Rocking,
Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?
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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)
*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
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2005年11月24日(木) |
I know your image of me is what I hope to be |
20年間ずっとあなたを愛し続けて来た。他にも魅力のある男はいくらもいるけど。でも私は、いわばあなたと結婚したようなものだから。 だから20年間言い続けてきたんだ。「一番好きなミュージシャンはレオン・ラッセルです」って。 それがこの仕打ち?
レオン・ラッセル来日公演最終日を観た。 公演初日の月曜から、観に行かないにも関わらず落ち着かなかった。今日は渋谷に向かう電車の中で泣きそうな気分になり、手も冷たく脈も早まり。 この緊張感が期待だけではないことはうっすらわかっていた。私は、今回のライヴがもしかしたら良くないんじゃないかと思っていたのだ。あまり考えないようにしていたが。 理由は、彼のここ数年のCD及び演奏だ。彼の作品の黄金期は、'70年の1stを頂点として、'75年の"Will O' the Wisp"で終わる。いや黄金期も何も、それ以降のアルバムは殆どベスト盤、ライヴ、企画モノ、未発表音源集ばかりだ。例外は2001年の"Guitar Blues"(考えてみればこれも、レオン・ラッセルのギターが聴けるという企画モノ)だが、ジャケット・デザイン以外特に印象に残るところはない。そして実を言えば私は、レオン・ラッセルは最初の3枚ばかり聴いているのだ。 彼の演奏が雑になり始めたのはいつからだったろう。私はこれまで3回彼のライヴを観ているが、一度目の'91年の九段会館は、音割れがひどかったにも関わらず本当に素晴らしかった。元ダンナとライヴ後に興奮して飲みながら語り合ったのを覚えている。その後の中野サンプラザ、そして厚生年金会館と、次第に興奮度が減っていったのは確かだが。 レオン・ラッセルはいつからか、嫌な意味で、「彼が演奏していれば何でもいい」人になっていった。
2001年に出た"Signature"を2003年に買ってみた。BLACK AND BLUEに持ち込んで聴いて、それっきり二度と聴かなかった。ピアノでのセルフ・カヴァー集という特殊性を味わう以外、特に価値もないアルバムだった。 そして彼のここ数年のアメリカでの映像。「渋い」、「ベテランの風格」、「堂々とした存在感」という言葉はふさわしくても、「感動」、「興奮」という言葉からは何と隔たった演奏だったことか。
開場時間ぴったりに到着し、開演時間には席にきちんと座っていた。喉が渇いて落ち着かない。周りの環境に苛々した。 オーチャード・ホール────何なのよ、このお上品ヅラした会場。ここは前にも矢野顕子を観たことがあって、彼女にこそ似つかわしいが、レオン・ラッセルの雰囲気には全く合わない。何しろ今回レオン・ラッセル公演の前後の出しものが「バレエ」なんだから。──そのせいか、客層が今までで最低に感じる。(後から思ったが、大半の客がレオン・ラッセルを殆ど知らなかったようだ)
殺風景なステージに、前置きもなくいきなりミュージシャンたちが現れる。何か拍子抜け。(同じことをかつてNHKホールでルー・リードが腰がくだけるほどかっこ良くやったことがある。要はやり方の問題だ) オープニングはDelta Lady。音が小さい。こちらに迫ってこない。ああそうですかといった感じ。 ────ああやっぱりな。緊張感が次第に失望へ、そして退屈に取って代わる。 はっきり言えば、途中から、早く終わらないかなと思っていた。
