クンデラを読んでいると、色々な感じ方に共感できる。
「宗教は体制により迫害され、大分の人は教会に行くのを避けていた。 ミサが行われている教会に座っているのは、年寄りの男女だけだった。 というのも、この人達は、体制を恐れていなかった。 その人達は恐れていたのは、死のみだった。 神父が歌うような声で祈りを唱えると、皆が合唱で神父のことばを繰り返した。
サビナは後ろの方で座り、ことばの音楽に耳を傾けるために目を閉じた。
その教会でサビナが思いがけず出会ったのは神ではなく、美であった その際に、その教会とその連祷が美しいのではない。
ミサは裏切られた世界のように急にそして密かに彼女に現れたゆえに 美しかった。
美とは、裏切られた世界だということが分った。 われわれが美に出会えるのは、迫害者たちが美をどこかに忘れた そのときだけなのである」
サビナの感性を想像する。 偽善を嫌悪するサビナ。
カミュ「異邦人」を読んでいても、 ムルソーの母の葬式で、死を恐れる老人達の集団の 描写はグロテスクで、印象深い。 灼熱の太陽、埃、そして、皺を伝って流れる汗。
老人は、人生を経験してきたからこそ、 小説の脇役の背景として、深い印象をあたえるのだろう。
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