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HEAVENLY FATHER FEEDS THEM
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ミサリ



 ローマ11章

私が最近参考にしている解説は

ディスペンセーション主義の流れの教会説教です。

私の行っているところとは立場は少し違うのですが

はっとさせられることも多いです。

(信じている中心は同じです)

(「ディスペンセーション主義の落とし穴」という

記事も書かれているので、極端な立場ではなく

私もひとつの参考で読ませていただいています。)


福音派の先生は同じ個所をどう語るかも

今から楽しみにしています。

(ちょうどオンラインで福音派教会の

ローマ書講解説教を聞いています。)

多分、どちらも同じ結論になると思っています。


コロナ禍になって、時間が多くあって、

あれこれあれこれ考える機会が多く、

考え途中のことをここにも時々書いて来ました。

考え途中なので、間違ったこともあったら

ごめんなさい。



過去の自分を振りかえってみて、何回か

憤りを抑えられないことがありました。

それがどうしてかが、段々分かって来ました。

それは、ローマ書でずっと言われている

「自分の義を立てる」

ということへの違和感ではないか、と。


「そんなあなたで神様は喜ばれますか?」

というようなメッセージを何度も聞きました。

疲れてそこを去りました。


「私はこんなに頑張って奉仕をしているんだから

ちゃんと評価して欲しい」

というような声も、教会の中でもときどき

聞こえて来るときがあります。



これは、福音派での説教ですが、以前ここでもメモで

ローマ書5章のことを書きました。

1節「信仰によって義と認められた私たちは」

9節「キリストの血によって義と認められた私たちが」

を並べて、どちらも日本語では「よって」ですが

元のことばは違っています。


「〜が根拠となって」は9節です。

「キリストの血」が救いの根拠です。


「信仰によって」の「よって」は、

「信じることで」「受け取ることで」です。


そこでの説教で言われたことは

日本の教会が陥りやすい誤りは、日本文化の中で

自分の信仰がどれだけ立派だから、

神様が認めてくださる。

という考え方だ、ということでした。


1節の「信仰によって」を9節と同じ「〜が根拠で」

で読んでしまっているのです。


今まで時々、違和感を持ったのは

そういうことだったのかなと分かって来ました。



それで、ローマ11章も

今まで、ずっと

「自分の義を立ててしまったイスラエル」を

見て来ましたが、彼らがかたくなになり、

救いが「異邦人(私たち)」「教会」へと及びました。

けれど、それは私たちが優れていたからでも、

立派だったからでもなく、ただただ「恵み」です。

それなのに、今度は異邦人である私たちが

自分を誇るようになって、イスラエルを見下したら

まったく同じになってしまいます。


異邦人クリスチャンも自分を誇らず、罪人である自分が

ただただ「恵み」によって救われたことを覚える。

そして、やがて「イスラエル」も、

今までイエスがメシアであることを

否定してきましたが、最後には「恵み」によって、

悔い改めて十字架を信じる人が多く起こされる。


そいうことが書いてあるんじゃないか。

と思っています。


違うでしょうか。








異邦人である私たちは

テーブルの下の子犬のようです。


憐れみによって

こぼれ落ちてくるパンくずをいただきます。



2022年09月05日(月)
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