいやり方だが、幾らアジア人の見分けが付かないとはいえ、容姿の異なる女性が代わる代わる入居してその度に「妹です」と言ったところで、ご近所の人々だって気付かぬ筈はないだろうと思う。 それから、平日の夕方から夜に掛けて、奥さんが小さい子供の世話で慌しくしている時間帯には、来客を禁ず、という決まりもあった。これは、奥さんが在宅の間は子供に掛かりきりで手を焼いていたから、実質的には客は一切連れ込めないのと同様だった。 ワタシにとっては、これが一番響いた。帰りしなうちへ寄って食事でもいかが、などと気軽に友人を招待出来なくなってしまったのだ。これは独身女性としては、致命的でさえある。 この他にも、実際入居してみると、当初の話と違う事が幾つもあるのに気付いた。 例えば、アパートの掃除は一切面倒見るから遣らなくても良い、その代わり自分の個室内と共有部分を使ったら後片付けだけはしてくれ、と言われた。 しかしそれではワタシの気が済まないから、ではワタシが入居するまでにバスルームとキッチンの掃除をしておいて下されば、入居後はワタシも日常的に掃除をやりましょう、と言った。過去に人が汚したのを掃除するのは嫌だけれど、一度綺麗にして「リセット」しておいてくれれば、自分も汚すのだから、気にせずまとめて掃除をする気になる。 しかし入居してみると、共有部分はどこも掃除をした形跡が無かった。特にバスルームは、一体何ヶ月間掃除をしていないのだろうと思わせる程にカビと水垢がこびり付き、埃が彼方此方に溜まってそのままになっていた。 これは数日様子を見たのだが、掃除をする気配が見られなかったので、仕方なくある日、ワタシはバスルームを一斉に磨き上げた。 どうやらこの家では、定期的に掃除をする習慣というのが無かったらしい。辛うじて、奥さんが手の空いた隙をみて床を化学布巾掛けするのが、まあ月に一度あるかどうかという程度であった。それ以外の掃除は、殆ど半年に一度とかいう風に、思い出した時にするようだった。 一番酷かった思い出は、靴箱の悪臭である。このアパートには、入り口を入って直の所に、靴と掃除用具や運動器具などを入れられる一寸した納戸のような小部屋があったのだが、この扉を開ける度に、例えようも無い悪臭が湧いて出てきて、何度か吐きそうになった。 貴方の靴はこちらへどうぞ、と区画を設けられたのだけれど、そこへ自分の靴を仕舞って臭いが染み付いたらどうしよう、と躊躇する程であった。それなら土足禁止になどせず、靴を履いたまま上がった方が、余程清潔なのではないかと思われた。 奴は自分の役目は、風呂掃除と子供を風呂に入れるのと週末の洗濯、それに朝子供を託児所に送って行く事であり、自分は二ホンジンのダンナにしては、随分家事を「手伝っている」ほうだ、などとよく自慢していた。 成る程、奥さんは毎日早朝から仕事に出掛けて行くから、託児所が開くのを待っていられない。こればかりは、ダンナがやらざるを得ない仕事である。 しかし奥さんが出掛けた後、子供が起きてきても、ダンナはいつまでも起きないでいる。夜中までネットの掲示板にせっせと書き込みをしたり、それに誰か返事を付けたかななどとそわそわしながら、逐一確認しにアクセスしているから、朝は中々起きられないらしい。自称「ネットオタク」である。 子供にはスナック菓子のような朝食を用意して、彼を食堂の子供用椅子に固定すると、テレビの子供番組を付ける。そしてさあ食べろと言い残して、父親は自室へ籠もる。そしてまたインターネットである。 子供は一人ぼっちで食べる朝食なんて詰まらないから、少し齧って、持て余して、そのうち食べ物とミニカーで遊び出す。そうこうしているうち、何かを床に落とす。奇声を上げたりする。それでも父親は、その間一向に顔を出さない。 ワタシが子供の声で起き出してきて、トイレに行こうと廊下へ出たりすると、あー、お姉ちゃーん!と叫んでいる。 いや、実は彼は言葉が遅くて、正確には「お姉ちゃん」とはっきり発音していなかったのだけれど、まあなんとなくそれに近い感じでワタシを呼んだ。 お早う、ご飯食べた? 彼は首を横に振る。 食べないの? また首を振る。そしてお姉ちゃん、お姉ちゃん、と言いながら、おいでおいでをする。 ふむ、お姉ちゃんとしては是非遊んでやりたいところだけれど、他所んちの子供のしつけに無闇に手を出すと、後で面倒があるといけないので、気の毒だがここは心を鬼にして立ち去る他あるまい。 ばいばいをして、ワタシが用事を済ませ部屋へ戻ろうとすると、彼はみるみる肩を落として落胆している。 お姉ちゃーん… あーあ、そんな顔をするなや。お姉ちゃんも心苦しいのだよ。 ところで、ワタシはこの家庭の様子を見て以来、将来自分に子供が出来たら、食事は必ず子供と一緒に取って、家族皆で食べるのが当たり前なのだと体験させてやろうと思うようになった。そうしなけりゃ、朝飯は一人で食べるもの、皆は食べないけど自分だけ椅子に固定されて食べさせられるもの、という印象が刷り込まれてしまう。 同様に、寝る前の歯磨きも、自分だけ無理矢理されるものだと覚えてしまったら、習慣になる筈は無い。皆やるのが当たり前なのだから、君もやるのだよと教えてやらなければ、自立出来る筈のものも出来ないだろう。 しかしなんと可哀想な子供だろう。母親は自閉症の心配していたようだけれど、実際言葉が遅いのも、ああやって毎朝テレビを見せられながら一人で食事をさせられたり、また折角朝から働きずくめの母親が帰ってきて甘えられる夕刻が来たというのに、忙しなく夕飯を食べさせられ風呂に急き立てられ、さあもう寝る時間だよとベッドに追い立てられ、ゆっくり会話をする暇も無いのだから、さもあらんと言うべきだろう。 それにしても、この子の父親は本当に医師の免許を持っているのかと、ワタシには疑わざるを得ないような出来事は、度々起こった。 つづく。
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