Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 「ながら書き」ができる邦楽
2005年12月12日(月)

 僕は基本的に、仕事をする時や文章を書く時は、無音状態で作業しています。仕事の場合、音楽関係の仕事とデザイン関係の仕事の2種類があるのですが、音楽関係の仕事の場合は言うまでもなく「音」の仕事なので、他の音が聞こえては仕事にならないので無音状態なのは当然ですね。
 ただ、デザイン関係の仕事の場合は、頭の中で何かを考えながら作業すると言うよりは、むしろ色の配置やレイアウトのバランス、ギミックの作成や画像処理など、ある程度感覚的な作業なので、音楽やラジオが聞こえていてもそれほど影響されることもないので、デザイン関係の仕事の時は音楽やラジオを聴きながら作業することもあります。

 さて、文章を書いているときですが、このときは基本的に無音状態のことが多いです。音楽やラジオを聴きながら、あるいはテレビを付けたままの状態で文章を書くと、頭の中で構築されている文章や思い出そうとしている表現、書きたいことなどが混乱してしまい、文章がまとまらなくなってしまうからです。この状態では、一度書き上がった文章を読み直す時も正確な判断をすることができません。特にテレビやラジオなどから聞こえてくる言葉で、気になるニュースや話などが出てくると、そっちの方に気が行ってしまい、文章を書いたり考えたりすることに集中できなくなってしまうのです。

 しかし、僕が書く文章にもいくつか種類があり、例えば仕事で書く、雑誌や広告などに掲載するための文章やコピー、日頃あったことや物事に対する考えなどを書き記すVoiceなどのエッセイ、掲示板の書き込みに対して返事を書くレス、そして物語を書き進めていく小説などがあります。この中で音楽を聴きながら書くいわゆる「ながら書き」ができるのは、掲示板へのレスかVoiceなどのエッセイぐらいですね。

 で、「ながら書き」ができるVoiceや掲示板へのレスでも、音楽の種類は限られてきます。具体的に言うと音楽だけのインストゥルメンタルか、洋楽のジャズ、ボサノヴァ、あるいはポップスでもカーディガンズ、メイヤ、リサ・ローブといった比較的ライトな曲調のものに限られます。邦楽は歌詞が日本語なので歌詞の意味が頭に入ってきてしまうので、基本的には「ながら書き」では受け付けません。

 ところが、僕が最近ごくたまに聴く数少ない邦楽の中で、いくつか「ながら書き」ができるものを発見しました。僕が邦楽で持っているCDといえば、最近のものではスピッツ、ラブサイケデリコ、エゴラッピン、バード、ミーシャなどですが、その中でスピッツとラブサイケデリコが、「ながら書き」ができる邦楽のようです。

 まずスピッツは、皆さんもよくご存じのように、ボーカルの草野正宗の脱力した歌い方と、全体的にライトで優しげな曲調が耳にほどよく入ってきて、思考回路を妨害することなく、そのまま日常の環境音のように自然に聞き流すことができるのが要因のようです。現代のJ−POPシーンにおいて、これほど全体的な曲の展開がフラットで、ボーカルがほどよく脱力したサウンドは珍しいと思います。他にもスピッツの場合、あまり主張しない伴奏と、一見おしゃれで可愛らしいんだけどあまり意味を成していないような歌詞も、自然に聞き流すことができる大きな要因になっているのではないでしょうか。スピッツは、じっくり聴けばもちろんどれも素晴らしい曲ですが、音楽としてボーカルや伴奏が主張しすぎていないのが魅力なのかもしれません。

 次にラブサイケデリコ、こちらはスピッツとはガラリと変わって、ボーカルも伴奏も結構主張しているのですが、全体的な曲調が60〜70年代を彷彿とさせるようなレトロ調の曲で、なおかつ歌詞は日本語なのですが、ボーカルのKUMIがその歌詞を英語のような発音で歌っているので、歌詞が日本語に聞こえないと言うのが洋楽的で聴きやすいのかもしれません。KUMIの淡々と言葉を吐き出すヴォーカル、佐藤直樹が作り上げる無機質なサウンドが触発し合い、不思議な哀愁を漂わせた楽曲になっているので、BGMとしては最適と言えるかもしれません。

 しかし、この「ながら書き」ができるスピッツとラブサイケデリコを聴きながら、試しに「マツダイラ」の次回作の執筆を始めて見たら、やっぱり集中できなくて長続きしませんでした。頭の中で構築している表現や描写や言葉などがスピッツの歌声によって混乱してしまい、もっと遠くまで君を奪って逃げるような、君と出会った奇跡がこの胸に溢れるような、君の青い車で海に行くような、そんな内容になってしまいそうです。



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