Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


全日記のindex  前の日記へ次の日記へ  

*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


この日記のアクセス数
*1日の最高=2,411件('08,10,20)
*1時間の最高=383件('08,10,20)


2006年05月10日(水)  こんないいところにいるなんて こんないいところにいるなんて

8時28分の新幹線で青森へ。行く、筈が。
家を出たのが7時45分。嘘でしょう!
雨の中を荻窪駅まで走り、東京駅でも走って、新幹線に乗り込んだのが8時26分。信じられない。私って最低。
大阪でも帰りの新幹線の座席に座った途端に発車したんだっけ。神戸に行く時も走ってた。おかげで最近どうも私、即座の状況判断が優れてきたような。一瞬で自分の乗る電車の表示を見つけ、正しいホームに走りこむ。
って。何の自慢だ。それより、早く家を出ろ。

新幹線の座席に座った途端、後ろの席にいたオヤジがいきなり私の隣に移動。・・・おい、どういうことよ。車内はがらがらで、全員が窓際だっていうのに、私の隣だけが埋まって。
ま、気を取り直して熱いコーヒーでも。サンドイッチも買ったが珍しく食欲がない。

八戸で乗換えて、弘前に13時7分着。駅で100円の傘と殆ど食べなかったサンドイッチを捨てる。旅は少しでも身軽がいい。今日の荷物は、通勤に使っていたマリークワントのナイロンバッグひとつ。中身は着替え(下着と靴下とブラウス)と、弘前周辺以外破り捨てた青森のガイドブック、そして太宰治の「津軽」だけ。11年前に読んだ本だが、東京〜弘前の間に再度読みおえた。
ここが、「津軽」か。
途中、仙台や盛岡までは、少なくとも新幹線の駅から見える風景はつまらないくらいに普通の都市で、東京の大田区だと言われたらああそうかなという感じだったが。弘前は駅前の雰囲気もどちらかというと、私の田舎を思わせるようなのんびり具合だ。
勿論ここは太宰のいた頃とは何もかもが違っているのだろうが。それでも、私は今「津軽」にいるんだ。その思い入れだけでもう、じーんとくる。
ホテルは駅の目の前だが、そのまま駅から100円バスに乗って弘前公園へ行く。

桜は、種類にもよるが、その殆どが満開から散り始めだった。うす曇りの空と淡い桃色の景色がとけあって、桜がトンネルのようにかぶさった通路では、はらはらはらとやむことなく花びらが降ってくる。空気は少々冷たいかと思ったが、歩いているとあっという間にかなり暖かくなってくる。
ひとがいない。
全くいないわけではないのだが。大抵は何だか同じところに固まっていて、ちょっと外れたところを歩くと、見わたす限り誰もいなかったりする。周りじゅう花だらけだ。梅・桜・梨・すもも・椿・雪柳・こぶし・ツツジ。本当だ、太宰の書いていた通り、いっぺんに咲いている。
白い綺麗な桜があって、立札に「白妙」と書いてある。「白妙の」は「衣」の枕詞だな。「ひさかたの」は何だっけ・・・「光」か。そんな風にどうでもいいことをぼうっと考えながら、緑やピンクの中をひとり歩いた。通路は何車線ぶんもあるような広さで、そこに人っ子一人いない。雲の切れ間からやわらかい日がさして、見えない鳥の鳴き声がする。新緑のしだれ柳が顔の高さまで垂れ下がり、足元ではうっかりタンポポの花を踏みつぶす。
いつもの全天候型厚底ブーツで砂利を蹴るようにしながら歩き回る。自分の足音だけがざくざくと響く。静かだ。たまに人がいても、誰も声高に喋ったり笑ったりしない。子供も泣いたり喚いたりしない。まるで誰もがこの雰囲気を壊さないように、慎みをもって行動しているようだ。

東門の前のだだっ広い通路を歩きながら、だんだんとゆっくりになって、ついにはぴたりと立ち止まる。
ひとり。私はひとりでここに来ている。ほんのりと寂しいような気もするが。でもやはり、やっぱり、しみじみと。「幸せだなあ・・・」と口に出して言う。誰も聞いていない。
自分がどんどん大気に溶け出していく。意識が拡散する。
そうか、やっぱり私は狭いところが怖くてパニックまで起こして、でも今はこんなにひらけた空間を前にして、ようやくほうっと肩の力を抜いて弛緩している。私のそばに誰もいない。
昔から聞くたびに泣きそうになる歌詞があって、それは
ひとりきりでも ひとりだけでも 釣りに来れるようになった
・・・こんないい時がくるなんて こんないい時がくるなんて

と、いうのだ。
私はこのことばを聞くたびに、ひとりを引き受ける強さにうたれると同時に、ほんとうにうつくしいものはけっして二人では見られないという、単純な恐ろしい真実を思ってしみじみと泣いたものだ。
悲しかったのではない。その事実は、愕然とするほど美しかったのだ。

