2004年10月04日(月) |
夫、病院で医者に怒る(後編) |
やっと、診察室に呼ばれました。二人で中に入ると、医者と看護婦さんがいました。 「病院には行ってないんですね」 「助産婦さんにみてもらいました」 「それで、検査だけ受けに来たということですか」 「はい。自宅で出産しますので」 「どうして病院で産まないの。殺伐とした雰囲気だから?」 (なんで、そんなことをきかれなくちゃいけないのだろう。) 「ベテランの助産婦さんですか。何歳くらい」 「はい。70いくつの方です」 「それは、ベテランだ。何かあったらどうするの」 (あなたには関係ないでしょう。あなたのようなぶしつけな医者がいるから、病院は嫌なのです)と言いたくなってきました。ぼくたちは、検査を受けに来ただけなのです。それでも、妻は答えました。 「病院に行きます」 「急に病院に行っても診てもらえないよ。どこに行くの」 「助産婦さんの嘱託医があるんです」 「じゃあ、そこで診てもらったほうがいいよ。ぜんそくがあるんだね。もし、出産中に発作が起こったら、命に関わるよ。そうなったら、その助産婦さんは責任取れるの。そういうこと、ちゃんと話しておいたほうがいいよ」 (何の兆候もなく、突然ぜんそくの発作は起こりません。もし、誰にも予想できない突発的な事態が起きたら、誰にも責任は取れません。そもそも、自分で責任を引き受けるという考えで自宅出産に望んでいます。責任の所在については、この医者に何の関係もありません)というような反論が次々と思い浮かびましたが、そんなことを言っても自分たちに何の得もないなと思っていたので、黙っていました。この医者は、そもそも自宅出産に否定的だし、きっと、ぼくたちのような飛びこみの者を診察したことがないのでしょう。 それから、エコーで診ると言われ、妻はベッドに横になりました。しーちゃんの画像を見せられながら、言われました。 「昔はみんな自宅で産んだんだもんね。でも、その頃はたくさん死んでたってことを、忘れちゃいけないよね」 いつのまにか、くだけた口調になっています。たいてい人を見下している人は、口ぶりが変わります。 (「忘れちゃいけない」なんで言われても、ぼくたちの関心は自分たちの出産にあるのであって、ここで医者から講義を受けるつもりはないのです。また、自宅で産んだからたくさん死んでいたというのはとても乱暴な論理であって、栄養、衛生環境、妊婦さんの社会的地位、その他もろもろの事情によるものでしょう。しかも、今の助産婦さんがその頃と同じ技術、考えで介助していると考えていること自体がまちがっています。現に、昨日の助産婦さんは、ドップラーの機械を担いできました。) さらにこの発言は、正確に歴史を踏まえていないことを、後に教えていただきました。 「妊産婦死亡率に関して、これまで一般に信じられてきたことで必ずしも正確でない"常識"に、過程分娩から施設分娩に移ったから安全であると言うものがある。施設分娩が急激に増加していく時期の施設化と妊産婦死亡率についてけんとうしてみると、1947年に施設分娩数の比率は2.4%、1957年に28.7%、10年間に施設分娩率は12倍に増えた。この間、妊産婦死亡率は16.8%から17.1へと、17を前後としてほとんど動かない。」(『助産婦の戦後』p.276)
それから、医者はしーちゃんの大きさを機械の画面上で計測しました。 「こんなに大きくなってからじゃ、予定日が正確に特定できないよ。助産婦さんは、最終月経から予定日を出したんだね」 (毎日こつこつと基礎体温をつけていたので、予定日は大体わかっていました。それ以上の精度で予定日がわかることに、何の意味があるのでしょうか。予定日より大幅に早く生まれるとか、ずいぶん過ぎても生まれないとか、そういうときにそのことを認識できることが大切なのでしょう。しーちゃんは、生まれる日に生まれるのです。予定日に生まれるわけではありません。そんなこと、わかっているでしょう。今、その機械で予定日を正確に特定できないことでぼくたちが困ることはありません) 「内診は?」と看護婦さんが医者に言ったようでした。 「いい」と医者は小声で答えました。 それで、検診は終わり、ぼくたちは待合室に出されました。看護婦さんがやってきました。 「血液検査はしなかったので、この券はお返しします。エコーの料金だけかかるので、会計へ行ってください」 「あれっ、血液検査を受けにきたんですが」とぼくは言いました。 「いえ、先生がしないって言ったんです」と看護婦さんが言いました。その看護婦さんは、ぼくたちが血液検査等をお願いした人です。ぼくたちの来院の目的を知っていながら、この人は医者に何の意見も言えないのです。医者が言ったことをそのままぼくたちに伝えているだけなのです。看護婦が医者に意見を言えないような雰囲気にしている、医者や管理者の責任もあるでしょうし、この看護婦自身が医者と対等な立場に立って仕事をしていないという責任もあるでしょう。 「だって」とぼくが言いかけると、妻が「いいよ」と言いました。どうやら、医者は検査を拒んだようでした。
