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■ 聖書の人間観
きらきら
悪魔は「上へ上へ」上らせると言いましたが、
間違った「下へ下へ」の
自己卑下も喜ぶんだった!と思い出しました。
自己憐憫、お前なんかもうだめだと思わせること。
前に私がそれに陥っていたとき
よくご飯を食べに行っていた友だちが
ずっとその話を聞いてくれていて、
ある日のこと、こんな風に言いました。
自分の「我」と、イエス様の「十字架」とを
天秤にかけて、
ずっと「あぁ私はだめだ。だめだ。」と言っているのは
イエス様の十字架を小さく軽くしていることだ。
と。
それで目が覚めました。
聖書の教える人間観は
自分は確かに弱くて、失敗もするし、汚い心もある。
だけど、それを全部贖うために
神様が大切なひとり子のイエス様を世に遣わし、
十字架につけて、罪のいけにえとしてくださいました。
その恵みゆえにのみ、私は「義」とされた。
ここまで来ないとだめなんですよね。
悪魔が日々法廷で訴えて来ます。
「この人はこんなひどいやつだ。こんなことも考えた。
こんな汚いこともやった。」
それは事実ですけど
横でイエス様が
「だから、わたしがそれを全部負いましたけど?
何か?」
と言ってくださっています。
それが恵み
それを思い出すこと。
まだ、十字架を信じておられない方には
どうぞイエス様を信じられますようにと
祈ります。
「神に選ばれた人を訴えるのはだれですか。
神が義とみとめてくださるのです。
罪に定めようとするのはだれですか。
死んでくださった方、いや、よみがえられた方である
キリスト・イエスが、神の右の座に着き、
私たちのためにとりなしていてくださるのです。」
(ローマ8:33,34)
2022年09月23日(金)
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