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■ 召天者記念礼拝
ねこじゃらし
「召天者記念礼拝」でした。
詩篇90篇が開かれました。
「あなたは人をちりに帰らせて言われます。
『人の子らよ。帰れ。』
まことに、あなたの目には、
千年も、きのうのように過ぎ去り、
夜回りのひとときのようです。
あなたが人を押し流すと、彼らは眠りにおちます。」
(詩篇90:3〜5)
また人間に死が入ったのは、アダムが神様に背いて以来
のことであり、すべての人は死ぬようになりました。
「罪から来る報酬は死です。」
(ローマ6:23)
しかし、その死から救い出すために
キリストが十字架に死に、
死に打ち勝ってよみがえられました。
その方が救い主である。とただ信じることで、
誰であっても「尽きぬいのち」を得ます。
これはプレゼントですから、
お金を払わなくていいんです。
恵みで、ただでいただけるものですから
何か良い行いを必要とはしないのです。
大体、私たちの罪、借金は大きすぎて、自分で返せる
次元の話ではありません。
返せると思っているのが滑稽です。
この身体の命は一度は死にますが、
信じる者は、キリストの力によって
永遠の死を逃れ、永遠のいのちを得ます。
「キリストは、死んだ人にとっても、
生きている人にとっても、その主となるために、
死んで、また生きられたのです。」
(ローマ14:9)
死は、やはりクリスチャンにとっても怖いものです。
でも、確か、ナウエンのことばだったと思います。
野球のたとえで
ボールがキャッチャーにびしっと受け取められるように
死ぬときも、そうなのだ。
とどこかで読んだ気がします。
父の亡くなるときを思い出します。
私の理想で思い描いていたよりもずっと
人間とは弱くて、やはり死がとても怖いものだと
教えてくれました。
でも、私たちにはイエス様があります。
死の瞬間、受け止めてくれる方がありました。
イエス様が父をおんぶして
向こう側まで連れて行ってくださいました。
それを見て、
伝えないと。
と思ったのです。
2022年09月11日(日)
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