Rocking,
Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?
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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)
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2006年05月11日(木) |
Where the flowers grow |
5時起き。だって私、出かけるのに3時間かかるからw ゆっくりシャワーを浴びて、コーヒーを入れてゆったりくつろぐ。カーテンを開いてみると、街が濡れてる。夕べ私が寝ている間に結構降ったらしい。 最近お天気運が良くて、帰宅直後に降ったり、外出直前にやんだりする。今回も青森は昨日・今日と雨の予報だったが、結局私は雨音すら聞いていない。昨日はずっと薄曇だったが、あれで晴れていたら暑くてまいったと思う。また、花曇は青森のイメージによくあう。要するに「津軽」で太宰が津軽半島をまわる間、天気がよくないのだ。
8時にホテルを出るつもりだったが、その前にレストランで朝食をとることにした。理由はホテルが非常に気に入ったからだ。立地の良さなどで選んだこのシティ弘前ホテル、驚いたことに文句をつけるところが何一つない。今まで泊まったホテルは三ケタになるが、こんなことは殆どない。 なのでレストランでも気分良くなれるかな?と行ってみたのだ。果たして、窓際の眺めのいい席にすっと案内された。岩木山が目の前だ。 たっぷりの朝食をきれいにたいらげ(・・・あ〜あ)、チェックアウトして駅に行ってみたら、金木行きの電車が20分後に出るところ。見れば電車の本数が非常に少なく、この次は2時間後、この前は3時間前だった。・・・何て運がいいんだ、私。
五能線で五所川原へ。津軽鉄道に乗換えて、太宰の生地である金木に向かう。筈だったが。ひとつ先の芦野公園に変更。 最初から、斜陽館(太宰の生家)に行く気はあまりしなかった。個人の家を記念館にして晒すというのはある種悪趣味だし。また弘前駅の時点から、斜陽館に向かうらしい観光客がちらほら見えていて、偏見かもしれないがその殆どが太宰を読んだことがあるのかも怪しい風情だったのだ。 観光の為の観光地には興味はない。金木に行こうかと思ったのは、単にそこで太宰が生まれたからだ。だったら芦野公園に行こう。太宰が子供の頃よく行ったという公園のある無人駅。
電車が駅に到着した瞬間、ああここに来て良かったと思った。駅の両側が桜の海だ。線路をアーチ上に覆っている。
降りる。肌寒い。公園は駅を挟んで両側の一帯だが、南側のがらんとしたあたりは人の気配が殆どない。ただただ桜が咲き誇っている。冬の空気に、春の花。 北側には動物園があるとの表示。動物園?と思って行ってみると、いきなりいたのが「山羊」w 次いでニワトリ。と思ったら金網越しのお隣には孔雀w 「何で俺こんなところに・・・」と憮然とした感じのインド孔雀。思わず「寒くない?」と言ってしまったw ・・・と思ってたら。何と熊がいた。くま! 青森の無人駅の公園にくま!! ・・・何を考えとんねん。見れば熊自身も「やってられねーっすよ」という風だ。
駅前の「ラ・メロス」という喫茶店でコーヒーを飲む。太宰の写真が飾ってあったが、東京の三鷹で撮られたものだとか。まあ、そんなもんだw 11:51発で帰る。一時間ちょっとしかいられなかったのだが、電車の本数が少ないうえに帰りは接続が非常に悪いので、これを逃すと弘前発の帰りの電車に間に合わないのだ。
五所川原からバス(たまたますぐ出るのを発見)で弘前へ戻り、バスでりんご公園へ行き、ちょっとだけ見てすぐ同じバスで弘前公園へ戻る。 昨日と同じ通路が、昨夜の雨で散った花びらでピンクに染まっている。
16時05分発で帰途につく。21時08分に東京着。中央線に乗換えた途端、周りの人間たちの慎みのない態度や、喋り方のうるささが神経に障る。
津軽で何が心に残ったかって。ひとだ。出会ったひとが一人残らず気持ちのいい人たちだったのだ。 例えば止まっているバスの運転手に、「〜行きのバスはどこから出ますか?」と訊く。東京なら、見向きもせずに方向だけ指差されたりするのはザラだ。ところが津軽だと、運転手が料金箱の上に身を乗り出してきて、「あのね、あっちに止まっているバスに乗って、○○停留所で降りると、その向かい側に別のバスの停留所があるから、そこから乗ると〜に行けるよ」とにこにこしながら親切丁寧に教えてくれる。ちなみにその「別のバス」とは彼のバス会社とは全く関係ないバスだ。 太宰が「津軽」で書いているように、津軽人はサービス精神旺盛らしく、バス停の前で中年の女性に時間を訊いた時も、時間をおしえるだけでは飽き足らず、「どこに行くの?」から始まってえんえんと、あのもういいですと言いたくなるくらい情報を与えてくれた。上記のバスの運転手も、実際には上に書いてある三倍は喋った。 一人居酒屋に入った時も、店の人もお客も皆が話しかけてくれたので退屈しなかった。東北のひとはあまり喋らないと聞いていたが、とんでもない。 バスの窓口、JRの駅、公園、和菓子屋、本屋、通りすがりのひとまで全員含めて、一人残らず親切で気持ちよかった。
しかし。そんなわけないよな、とも思う。津軽にだって、性格の悪い奴がいない筈がない。私は今回は運が良かったのかもしれないし、また、私自身が今度の旅の間中とても気分が良かったので、旅の間に出会った人たちの親切は、私自身の愛想よさを映しかえす鏡だったのかもしれない。 けれど少なくとも、ふたつのことが言えると思う。まず、津軽の人たちには東京をはじめとする都会の人間にないゆとりがある。時間に追われず、自分の仕事や生活を楽しむ余裕が見える。 もうひとつ、これはよその土地ではあまり感じたことがないが、津軽のひとには(私の今回の乏しい経験の限りでは)慎みがある気がする。小さい子にすらそれを感じた。
とにかく。いい旅だった。 今回は、「津軽に行って、何もせずただ花を見る」ための旅だった。その通りの二日間になった。 そして津軽の人たちは、そんな私に気をつかってくれたかのように親切で慎み深く接してくれた。私の心の中の、勝手な思い入れのある「津軽」を壊さないでくれた。 出会った人たち全員に、感謝します。ありがとう。
Where the flowers grow (花の咲きほこる土地で) *Shiny Happy People(生き生きと幸せそうな人たち) / R.E.M. (1991) の歌詞。
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