Rocking,
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2007年10月20日(土) |
Man would yet be more noble than that which kills him, because he knows that he dies |
サマセット・モームの「人生と文学」に収められている「ある書物についての感想」というエッセイを読んでいる。カントの「判断力批判」の感想で、要するに「美学」思想についてだ。 モームによると、まずカントは「美しいものが呼び起こす喜びは、あらゆる利害というものと無関係である」と言ったらしい。いいじゃないの。美は無益だと、私も常に言っている。 だがそこから発展して、「ある対象に対する自分の喜びが、自分の場合には利害から対立していると意識する時には、彼がその対象を全ての人間にとっての喜びの素地を含んだものと考えることは不可避だからである。(中略) 主体は自分が対象に寄せる好意の点に関しては完全に自由である為に、自分の喜びの理由として、自己の主観的自我だけが関係するような個人的な条件を見出すことが出来ないからである。従って彼は、その喜びが、彼が他の全ての人の内にも存在すると前提することによって決定されるものであると、考えないわけにはいかない。かくて彼は、彼が全ての人から同一の喜びを要求する権利があると、信じないわけにはいかないのである」 ・・・うーん。 ・・・カントはアホだな。(あっ! すいませんすいません!! 近代哲学の偉人になんてことを!!!)
でもアホだ。だってこれ結局、美は主観的な概念ではなく、普遍的に伝達出来るものだと言っているのだ。何が「不可避だからである」だ。何が「信じないわけにはいかない」だ。全く「可避」だし、「信じない」よ。
しかしこのエッセイで一番よかったのが、後のほうで引用されていたパスカルの文章だった。例の有名すぎる「人間は考える葦である」というやつだ。私も勿論この言葉は知っているものの、前後の文章は読んだことがなかった。ところがこれが、何とも感動的で。 「人間は自然でいちばん弱い葦にすぎない。しかし考える葦なのである。彼を圧し潰すためには宇宙全体が武装するなどの必要はない。ひと吹きの湯気、一滴の水で彼を殺すには十分である。だが、宇宙が人間を圧し潰しても、人間は彼を殺すものよりもいっそう高貴であろう。その理由は、彼が自分の死ぬことと宇宙が彼を越えていることを知っているのに、宇宙はそれについて何も知らないからである」 ・・・これだけ正しいことを、これだけ真っ直ぐに力強く言われると、あまりにうつくしくて涙が出るなあ。
やはり。人間を救えるのは、人間の生に意味を与えられるのは、文学と哲学だけだと思う。うん。
Man would yet be more noble than that which kills him, because he knows that he dies (人間は彼を殺すものよりもいっそう高貴であろう。その理由は、彼が自分の死ぬことを知っているからだ) *ブレーズ・パスカルの著書「パンセ」 (1670)より。
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