Rocking,
Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?
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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
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*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)
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2007年09月23日(日) |
おやまあ こんにちは お久しぶりね オス よお おはよう ハイハイ また会ったわね |
昨日、(9/19の)日記のタイトルに使ったので、久しぶりに矢野顕子の'Un Jour'を聴いた。 で、このタイトルについてふと調べてみたら。フランスの絵本のタイトルから取っていることがわかった。字が一切なく絵だけで構成された絵本。原題の'Un Jour, Un Chien' は、まんま歌詞に出てくる。 が。しかし。 'Un Jour'はフランス語で'One day'で、'Un Chien'が'A Dog'らしい。なのに、犬のことを歌っている矢野の曲のタイトルは'Un Jour'のほうで、歌詞は「労働する犬 この街に この国に この世界に 溢れださんばかりのUn Jourたち」というのだ。 ・・・・・単語の意味を逆に取ってないか?(それじゃあ「ある日たち」だし)
こう疑うのも当然で、矢野には「湖のふもとでねこと暮らしている」という恐るべきタイトルの曲があるのだ。(一応言うと、「ふもと」は山に使う言葉。湖なら「ほとり」) 本人自ら、語彙が豊富でないことは認めているが。と言うより言語感覚が雑(緊急自粛します。あっ、間に合ってないか??)
よくケイト・ブッシュと矢野顕子は似ていると言われる。声質と発声法が似ているのだ。そして、医者の娘でピアノを弾き、幼い頃から頭角を現していた天才というのも共通する。 しかし、その音楽の本質においては、両極端と言っていいほど違う。 天才矢野顕子は、そのコアに、ちょっと暴力的なほどの粗雑さを持っていると思う。私は15歳で矢野顕子にかぶれたが、それから今までに2度ほど矢野の音源を全部手放している。自分の精神状態が弱った時期に、矢野を聴くのが耐えられなかったのだ。そうなるともう手元にあるのすら嫌で、そのくらい彼女の個性は強烈だ。 一方ケイト・ブッシュは、繊細さの鬼だ。気違いじみた美学をがちがちに構築する。 *私が「ケイト・ブッシュ」と言う時は、常に最初の4枚だけをさします。 つまり、例えば話を言語感覚だけに絞ると、ケイト・ブッシュに矢野の歌詞を見せたら拒否反応が凄いだろうなということ。とても歌えないだろう。
では矢野の歌詞はよくないのかというと。 今も昔も私は、矢野の歌のことばを聴くたびに、他のどんな歌を聴くよりも、パブロフの犬のように号泣するのだ。 全然たいしたことは言っていない。それがこうまでしみるのは、つまり音楽の力である。私が、「歌の詞は、文学の詩とは全く違うんだ」と強く認識したのは彼女のおかげだ。音楽は、やはり音の力ですべてを変える。
言葉を粗雑に扱うのは、一番私の神経にさわることだが。それさえなぎ倒すのが天才の力技だ。 だから私は今日も、「ある日たち」という意味の変な歌詞を聴きながら涙ぐむ。
そういえば矢野には'Hello There'という短い曲があって、歌詞が(1行だけを除いて)全部ただの「挨拶」だ。なのに何ともドラマティックで、心が彼女の意のままに引っ張りまわされ、最後にはいつもじーんとなる。 天才ってのは、凄いなあ。
おやまあ こんにちは お久しぶりね オス よお おはよう ハイハイ また会ったわね *Hello There / 矢野顕子 (1977) の歌詞。
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