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■ おばあちゃん入院
2004年03月16日(火)
近くに住んでいる僕のおばあちゃんは肺気腫を患っているのですが、検査の結果が思わしくなかったので、急遽入院することになりました。仕事の合間に病院へお見舞いに行ってきたのですが、心臓がエンストを起こしてしまい、酸素が供給されにくくなってしまったということでした。そのため鼻から管を通して酸素を常に送り続ける状態になっていました。
僕は昔からおばあちゃん子で、小さい頃はよくおばあちゃんの家に泊まりに行き、おばあちゃんと一緒に大相撲を観ていたので相撲好きになりました。またおばあちゃんの好きな「大岡越前」や「鬼平犯科帳」なども一緒によく見ていました。僕が未だに虫歯になったことがないのは、おやつの多くが硬いお煎餅だったので、小さい頃から硬いものを食べさせて歯並びを良くしてくれたおばあちゃんのおかげでしょう。
おばあちゃんは、とてもハイカラでした。若い頃はスポーツカーを乗り回し、戦時中は満州で諜報員をしていたこともあるそうです。あのラストエンペラーともあったことがあるらしい。そういえばうちの家系はそう言った歴史に関わっていることが多いような気がします。おばあちゃんのおじいちゃん、つまり僕のひいひいおじいちゃんにあたる人は、雪の降る日に近所のお酒屋に酒を買いに行き、帰りにチャンバラに出くわして木陰からそれを見ていたら、そのうち1人が斬られ、それが実はあの有名な「桜田門外の変」だったらしい。つまり、ひいひいおじいちゃんの目の前で斬られたのは時の大老、井伊直弼だったのです。伊豆の父の実家は北条政子の屋敷跡に建てられていたりします。(その地区一帯が北条家の敷地だったらしい)
話が逸れましたが、お見舞いに行ったときに、かつては背が高く、わりと体格が良かったおばあちゃんが、幼児のように小さくなってしまったのがとても寂しかったです。しかも、僕が子供の頃は大きな声でよく笑っていたのに、今は肺気腫のせいでほとんど声が出ず、耳を澄まさないと何を言っているのか聞き取れないぐらいです。意識ははっきりしているのでたまに冗談などを言ったりもしますが、正直おばあちゃんの変わり果てた姿に、かなりショックでした。もちろんどんな風になっても僕の好きなおばあちゃんであることには変わりないのですが、「ある程度の覚悟はしていた方がいい」と言われたときには泣きそうになりました。
今日はしんみりとした話を書いてしまいましたね、ごめんなさい。この件に関してのBarでのレスポンスは、申し訳ありませんがご遠慮下さい。
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