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■ パリダカ、三菱強し!
2003年01月13日(月)
元旦からおこなわれている2003年ダカールラリー(正式名称テレフォニカ・ダカール2003/通称パリダカ)は、今日は休息日。今日現在での総合順位は、ベテランセルを筆頭に日本の増岡浩、フォントネ、ビアシオン、スーザと5位までを三菱が独占、相変わらずの強さを誇示し続けています。WRCでもそうですが、三菱は悪路で本当に強いですねえ。いつの頃からか、僕がまだ子供だった頃から「パリダカと言えばパジェロ」という印象が強いです。
さて、このパリダカで僕が注目しているのはもちろん日本の新しいエース、増岡浩です。彼は昨年まで三菱に在籍していた、エース篠塚(現日産)のサポートとしてパリダカに参戦し続けていましたが、2000年までは優勝することを許されていませんでした。しかし2001年、彼はチームから優勝することを許され、篠塚を遙かに上回るほどの素晴らしい強さを発揮しました。しかしトップだったのにもかかわらず、2位のチームが反則して先にポイントを出発してしまったことに激情し、その車の後を追うものの冷静さを欠いていた増岡はマシンを壊し、その結果大きく後れをとってしまうことになってしまいました。結局リザルトでは2位に終わったのですが、その後主催者側の間違いで、実は優勝していたと言うことが半年以上あとになって判明し、2002年、その悔しさを払拭するため、万全の体制でパリダカに臨みました。
彼がパリダカに臨む上で最も重視していたのは、視力でした。彼は動体視力を養い、さらに裸眼でも2.0ある視力で眼鏡をかけ、3.0の視力でレースに出場したのです。彼曰く、パリダカでは視力が非常に重要なのだそうです。パリダカの舞台は砂漠、起伏の向こうには何が潜んでいるのかまったくわかりません。そのため遠くからあらゆるコースのコンディションを察知し、如何に最適なルートをいち早く割り出して行けるかが、レースを大きく左右することになるのだそうです。 また彼は、この日は全力で、この日は力を抜いて、と事前にペース配分を決め、すべての区間でハイペースで行くのではなく、プレッシャーをかけない日を作ることによって、精神的にも体力的にもそしてマシンにも負担をかけすぎないレース運びを心掛けていました。結果、増岡は見事優勝を果たし、新しい日本のエースが誕生することになりました。
前の年の失敗を謙虚に受け止め克服し、精神的にも成長して試練に打ち勝った増岡、今年も最後まで諦めず、頑張って欲しいものです。
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