Rocking, Reading, Screaming Bunny
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Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2007年09月28日(金)  幸福な死

精神病院で療養中の方からメールを頂いた。普通に知的で感じが良かった。自主的に入院を決めたようで、自分で自分を矯正する必要を感じるのは、理性があるということだ。おそらく問題は生理的なところに多く起因するのだろう。

ソクラテスのいう「無知の知」は、今さら持ち出すのも恥ずかしいくらいの基本概念だが。しかしやはり人間の生きる意味はこれに尽きると思うのだ。
己がどれだけ無知かを知ること、どれだけ小さいかを、どれだけ間違いうるかを知ること。その為にはとにかく、自分を見つめること、深く省みて、疑うことだ。
内省が過ぎた結果として精神を病むひともいるが、それでも私は、己の行動を一切疑わない盲になるよりは、その方が100倍もましだと思う。

私にメールを下さったかたは、病院で本を書くのだという。読むほうもかなりなさるようだ。
私は繰り返し「文学は飢えた子供を救わなくていい」と言っていて(かつて文壇に「文学は飢えた子供を救えるか?」という問いがあったのだ)、これは文学が崇高な遊びであることをも言いたいのだが、しかし文学は、飢えた人間が死ぬ時に、その死を救えるかもしれない唯一のものだと思う。
文学の中にある哲学が、それをなし得る。だから私はもう、哲学のない本は読みたくない。

幸福な死  *アルベール・カミュの著書。(1938)



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