そういえばこの歌をつくった矢野顕子も、青森の出身なんだっけ。


・・・どこだ? どこなんだ? あの場所は。
ある一点を求めて歩き回ったがわからない。どの場所がそうなの?
「あれは春の夕暮だつたと記憶してゐるが、弘前高等学校の文科生だつた私は、ひとりで弘前城を訪れ、お城の広場の一隅に立つて、岩木山を眺望したとき、ふと脚下に、夢の町がひつそりと展開してゐるのに気がつき、ぞつとした事がある。(中略) ああ、こんなところにも町があつた。年少の私は夢を見るやうな気持で思はず深い溜息をもらしたのである」
あちこち歩き回ったが、そもそも町が見渡せる場所など殆どない。
ふと、建物の角を曲がった瞬間、目の前に山があった。真正面、風景のど真ん中に、まだ雪化粧の岩木山。
そしてその手前に町が見える。ここだ。
目の前の空間は、山まで何もない。崖っぷちの手すりにもたれて、真正面の山と対峙する。黙って見ていると、いつの間にか視線が落ちて大きく息をついている。圧倒されるのだ。けれど重苦しくはなく、気持ちよく敗北する。
ふと気づくと、弘前公園について以来ずっと、全く自分の内面に意識が向いていなかったことに気づく。私のパニックは、肉体的な自分を細部にわたって意識することが引き金になることも多い。それは閉所恐怖と連動しているのだ。肉体に囚われた自分、というかたちで。
それがこの場所に来て以来、完全に自分を見つめることを忘れ、視線がいつも遠くへ漂っていた。
じーっと山を見つめた。見つめては、眼下の町に目を落とす。また目を上げると、何度見ても飽きない山があった。しみじみと見て、その時しみじみと思った。
・・・ああ・・・・・ハラ減ったw
今日はまだ、新幹線の中で6個パックの薄いサンドイッチをふた切れ食べただけだ。昨日も一日でロールパン1個にお団子2本というとんでもない食事内容だし。なのに私はふと気づけば、時々こうやって何かを見る為に立ち止まる以外は腰を下ろすことすらせずに、ひたすら2時間半歩き続けていたのだ。
既に公園内は、弘前城を含めて見尽くしている。そろそろ帰ろう。西濠沿いの桜のトンネルをくぐって、入ってきた追手門に戻る。ぐるりと一周したことになる。急に疲れを意識したら、一足ごとによろけるほどだ。3時間くらい水一滴飲んでいない。コーヒーが飲みたい。

このまま東京に帰ってもいいくらい、心底満足したなあ。

ホテルにチェックインし、駅ビルで今夜の為の本と和菓子とコーヒーを買って、フロントで薦められた居酒屋へ行く。
とにかく地元のものをと思い、普段は日本酒は苦手なのだが、白梅という地酒を冷やでもらう。そして貝焼き味噌。これは「津軽」にも出てくる料理で、帆立貝の殻を鍋にして魚介のだし汁に味噌をとき、帆立や山菜などの具をゆるい卵とじにしたものだ。津軽では病人食でもあるらしい。けの汁(大根や山菜を細かい賽の目に刻んだ、具沢山の汁物)ももらう。地方の飲食店は量が多いからこれだけでも満腹だが、せっかくだからと山菜(うるい、こごみ、アスパラ、ふき)の天ぷらもいただく。
カウンター内の店員さんがずっと話しかけてくれた。両隣のお客もそれぞれに話しかけてきて、サラリーマンらしい三人連れの一人は「東京に5年いました」と嬉しそうに言った。荻窪にもやたら詳しかったし。

ホテルに戻ったら、携帯の充電が完了していた。実は弘前に着くと同時に充電が切れてしまったのだ。(電波状況の悪い車内でずっとネットとメールをしていたのが原因) なので当然カメラ機能も使えず。(デジカメなんかはなから忘れていた) おかげで逆に無心で花や山のうつくしさを堪能出来た。元々旅行にはカメラを持っていかない(&お土産を買わない)のが父譲りのポリシーだ。
岩木山に向かって放心していた時、横に一度だけ観光客が来て、山を背景に写真を撮っていた。私にとっては雄大な広がりのある空間を、切り取って保存しようとしているのがいじましく感じた。
・・・ま、もっとも私だって、携帯が使えたら一応は撮っただろうけどw

先ほど買ってきた地元の和菓子と濃い林檎ジュース、それとコーヒーを飲んでくつろぐ。
昨夜も2時間も寝ていない。本を読みつつ23時前には寝てしまう。

こんないいところにいるなんて こんないいところにいるなんて  *Angler's Summer / 矢野顕子 (1991) の歌詞。



前の日記へ次の日記へ