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■ 祈りによらなければ
今日の礼拝の聖書は
マルコ9:14〜29でした。
「信じます。不信仰な私をお助けください。」
(24)
悪霊につかれた息子を、治して欲しい父親の
「もし、おできになるものなら、私たちを
あわれんで、お助けください。」
のことばに対し、イエス様は
「できるものなら、というのか。
信じる者には、どんなことでもできるのです。」
とおっしゃいました。
そして、叫んだ父親のことばが
「信じます。不信仰な私をお助けください。」
でした。
信じる気持ちと、疑いが浮かんでしまう自分と・・・
それでも、正直にイエス様に叫びました。
「こんな私をお助けください!!」
そして
そんな私であっても、憐れんでくださるのが
主イエス様です。
「2度と、はいってはいけない。」と悪霊に命じ
息子から霊を追い出し、助けてくださいました。
そして、弟子たちに言われたことも心に留まりました。
弟子たちはすでに汚れた霊を追い出す権威を
イエス様からいただいていました。
「それから、イエスは、近くの村々を教えて回られた。
また12弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、
彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。」
(マルコ6:7)とある通りです。
けれど、この息子の霊は弟子たちには追い出せません
でした。
以前はできたのに、今回はできません。
弟子たちは、段々その権威が自分の力と思っていた
のではないでしょうか。
あるいは自動的なもののように。
「イエスが家にはいられると、弟子たちがそっと
イエスに尋ねた。
『どうしてでしょう。私たちには追い出せなかった
のですか。』
するとイエスは言われた。
『この種のものは、祈りによらなければ、何によっても
追い出せるものではありません。』」
(マルコ9:28,29)
昨日できたから、今日も
の自動的なものではない。
自分の力でもない。
これも、またクリスチャンが陥りがちな
間違った姿でしょう。
「祈りによらなければ」とイエス様がおしゃって
「神の力に頼る」ことを教えてくださいました。
それも、そのときそのとき、毎日がそうなのだ。
と。
2022年09月25日(日)
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