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■ ミカ7章
今日の礼拝はミカ7章を開きました。
「もう一度、私たちをあわれみ、
私たちの咎を踏みつけて、
すべての罪を海の中に投げ入れてください。」
(ミカ7:19)
ミカ書も預言書のひとつです。
この時代、信仰は腐敗し、
エルサレムの神殿での礼拝は、アッシリア風になって
また、ユダの町々には偽の神々に香をたく高き所が
ありました。
また偶像に子どもを捧げるという、聖書で禁じられた
大変忌み嫌われることが行われていました。
信仰だけでなく社会にも悪が蔓延し、
「役人は物を求め、さばきつかさは報酬に応じて
さばき、有力者は自分の欲するままを語り、
こうして事を曲げている。」
(ミカ7:3)
このような状態でした。
預言者ミカはその中で、神を無視する生き方を
してはいけない。と語りました。
しかし、実りは少なく・・・
「ああ、悲しいことだ。
私は夏のくだものを集める者のよう。
ぶどうの取り残しの実を取り入れる者のようになった。
もう食べられるふさは一つもなく、
私の好きな初なりのいちじくの実もない。
敬虔な者はこの地から消えうせ、人々の間に、
正しい人はひとりもいない。
みな血を流そうと待ち伏せし、
互いに網をかけ合って捕らえようとする。」
(7:1〜2)
という現実でした。
けれど、ミカはそのような中であっても、
神に希望を置きました。
「しかし、私は主を仰ぎ見、
私の救いの神を待ち望む。
私の神は、私の願いを聞いてくださる。
私の敵、私のことで喜ぶな。
私は倒れても起き上がり、
やみの中にすわっていても、
主が私の光であるからだ。」
(7:7〜8)
ミカ書の中には、「さばきのメッセージ」の後に
「救いのメッセージ」が続くということが
3回繰り返され、
そこには「羊飼いである主」の姿が出て来ます。
「もう一度、私たちをあわれみ、
私たちの咎を踏みつけて、
すべての罪を海の中に投げ入れてください。」
(7:19)
とのミカの祈りの通り、
その希望の光「救い主キリスト、真の羊飼い」が
ミカの時代のその後、
(私たちからすれば「すでに!」)
与えらえる(た!)のです。
2022年08月14日(日)
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