Rei's column
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中学時代仲の良かったトモダチから突然写メが来た。
タイトルは「とうとう・・@汗」 とうとう・・何だ!? と思って開けてみると
「結婚式挙げました」
・・・・・。
先に籍を入れてもう子供も生まれているトモダチなんで たしかに「とうとう」なのかもしれないがまったく人騒がせな。
とりあえず「おめでとう」しか返信する言葉が見あたらない。 なんで、「おめでと〜〜〜」と。
社交辞令で「そのうちお茶でもしようね」とは言ったものの 私とカノジョとではもう大きく住んでいる場所が違ってしまったし おそらく会って話しをしても昔のように楽しくは無いんだろうな、と冷静に考えてみたり。
幸せそうで何よりだとそれは本心でそう思うのだけど ・・なんというか私はつつましやかな生活にまったく関心の無い人間なので 以前会ったときもひたすら「へぇ」とか「ほぉ」とか相槌を打つばかりで 会話のドコに接点を見出してよいやら、正直困っていたりもした。
旦那の話。子供の話。
・・私にされても「ほぉ」とか「へぇ」以外になんとコメントしていいかわからん@汗
日々の生活の話。将来の話。旦那さんの仕事やお給料の話。 楽しみにしている旅行の話。
ノロケが入るから多少の自慢も出る。 そのたびに「ふうううん」といいつつも・・
残念ながら私だったらそういう生活は我慢出来ないやあ・・ と心の中に汗が。
もとい、生活に我慢出来ないのではなくて我慢している自分に我慢が出来ない。
私がどうしても描けない未来の設計図。
どうしてなのだろう。いつからそうなったのか・・ とんとわからないのだけれど。
どう思われているかはわかりませんが 正直、私は独りでいるのはあまり好きではありません。
逆に独りでいることが出来ない性質だったので それを克服しようといろいろ努力はしてきましたが・・本当はいまだに苦手です。
外に出かけてばかりで外食三昧ですが 本当は部屋でノンビリするのは好きだし、家でご飯を食べるのも好きだし・・
まあ、信じない人も多いでしょうがそれほど人に合わせて行動するのも苦ではないし (但し、日常の細かいこと限定です。人生は合わせられません@笑)
ただアレです。
ここ数年、私にとっては例えば好きになる相手を「身内」と捕らえる感覚がなくなってしまっていて ・・おそらくこれは「こういう遊び」をすることとも関係あるのだと思いますが 生活のすべてを曝け出す=自分を全部曝け出す を遠ざけたい、という気持ちが動くのです。
何かをひどく神経質に意識して、恐れている。 そして心の片隅で何かを嘆いている。
時間も、人も、永遠ではないということを?
同じ時は二度と来ない。
何の脈絡もなく、自分が潰れそうになるほどそれを哀しいと感じる瞬間があります。 でもその痛みに比例してこの瞬間が意味と重さのあるものなのだということもわかっている。
哀しいと感じる瞬間の痛みが痛ければ痛いほど 瞬間的な輝きも、目が眩むほど増していく。
痛みを感じることが無くなればこの苦しさからも開放されるけれど 同時に、輝きは色褪せて違うモノへと形を変えていく。
それを安易に受け入れられない何かが自分の中にある。
では否定的なのかというとこれがまた逆説的で 気持ちのドコかですべてをひっくり返してもかまわないと思えるオンリーワンの登場を 絶対に期待している部分があるんです。
そおいうの、私だけじゃないですよね? ん〜〜、それともやっぱり私は変ですか?@笑
自分が安易に受け入れられないはずのものを受け入れられるような、そんな状況。
ハードルが一気に壊れるのか、少しづつ崩壊していくのかはわかりませんが・・
「自分が変われる」状況です。そのことの為なら、と思えるような。
そんなスペシャルが無いのならもうずっとこのままその「絵」は描けなくても構わない、と。 本気で哀しみながらそう考えてみたりするのです。 それは本来、独りが苦手な私にとって最悪なシナリオなはずなのに・・
既婚の友人は皆、そんなお伽ばなしみたいなこと言ってたら一生結婚はムリだと 頼みもしないのに延々と私に説教したがります。
しまには「デキた婚」がイチバン理にかなっているとまで言う輩までいます。
面倒臭いので最近は既婚のヤツ(友人)らとはあんまり話しをしなくなってしまいました@爆
バチがあたるだの寂しい人生が待っているだのまるで新興宗教さながらの説教をされますが 今のところバチも当たってないし、楽しい人生だし・・・
ま、 ほっといてクレ。>笑
ある友人が言いました。その未来図は描けないわけではないのだけれど・・ 「いわゆるホレ、筆がすすまない?ってヤツ??@大爆笑ww」
送ってくれた花嫁衣裳でにんまり笑う写メを眺めながら
人生がいったい何であったのかなんて
死ぬ直前にならなきゃきっとわからないんだろうな〜 なんて
とりとめなく考えた今日このごろ。
私が唯一無二 誰かのオンリーワンであり 誰かが私の真のオンリーワンであるという
思い描くのは 至上の未来予想図。
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