ロンドンでの爆破テロのニュースを見た時、 かつて、メール交換をしていたイギリス人のメールフレンドを すぐに思い浮かべた。 彼女の二番目の息子が、ロンドンの大学に入学して学んでいたはず・・
メール交換を始めた頃、高校生だった彼女の息子が受験期になった時、 目標とする大学のことや、高校での成績のことなど 母親の彼女は、かなり熱くなっていたので 「いずこも、受験生を持つ母親はみな同じなんやー」と感じたもの。
英語には全く自信がなくても、単語の羅列と写真交換だけでも きっと楽しいだろうと始めた文通、 たまたま、子供の年代が同じで家庭環境がよく似ていた。 息子が志望大学に合格した喜びと、親元を去ってロンドンに行ってしまった 母親としての寂しさ・・・ ちょうど我が家も同じ状況だった。
約3年間続いた文通は、 しかし、少しずつ私の返信メールが遅れるようになった。 特に、パート先を変えた頃から、グッタリと疲れるようになり、 日本語のメールさえ滞りがちになった。 とても英語のメールなどに取り組む気力は無い。 それに、ストレスも溜まり始めた。 拙い英語力では、思い通りに自分の気持ちを表現することはできない。
返事を待ちかねた彼女から「How are you ? 」というメールが届くと、 やっと重い腕を上げるという状態が続くようになった。 しかも、数行の英文しか書けない。
2002年の秋、長い間同棲生活をしていた彼女の長男が結婚、 喜びのメールと結婚式の写真が届き、私もお祝いメールを送信した。
それが、ほぼ最後だっただろうか。
今は仕事をやめ、時間もたっぷりあるのに、再び挑戦する気力はない。 歳をとったものだと思う。 でも、文通が途切れたからと言って、私は彼女を忘れたわけではない。 日本語で書けるのなら、決して終わっていなかっただろうと思う。
だから、メールを送った。 ロンドンにいる彼女の愛する息子が無事なのかどうか、 安否を尋ねる短いメール。 もう届くかどうかもわからないが・・・
長〜い英文メールがすぐに返ってきた。 とにかく彼は無事だった。たまたま無事だったそうだ。
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