せらび
c'est la vie
目次昨日翌日
みぃ


2004年11月14日(日) 風さえ遮られれば寒さはなんとか凌げるものだ、訴訟其の一、第七話

訴訟其の一、第七話。

訴訟手続きの為に一緒に裁判所に出掛けたこの階下の住人は、家賃の支払いをワタシたちより一歩先に止めていたので、既に大家から未払いで訴えられていた。だから、店子全体で起こした訴訟以外に自分でも対訴訟を起こそうとして、早くから自主的に調査を進めていた。お隣のお姉さんに比べると余程行動力も精神力もあったから、却って頼りになる相棒であった。

実際他の店子たちは、この時点で皆、腰が引け始めていた。度重なる嫌がらせや脅迫で、一人減り二人減りして、当初の半分位は脱落していたし、残る者も不安を隠せないようだった。非ニホンジンで残っていたのは、結局ほんの一世帯だけだった。残るニホンジンは、義理とか同朋からの目に見えない圧力とか、そういう理由からだったのではないかと思う。

もっともこの街では、かつて凶悪犯罪が多かった事情から、人々はそもそも揉め事には関わりたがらない。

例えば、電車の中で音楽を大音量で聴いている人が居るからと言って、その人を睨み付けたりして、迷惑を掛けている事に気付くのを期待するようなニホンジン的感覚は皆無である。そんな事をしては却って自分が遣られてしまいかねないから、普通は見て見ぬ不利である。例え喧嘩や痴漢が目の前で起こっていたとしても、この街の人々は大概そうやってやり過ごす。自分の身は自分で守らなければならないからだ。

だから非二ホンジン住民がぞろぞろと抜けていったのは、アジア人同士の執念深い抗争とでも思ったからだろうかと思う。また彼らは民族的にもここでは少数派であるから、抵抗運動を遣ったところで彼らの要求が通った例が無い、と言う経験も、また彼らを容易に諦めさせ、悲観的・無関心にさせる一因であったろうと思う。


訴訟は実質的には半年程続いた。

その間ワタシたちは、度々早朝から法廷に足を運び、その都度仕事や学校を休んだりして都合を付けねばならなかったし、また法廷から調査官を送るからこの日は家に居るようにと言われれば、またそれにも対応しなければならなかった。そして次の出廷に備えて必要な資料を揃えたり、またどのような質問が来たらどのように答えるかなどの予行演習をしたりして、始終気の抜けない日々が続いた。

そうしている間も暖房は入らなかったから、市の管轄当局に苦情の電話をしたり、また調査官が来た時に暖房が入っていないことを証明して貰わなければならないから、出来るだけ家に居るように心がけたりして、それはそれで落ち着かない日々でもあった。

訴訟自体では、ワタシたちの主張が認められた。判事は、最初にワタシたちの苦情の電話が市に入った日から数えて、それにこの手の違反の罰金の相場を掛けたものから、更に大家側の弁護士が交渉して少し値下げしたところで「示談」と決定して、大家に支払いを命じた。

しかしこれは大家対市当局の訴訟という形になっているので、罰金は市に対して支払われる。そうすると当然、ワタシたちの懐には一銭も入ってこない。

これを知って、ワタシたちは見る見る脱力感に見舞われた。これまで数ヶ月頑張って来たのに、何の報いもないのか?

がっぽり慰謝料を取ってやろうなどと考えていたワタシたちはすっかり落胆してしまったが、しかしよくよく調べてみると、そういう民事訴訟を別個にやろうと思えばやれない事も無かった。ただ問題は、半年どころではなく何年も掛かりそうだという事と、それから今度はワタシたちも弁護士を雇わなければ太刀打ち出来ないという事だった。

しかし、実際そこまでする意義が見当たらなかった。そもそも何の為にわざわざ外国まで出掛けて来たのか。それは、訴訟をする為では勿論ない。全く本末転倒である。

たかがアパートに暖房が入らなかったくらいの事で、いやそれ自体は充分生死に関わる大問題ではあるけれども、しかしそれについて慰謝料を請求する為の訴訟を起こしたところで、一体どれ程の気休めになるというのか。あの悪徳大家がどれだけいけ好かない男だと世間に知らしめたところで、それはワタシの人生にとって、一体何の効果があるというのか。多くの時間と費用と、その間に当然圧し掛かってくるであろう嫌がらせ等に拠る心理的圧迫などの犠牲を払ってまで、果たしてやる価値があるのか。

仮にアパートの家賃が法外に値上げされていたとしたら、まだ取り付き様もあったかも知れない。しかし役所を回って一通り調べたところ、ワタシのアパートに関してはその可能性はなさそうだった。ええ、八方手は尽くしてみたのです。

こうして得るものと失うものとの天秤を見比べ、熟考を重ねた結果、結局ワタシたちに残されていたのは、暖房を供給するよう大家に再度裁判所を通して要求する事と、それからアパート内の故障箇所について修理をするよう裁判所から正式な命令を出して貰う事くらいだった。

こうして半年程の訴訟のうち、初めの三ヶ月程は暖房に関しての審議だったが、それも暖房のシーズンが終わってしまったので責める術が無くなり、残りは修理に関わる審議で引き続き法廷へ出向く事になった。

訴訟其の一、第八話へつづく。


昨日翌日
←エンピツ投票ボタン

みぃ |メールを送ってみる?表紙へ戻る?