せらび
c'est la vie
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みぃ


2004年11月15日(月) 昨夜の晩飯は小鰯とほうれん草で和風のパスタにしたら、美味過ぎてつい喰い過ぎた、訴訟其の一、第八話

訴訟其の一、第八話。

ワタシのアパートに関しても、いくつかの放置された修理事項があった。そのうち最も大きな問題は、バスルームの天井の崩壊である。

ある日管理人が階上でパイプの詰まりを直そうとしていて、どうやら力任せに所謂「スネーク」という機械でもってパイプをぶち壊してしまったらしい。

帰宅して見ると、バスルームは一面水浸しで、天井には幾つもの大きな割れ目が走り、電球にも水が入り込んで、灯りはぼんやりと鈍く光っていた。階上に住む老女は、自分は何も知らんから、関わり合いたくないと言う。それで直に大家に電話を掛けたが、何しろ訴訟中につき機嫌が悪いらしく、音沙汰が無い。

仕方が無いので、以前修理に来た折電話番号を置いていった電気系統の修理屋に電話を掛け、時間外で済まないが直に来てもらった。

彼は元々市の委託修理人で、中々の好人物だった。こういうところは危ないぞなどと入れ知恵をしてくれたり、また仕事の合間に家族の話をしたりしながら、移民同士助け合っていかないとねなどと、好意的であった。それで帰りしなに、何かあったらオフィスに電話をくれれば直に飛んでくるから、と言って番号を置いて行った。

職人はワタシたちの訴訟の事を聞き及んでいたと思われる。大家に無線機で連絡を取り(つまり大家御用達職人であり、また大家自身も近距離に居たものと思われる)、これは電気系統まですっかり遣られているから、相当の損害であると言った。そして控えめに早く直さないと拙いだろうと言ったが、大家から何か言われると暫く頷いて、そして分かったと言って通信を切った。そして彼は、水が引くまでバスルームの電気は付けてはならないと言い残して、去って行った。

その後、結局修理が来ないまま、天井の隙間からは黒いねちねちと光る物体がぞろぞろと湧き出てきて、ワタシの生活を日々脅かし始めた。





(注 ここから先は、お食事中又は家に出る昆虫・小動物等の話が聞くに堪えない読者は、お読みにならない事をお薦めします。)






(それでも先を読みたいという気丈な読者の皆様、そうですか、どうなっても当方は知りませんよ。それでは早速行きますよ。)






ある時など、ワタシがベッドに腰掛けて食事をしながらテレビを見ていたら、なんとなく気になる気配があった。ふと自分の胸元を見下ろしてみたところ、そこにはなんと五センチ程の体長の黒光りする物体が、ワタシの顔目掛けてまさに上昇中であった。

絶叫しながらそれを払いのけるも、その物体はそこいらを飛び回り、ワタシは気が遠くなる思いで部屋中逃げ惑った。

これは中々トラウマティックな出来事だったから、何年も経った今思い出しても、背筋が凍る思いである。

またある時には、バスルーム天井の穴から無数の黒い物体が這い出てきた。あるものはばさばさと奇怪な音を立ててそこいら中を飛び回り出したから、ワタシは眩暈と冷や汗が止まらなかった。ワタシは勇気を振り絞って、既に薬局にて購入してあった特殊薬品を噴霧したのだが、それによって弱った物体が、今度はそこいらでのたうち回り始めた。

半分生きているようだから、それを掴んで捨てるなどという技は恐ろしくて出来そうにない。何しろ先日の這い上がってきた奴のお陰で、この生き物に対してトラウマが出来てしまっているから、例えば新聞紙を丸めて気合を込めた一撃を喰らわすなどという大胆な行為も、最早ワタシにはとても敵わない。


などと途方に暮れた末、甚だ面目無いのは承知の上で、勇気ある階下の住人を呼び出す事にした。

彼女は新聞紙とビニール袋持参で現れると、勇ましくもさっと丸めた新聞紙でぱしんと一撃を食らわせ、瞬く間に賊の息の根を止めると、キッチンペーパーとガラスクリーナーを所望した。へなちょこ助手のワタシがはいはい唯今とそれらを傾げ持って行く間に、賊を素早く新聞紙で摘み取るとビニール袋にさっと放り、そしてガラスクリーナーをしゅしゅとやって、キッチンペーパーをくるくると丸め取ると、それで辺りを拭き出した。それも袋に入れてきゅっと厳重に縛ると、さあ、終わったよと言って、何事も無かったかのように帰って行った。

その手際もさることながら、あれだけの大きな蠢く物体にも怯まない彼女は、大変逞しい立派な日本女子である事を、ここに感謝の気持ちを込めつつ記しておく。貴方は勇気がある人だ。何時嫁に行っても、充分にやっていけるよ。



ところでワタシの家には、超音波を出してそれらの黒い物体やらげっし類やらを撃退する装置が取り付けてある。なのにそれは、こういう肝心な時に全く効果を示さなかった。どうやらあのように大きな穴があちこちに開いていては、電波も歯が立たないらしい。

そこでワタシは又しても薬局へ出掛けて行って、穴や隙間に塗りつける薬やら強力な噴霧式の薬やら置き薬やらを一通り買ってきて、先ず一番大きな穴の火口部にぶち込み塗り込め噴霧し、そして荷造りテープでもって穴をぴったりと塞いだ。他の穴も、薬のチューブの口が入る大きさのものは全て塗り込めて塞いだ。

これは脚立を借りてきて、無防備に上を向きながら何時賊が出現するやも知れぬような、戦々恐々とした作業だから、冷や汗掻きつつ何時間も掛かってしまった。嗚呼、もうあんな怖い思いは、二度と御免である。


それから部屋の隅には、丁度床と壁の交わる辺りに隙間がいくつか開いていた。また備え付けの暖房器具の下には、これまた大きく深い穴が開いていた。特にこの大きな穴からは、夜な夜なネズミが顔を出しては、ワタシのアパートを徘徊していた。

ある時など、朝方ふと目が覚めてがばと起き上がってみると、ワタシの鞄の中から小さい頭がこっちを覗くなり「お早う」と言ったのだから、心臓が止まるかと思った。余り驚いたから向こうさんも驚いて、其処から素早く出ると一目散に例の大穴へ向かって逃げて行った。何だか悪い事しちゃったと、一寸後悔したりもした。鞄の中にはお弁当の匂いが残っていたのだろうが、実際餌になるようなものは入っていなかったのだから、益々気の毒である。

そうした穴には、所謂モスボールと言って服を仕舞うときに一緒に入れる防虫剤を、兎に角入るだけ詰め込み、そこをまた荷造りテープできっちりと塞いだ。モスボール後に金網のシートや鉄のスポンジ状のものを詰めると、げっし類は噛み切れないから出て来られない、とは別の修理工氏談であるからして、余裕があればそれもやると良いだろう。ワタシの場合はとりあえず火急の事態につき、いろいろと取り揃えている時間的精神的余裕が無かったまでの事だ。

兎も角こういう涙ぐましい自力の付け焼刃的補修工事も、市が遣した調査官氏は隅々まで事細かに目を通してくれた。その有様を見て、余程怖い思いをしたのでしょうと慰めを言ってくれた時には、やはりお天道様はお見通しなのだ悪者よと、目が潤むのを止める事が出来なかった。

訴訟其の一、第九話につづく。


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