せらび
c'est la vie
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みぃ


2004年12月27日(月) 一日遅れの雪が降って、ホワイト・クリスマス(の翌日)

今年のクリスマスには、家のない人々や一人暮らしや病気の老人らを対象にした食事提供のボランティアをした。

つくづく思ったのだけれど、こういうのにやって来るボランティアの人々というのは、大変良く働く。金が欲しくてやっているのじゃないから、少々遅れてやって来ても(それはワタシ)、また予定より多く働こうとも、そういう細かいところは誰も気にしない。その割りにテキパキと作業をこなしていく。金を貰っている割には全然働かないこの国の一部の職業人と比べると、目を見張る働き振りである。

そして、実に沢山のボランティアがやって来た。ワタシは朝から出掛けて行って仕度をするところから夕方片付け終わるまで丸一日居たけれども、準備段階では余りにも沢山人が来たので、作業は一時間程早く終わってしまって、数人は予定を変更して帰ったくらいだった。これ程資本主義的、俗物的、自己本位的な街で、意外に他人の為に手を貸そうという人々が沢山居た事に、ワタシは改めて感心した。ひょっとするとそれは、クリスマスくらい良い事をしようと、日頃の行いの悪さの罪滅ぼしの積りでやって来たのかも知れないのだが。

そして、皆大変にこやかで協力的であった。こういうのを見ると、これまでワタシが嫌だ嫌だと言ってきたこの街が、意外と捨てたものでは無いという事がよく分かる。

経済的心理的な余裕があるかないかという事が、他人への態度にも影響を及ぼすのだろう。良く考えてみれば、そもそもこうしてボランティアに来る様な人々というのは、他で充分な収入を得ているからこそ、気忙しくぎすぎずした心持ちでボランティア活動をしないでもいられるのだろう。金持ちの娯楽などと世間では思われている節もあるが、しかし自分のコミュニティで困っている人々を助けたいという素朴な気持ちの現れでもあるので、結局は他人の事まで気に掛けるだけの心の余裕があるかどうかという問題だろうと思う。

兎に角、ワタシはこのところのボランティア活動に於いて、毎回いい仲間に恵まれ、非常に心地良く活動出来ているのは、大変喜ばしい事だと思う。

特に今回は、実際食事を提供する段になって、ワタシはゲストを空いているテーブルまでエスコートする役というのを仰せつかったのだが、合間に他のエスコート係りの若者たちとの談笑を愉しんだり、またゲストの老人から小さな親切に大いに感謝されたりして、なんだか幸せな気持ちになったりした。こちらこそ有難うという気分である。

尤も、家の無い人々の中には、当分風呂に入っていないのか、何とも言えぬ熟成した芳香を漂わせている人もいて、そういう場合には上品で気難しそうな老人とは出来るだけ相席にしない様に心掛けたりして、一寸した機転が要った。

実際ゲストの中には高学歴の老人も少なからずいて、暗にそうした身なりの良くない人々とは相席を控えたいという旨をリクエストする人もあったそうだ。場所が場所だけに、近所には高収入の家族が多く住んでいるので、給仕するボランティア側も給仕されるゲスト側も比較的身奇麗な人が多かったようだ。

ワタシはと言うと、無償労働の報酬として七面鳥の焼いたのにクランベリーソースとグレイビーソースが付き、他にスタッフィングといってパンと野菜や果物等を七面鳥の中に詰め込んで焼いたやつを後に取り出したものや、かぼちゃやさつまいもを焼いて潰したの、豆や根菜類を煮たの等を食す事が出来た。

これはゲスト用かと思って初めのうち遠慮していたのだけれど、我らも喰って良いのだと聞いたので、手の空いた頃有難く頂いた。七面鳥は少し乾燥気味だったけれど、スタッフィングやその他のものは大変美味だった。

帰りには余ったのを土産に少し包んで貰ったので、二食分のご馳走であった。これは帰宅後に少し食べて、残りは休暇の翌朝恒例の「七面鳥サンドイッチ」にして食べた。

しかし一日中立ち通しだったから、すっかり疲れてしまった。けれども、こうして給仕した方も良い事をしたので気分が良いし、された方も一人きりで寂しく過ごす休暇よりは断然和やかに暖かく食卓を囲める訳で、この活動はなんとも上手く出来ているものだと思った。


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