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■ 本田美奈子.さん死去
2005年11月07日(月)
朝、いつものように「Yahooニュース」を立ち上げると、トピックスの欄の「本田美奈子.さん」という文字に目が行き、「お!いよいよ舞台復帰か?」などと思いながらよく見ると、その先には「死去」という文字が……。 驚きました。92年にミュージカル「ミス・サイゴン」に出演したのを契機に、近年は舞台で活躍していたのですが、白血病のため今年1月に入院し、その後は入退院を繰り返しながら闘病生活を送っていましたが、ニュースなどを見ていたら、臍帯血手術などを行い、順調に回復して舞台復帰に向けての準備が進められているような様子だったのに、6日午前4時38分、急性骨髄性白血病でこの世を去ってしまいました。まだ38歳、これからの活躍が期待されていたのに、あまりにも突然のことでしたね。
本田美奈子.さんは1985年に「殺意のバカンス」でデビューし、同年の「Temptation」で日本レコード大賞新人賞を受賞しました。「One way Generation」「孤独なハリケーン」「1986年のマリリン」などがヒット。パンチ力のある歌唱とセクシーな衣装が話題となり、「和製マドンナ」と呼ばれました。 92年にミュージカル「ミス・サイゴン」の主役の座を射止め、以後、「レ・ミゼラブル」など数々のミュージカルに出演し高い評価を得ていました。
彼女は人なつこい笑顔の裏側で努力の人だったそうです。「1986年のマリリン」のセクシーなダンスやファッションが当時話題を集めましたが、衣装や振り付けは彼女のアイデアだったそうです。他人の前では絶対に見せない努力のたまものですね。テレビサイズのアイドルから飛び出し、女性ロックバンド活動に挑んだり、ミュージカル女優に転身したのも、アーティストとしての進化の表れだったのでしょう。1万3000人以上のオーディションを経て主役に抜てきされた「ミス・サイゴン」では舞台セットに挟まれ、足の指の骨4本を折り、7針を縫う大ケガにもかかわらず舞台を務め上げたそうです。
本田美奈子.さんの命を奪った急性骨髄性白血病は、骨髄でつくっている芽球という、さまざまな血液細胞(白血球、赤血球、血小板)になる大もとの細胞ががん化する病気で、正常な血液細胞がつくられなくなり、白血病細胞が血液や骨髄のなかで増殖するそうです。主な症状に感染症(口内炎、肺炎)、原因不明の発熱、呼吸困難、多臓器不全など。日本での発症頻度は10万人あたり約6人。骨髄移植は患者と提供者の白血球の型が一致する確率が低いですが、赤ちゃんのへその緒などの血液である臍帯血を移植した場合はその確率が高くなるそうです。こうしたことなどから、日本でも急速に広がっています。89年に俳優の渡辺謙、00年にタレントの吉井怜が発症しましたが、どちらも闘病生活を乗り越え、見事に復帰しています。
彼女の死に際して、誰かが「天使が天国に帰っていったのだ」と表現していましたが、まさにその通りだと思いました。天国から僕たちに、美しい歌声を聞かせて欲しいですね。
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