それから会計窓口に行くと、「6560円です」と言われました。一瞬、意味がわかりませんでした。妻のところに戻り、お金をかき集めながら思いました。やっぱり、おかしい。妻が空腹を抱えていたのはよくわかっていたのですが、 「ちょっと言ってくるね」とぼくは、会計窓口に行きました。例の無料券を示しながら、 「これでこの券に書いてある検査をお願いしたんです。それなのに、その検査はしないで別の検査をして、お金をはらえだなんて、納得がいきません」 すると、会計係りの人は電話をかけ、再び、無料券とカルテをクリアファイルに挟み、それを持って産婦人科へ行くように言いました。 再びしばらく待たされ、診察室に呼ばれると、あの医者がいました。ぼくはクリアファイルを渡しました。 「この券で無料の検査を受けにきたのに、頼んでもいないエコーをやって、お金を払えだなんて納得がいきません」 「ふつうは、妊娠検診は保険外なんです。でも、保険を適用してあげたんですよ。そうじゃなかったら、7000円もかかるんです」 「6560円ですよ」 「あれっ、おかしいなあ。初診料も入ってるんですよ」 「無料の検査を受けにきたんです」 「それならそうと言ってください」 「ちゃんと、問診表に書きました」 「私に、言ってください」 「だって、問診表に書いたんですよ。問診表見ましたか」 「はい」 「それなら、あなたのミスじゃないですか」 「無料だから来たんですか」 「そうですよ。妊娠は確定してるんだから、エコーなんていりません」 「あなたねえ、ちょっと私の話を聞きなさい。赤ちゃんが正常かどうか調べるのに、エコーが一番大切なんですよ」 「それは、あなたの判断でしょう。ぼくたちには必要ないんです。どんな検査を受けるのか決める権利は、ぼくたちにあるんでしょう」 「はい。それなら、エコーはいりません」 「そうですよ」 「お金もけっこうです」 「あたりまえです」そう言って、ぼくは、医者の向こうに置いてあったクリアファイルの中の無料券を手に取りました。すると、医者は言いました。 「検査を受けないのなら、それはいらないでしょう」 「検査は受けます。ここで受けないだけです」 そう言って、診察室を出ていきました。その医者は、検査もしていないのに、ぼくが黙っていたら、無料券を返さないつもりだったのです。なんということでしょう。
帰り道、妻が言いました。 「結局、いじわるなんだよ。本気で怒ったり悲しんだりしちゃだめだよ。でも、お金を払わずにすんでよかった。代わりに怒ってくれたから、すっきりしたような気がする」 しばらくぼくはぷんぷんしていましたが、帰りに子どもたちのおみやげに筋子を買うと、元気が出てきました。
一度家に帰って仕切りなおし、夕方、別の病院に行くと、女性の医者でした。ぼくは、はじめに受付で「この券で無料の検査を受けたい」とはっきり言いました。ぼくは、診察室に入れてもらえなかったのですが、次のようなやりとりがあったそうです。 「この券の検査以外にも妊婦検査はありますが、どうされますか」と看護婦さんに聞かれ、妻は 「いくらですか」と聞きました。どうやら、今度は「無料の検査」というところを二人して強調したために、「この人たちはお金がなくて、無料券があるから検査に来たのだな」と思われたようでした。 でも、それは、そう思われてみると、事実でした。 それから、無料の検査の中身についてきかれました。尿検査は、今日、したばかりなので飛ばしてもらうことにしました。 「エコーはどうされますか。無料ですが」 なんとなんと、こちらでは6560円ではなく無料だと言うのです。とはいうものの、こちらもついさっきやったばかりなので、いりませんと言うと、結局、血液検査だけということになりました。 「助産婦さんに診てもらった」と妻が医者に言うと、助産所で出産しようとしている人が検査だけを受けに来た、と認識されたようで、「どうして病院が嫌なのか」だとか、日本の出産の歴史についてとか、胎児の大きさから予定日が正確に算定できないとか、の話は出ませんでした。そして、無料の検査だけを受けられました。 妻は言いました。 「ここで産んでもいいと思えるくらいだった」 まったく、はじめからこちらにくれば、何の問題もありませんでした。まるで、この「自宅出産日記」をおもしろくするために、総合病院に行ったようなものでした。
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