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■ 不可変の福音 使徒20章17〜21節
少し前から、一部のキリスト教会が世の考えと迎合していることを書いています。
藤本満著「LGBTQ聖書はそういっているのか?」に対し
地引網出版「舟の右側」の中で、公の文章で反論が出されたことを先日書きました。
特に2番目の先生、水草修治先生の書かれたことに、私は大きく頷いて聞きました。
すると、ユーチューブがすぐさま水草修治先生の説教を捜して来て、
お勧め動画にあげてきました。
これがまた何とまぁ、はっきりした説教でしょうか!
<不可変の福音 使徒20章17〜21節>
ここでも「福音」を水増ししたり、変えていってはならない。とみことばから
語られています。
「神への悔い改め」と「わたしたちの主イエスに対する信仰」これが福音。
悔い改めを抜きにした福音は福音ではない。と語ります。
神様を神様としないで背を向けて、東へ全速力で行こうとする人に
後押しするのが福音ではない。
そう言えば、人は喜び、受け入れやすいものになるかもしれなくても
それは聖書のことばじゃない。
そっちじゃありませんよ。
方向転換して西へ向かってください、と言わなければならない。
私もコロナの時に考えたんだよね
普段はやることがあったり、人との交流もあったり、仕事もあったりして
そういうことで気が紛れて気づかなかったかもしれないけれど
それらが何もかも急に取られて、考える時間をいただいた。
自分は何を心の真ん中に置いていたのか。
それが悪いものじゃなかったとしても、
神様じゃないものを神様にしたらどうなるか。
心の真ん中に置くとどうなるか。
それは神様じゃないから、渇きを癒してはくれません。
たとえば人。結婚なさっていたら、ご主人とかになるでしょうか。
顔色を見たり、ご機嫌を伺ったりしして、悪くなったら従ったり
そんなことをして、それで満たしてもらおうとすればするほど
さらに渇いていくのが分かりました。
向きを変えないと!
水をくれる場所を間違えている
偶像は壊れた水ため
そっちに向かって進んでいけば虚無
真の湧き水の泉は神様
イエス様が生ける水をくださる。
そんなことが色々分かって来て
持っている荷物をイエス様の肩の上にお渡ししたのです。
2025年02月21日(金)
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