『王の男』を見てきました。 韓国映画を映画館でみるのは初めてですが、韓国映画自体はテレビで『シュリ』と、飛行機の中で『甘い』ナントカをみた(適当)です。 どっちもすんごい暴力の濃さに驚いた記憶があるのですが、 この映画は時代物だからそんなこともないだろう、 それよりもテレビドラマでみるようなラブストーリー系かも〜なんて思いながら行ってみたら、 どっちの要素も満たしている満腹映画でした。 はう。(動揺) あたしは江戸っ子なのでさっぱり、あっさり、宵越しの金は持たない(関係ない)世間に育ったので、大陸の人たちは情が濃くて、感情表現が素直でものすごい遠い世界で不思議。 嫌いじゃありませんが。
ストーリー: 最下層の芸人である男チャンセンとコンギルは王を侮辱した芸をした罪に問われ、鞭打ちされる。その時チャンセンは、 「王を笑わせたら侮辱でなくなるだろう?やらせろ!」 といい、宮廷に呼ばれる。 侮辱されることを笑う王。しかし芸人達が芝居をするたびに宮廷の中に死人が出る、コンギルは個人的に王に呼ばれる、寵妃ノクスはコンギルに嫉妬する、世間の王への反感は強くなる。 滅びの音は近づいている。 その中で、母の死にこだわりを持ち、そこから前に進むことの出来ない子供じみた暴君である王を哀れみ、王をいとおしむように近づくコンギル。 自分の身の危険を察しつつ、コンギルを見守るチャンセン。 そして王に反乱を起こす人間達はそれとは別の意志で宮廷に向かっていた…。
という内容。 ゆらいだ時代の境界線上にいる人間達のドラマだと思った。
まるでチャンセンが歩く綱渡りの綱のようにぎりぎりに。
王は自分の狂気と平常の狭間を歩く。 ノクスは王への母性と権力への望むの間を迷うことなく同じ道と思い、進む。 コンギルは王をいとおしみ、でもチャンセンがいないと自分が生きていけないことを知っている自分自身を悩む。
チャンセンだけは欲しいものを知っている。 父のように、兄のように、そして恋人のようにコンギルを守ること。 そしてふたりで芸を演じること。 彼の為に目がみえなくなっても、コンギルが王を選んでも。
大空に向かって飛んだふたりの最後のシーンはなにが一番大切なものなのかを知る瞬間であり、境界線を越える瞬間という象徴をおもしろく描いていたみたいな気がする。 王は母の子宮に戻ることが自分の望みだと悟り、 コンギルはチャンセンと芸人をすることが自分の最高の望みだと知り、 そんなふたりの元に国民の『意志』がにぎりよってくる。 すなわち、すべての破錠にむかっているのがわかる。 それは主人公達のすべての死に向かうことだけど、未来への道は閉ざされてはいるけれど、それはそれとして、ある意味幸せへの道なのかもしれない結末だった。
ということで満足な映画でした。 ……つっこみどころはものすごい多かったんですけどね。 ま、そういう話はまた明日かあさって。 明日仕事なのでもう寝ます〜。
あ、一緒に映画に行ったのはライファーなのでキャラクター恒例ライフ変換! コンギル=舟見さん 理由:無表情でビューティーだから チャンセン=船戸さん 理由:最初あたしの関心から高根さんではどうかと思っていたのですが、どうもガラとして船戸さんの方が「アニキ」「情熱」「濃い優しい」って点でチャンセンの柄に似合うような気がします。
王=いわさきさん 理由:狂喜系演技を見たいっ!そしてマザコンぽい感じもみたい! ノクス=山本さん 理由:ロリ顔とセクシーさで選んでみたのですが色々謀略をかますんで、友達には、 「そういうことをできる寵妃にぱっとみがみえないかもー」 という鋭い意見をいただきました…。 みえるよ、みえるってばよ! あのセクシーさはライフでは山本さんしかいないってば! ちなみに友達は山本担当ですよ。
しかし冗談はともかく。(冗談なのか?) この物語は元は芝居で、もっと王とコンギルの話だったみたいです。 視点が映画と全然違うのね。 原作読みたいなあ−、原作をライフでやってもらえないかなーとまじめに考えてしまったのは本当だったりします。 舟見さんで見たい。っす。
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