Rei's column
コラムTopへ|過去のコラム|次へ
ピアノを習い始めたのはたぶん3歳か4歳・・ 幼稚園の頃からでした。
ま、いわゆる習い事です。親が習わせてくれました。 ピアノを買いに行ったことは今でも記憶に残っています。なんかワクワクしましたから。
フツーは「ヤマハ」や「カワイ」の国産ピアノ買うんですけど 何故かウチにやってきたのは「ゲルスカルマン」というドイツ製の小ぶりなアップライト。 甘く、優しげな音のする可愛いピアノです。
・・フツーの国産ピアノだったらとっくの昔に富士楽器に電話して処分されてたでしょう。 現に異常に引越しの多い我が家では何度も母に処分されそうになりました@笑
いちおうアンタ持ち主だから・・ 欲しいって人がいるんだけど?と何度も持ちかけられましたが いつもすんでのところで「・・でもとっておいてよ」と思いとどまりました。 よくぞ思いとどまったと今ではそのことを奇跡に思います。 ゲルスカルマンでなければもうとっくに手元になくてきっと今になってひどく後悔したことでしょう。
思えば亡くなった父が私に買ってくれたもので現存しているのはあのピアノだけなわけだし 私の平和で幸せな幼少時代と今を繋ぐ、あのピアノが最後のツールのような気がします。
そういうものの貴重さがわかるのは随分と後になってからですから。
人とは得てしてそういうものですよね。
で、近所のヤマハ幼児音楽教室に入ったのですが ここが今考えても何故? というほどものすごい英才教育をするところで・・
3、4歳の子供相手にやれ聴音(和音や旋律を耳で聞いて拾う)だ、ソルフェージュだ、 音階だ、楽器演奏だ・・ 音楽理論も盛りだくさん。
・・お蔭様で私、絶対音感持ちなんですよ@笑
絶対音感って耳で聴いて音が完璧に拾えるってヤツです。 ドミソド〜 って。 当時同じ教室にいたみんなは全員そういうレベルでしたもん。 先生が弾いた旋律を耳で聞いて音階を言いながら正確に復唱して歌うんです。 ドミソドシラミソファミレソシドレミド〜〜〜♪ みたいな@笑
字もまだロクに書けないのにお団子みたいな丸書いて譜面も書けたし 音楽記号もみんな覚えてました。 ・・子供って絶対スゴイですよ。 うまく吸収すれば何でもお茶の子さいさい〜 なんですから。
そこから卒業してみんないろんな楽器に散って行きました。
私はピアノへ。
バイエルを習い退屈な日々が続きます。
課題曲を毎週こなして、丸をもらう。ただそれだけ。
正直、ヤマハ音楽教室でのアドバンテージが凄くて楽勝すぎた。
ただ音を繋いで指で押していくだけの作業。 ・・作業、でしたねぇ。確実に。
ある日、ウチの母が急に「先生変わるから〜〜♪」と言って先生がオトコの先生に変わりました。 ・・理由は「どうせ終ったあとお茶入れて話するなら家庭教師は素敵なオトコの先生のがいい」ということだったそうです。
長髪で長身細身、いかにも音楽家という風体のその先生が最初に私にくれた課題は モーツアルトのピアノソナタの主題を優しくアレンジした譜面でした。
曲そのものは非常にカンタンだったのですが ・・そのセンセイは指揮者だったので・・・ 情感をものすごく重要視しました。
ここはピアノ、ここはピアニッシモ・・ 技術よりも繊細なタッチで旋律を繋いで音楽を演奏することを 小学生の私に手加減することなく真面目に教えてくれました。
課題曲の見本は演奏家が違うバージョンで何枚もレコードを持ち込んで聞き比べさせて コンサートにもよく連れて行ってもらいました。感謝しています。今でもこのセンセイに・・
手が小さかったことと音楽は楽しむもんだという感覚から いわゆるクラッシック演奏家、みたいなコースからは早々とコースアウトしちゃいましたが なんとなく音楽は続けていて・・
お約束でバンドでロックなんてやったりもしました@笑
オトナになってまたなんの気なしに弾きたくなるのがピアノ。 手にとったのはショパンのノクターン集。
で、弾き始めてはたと気がつく・・
うっ。すげえ大変!!
自分のイメージする音色と旋律を再現するためには 指が全部の音を身体で覚えるまで反復しなければいけないし タッチそのものの質を追求すると地味〜〜な技術練習をしなければいけない。
あれえ、こんなに不自由だったっけえ? と。
おー、指使いがアタマに入らない。
昔はもっと自在に鍵盤の上をひらひら泳げたんだけどなあ・・ と。
反復、反復、反復・・・ 地味〜〜〜な作業です。
すぐには理想のラインに達しない。地道に積んでいってやっと得られるといいますか・・ で、意外に得られるものは少ないし。
でも最近思うんですがそういう中で得られるモノは かならず自分のモノになっていくとでもいいますか・・?
安易に得られるモノは所詮それなりってことです。
トライ&エラーって大好きな言葉なんですが まさにトライしてはエラーする反復学習。
大切なことは理想のラインが描けないことの理由を知ること。 と、いうか自分から本気で知ろうとすることのような気がしています。
まあ、私はそういう生き方が好きなんでしょうけど。
勘や感覚だけで繋いでいってもドコか限界があって そこから先へはいけない、とでもいいますか。
近道は無いってことですね。
何事も自分のモノにしていく為には。
それを超えていくのは天才なのかもしれないですけど? 私は天才じゃないですからねぇ・・・
何かに夢中になれば何か得るモノはある。
さて、問題は何がそこまで自分を夢中にさせてくれるかということ。
時間も労力もお金も惜しくない。 そういうモノに出会えること自体がとても大切であって その消費はちっとも惜しくない。
私は夢中になりたいです。。 いまだに。
歳とって安全装置やらこまごましたブレーキやらセンサーやらがいっぱいついちゃって そこまでイケるには相当の引力がいるけれど・・
モノでも人でもどっちでも構わないけど 無理させて欲しい!@笑
ピアノ弾きたいな、と思いますが今の状況では鍵盤を購入しなければなりません。 そうなるといろいろと先にやりたいこともあるし、結局は弾けないような気がします。
今、倉庫に預けられているピアノが新しい実家の家に戻ってくるであろう春先にはまた弾けるようになるのでしょうが たぶんそういう熱量ではあの地道な作業を乗り越えてまで自分のモノには出来ないような気がするんですね。
時間は無いし、忙しい。疲れてもいる。
若い頃とは違うわけです。ふんだんに自分の時間なんてありはしないわけで。
そんな貴重な時間を消費しても惜しくない、なんて素敵じゃないですかねぇ。 そこまでしてもそうしたい、と思えることそのものに既に価値があると思う今日このごろです。
だからね。遠距離は無理な自信があるけれど 中距離恋愛は@萌え ですよw
わざわざ会いに出かけるのがいいんです。 早く会いたいからアクセルがんがん踏んで、高いガソリンばんばん消費して ETCぴっぴっと通過して・・・ @笑
その結果10分しか会えなくてもそれでもいいというか それでもそこまでさせてくれる存在なんてサイコ〜〜!
だからむしろあんまり近くにいないほうがよりいい、という・・・
ん? そこで自分の本気度と相手の価値を計るのって軽〜〜く間違ってますか??@笑
|