なんてひどい音響だろう。ギターは甲高く、そのくせよく聞こえない。ベースは大きすぎるのにこもっている。 なんてひどい照明だろう。適当以外の何ものでもなく、時々壁にレオンの手の影が大きく映るのが非常にうざったい。 なんてひどい客だろう。一番反応がいいのが"Georgia On My Mind"ってどういうことよ。 なんてひどい演奏だろう。ど真ん中で自己主張し過ぎのベーシストは、何故か何曲もどうでもいいリード・ボーカルを取る。ドラマーはゆっくりした曲になると途端にリズム・キープが曖昧になって、レオンのキーボードに引きずられている。ギタリストはそのどうでもいい演奏以外にも、やたらと右手を高く上げ、脚を若い頃のプレスリーばりにがくがくと振るわせるのが、バンドを間違えているとしか思えず、殺意すら感じる。バックバンドで一番マシなのが娘のティナ・ローズだってのはどうなんだ。その彼女ですら、一曲アカペラで歌わせたのは親馬鹿が過ぎるだろう。(歌い終わった後に"Thank you, daddy."と言ったのは、身の程をわきまえている感じで可愛かったけど) しかしこれら全ての障害があっても、レオン・ラッセル本人にやる気があれば、私はきちんとそれに応えた筈だ。 装飾過多のキーボード、全てが均一のアレンジ(しょっちゅう曲をつなげていたが、どこから曲がかわったのか、曲を知っている人でないと判らなかったと思う)、メリハリもパッションも全くない演奏。
いくつもの名曲が殺されていた。"Hummingbird"では涙が出たけど、単にパブロフの犬状態でこの愛する曲に反応しているだけで、演奏に感動させられたわけではなかった。 ずっとライヴで聴きたくて聴けなかった"Prince Of Peace"は、"Out In The Woods"にくっつけられて、すっかり普通の「ゴキゲンな曲」にされていた。 "A Song For You"は、出だしは一瞬昔と変わらぬ演奏をするかと見せかけるというタチの悪さ。この一曲の中で、彼が昔のパッションの片鱗を取り戻したのはこの一行だけ。 I love you in a place where there's no space or time.
しみじみと思う。20代の頃から年寄りくさいイメージが強かったレオン・ラッセルだけど、実はこの人の魅力というのは、その強烈な攻撃性にあったんだなあ、と。 今は名実ともに年寄りになり果て、これ以上やりたいこともないんだろうか。
結局問題は、彼がこの数年間テーブル着席式の小さなライヴハウスでやってきた演奏を、2,000人入るホールでやってしまったということだ。
だらだらと30曲近くもやる。お仕事ですから、決まりですから、と言わんばかりのてきぱきしたアンコールは1曲きり。 演奏終了後、真後ろの席から「こんなもんなのかなあ」という声がした。
観に来ていた忌野清志郎は、非常に満足そうないい笑顔だったけど。
今回、レオン・ラッセルを初めて観る人がかなり多かったようで、その殆どが肯定的な意見だった。そういう人たちにはこう言いたい。「当たり前でしょう? だってレオン・ラッセルだよ?」 これだけくさしておいて言うが、今回の彼の演奏は、一般的に考えたら相当にレベルは高いのだ。何しろこの筋金入りの本気のロック馬鹿が「夫」と見込んだミュージシャンだ。右手の指が一本折れていたって、そこらのジャリよりはずっといい演奏が出来るだろう。 問題は、こちらがどれだけのことを期待していたか、実際彼にどれだけのことが出来る筈かということだ。
一緒に行ったNN、会場で会ったRBとその連れの女性と、4人で渋谷で飲んだ。今のライヴのショックから立ち直れず、まだ苛々が取れない。
NNとタクシーで高円寺ロックバーCRに移動。オーナーにお願いして、レオン・ラッセルの1stをかけてもらう。Hummingbirdを聴いて涙。
2時にタクシーで新宿へ。Cがもう閉まっていたので、リニューアルしたRSに初めて行く。その後バー「なかざわ」に移動。7時半まで飲む。 (12/1up)
I know your image of me is what I hope to be (君が僕に持っているイメージは、僕自身の理想でもある) * A Song For You / Leon Russell (1970) の歌詞。
* このライヴをご覧になった音楽評論家の方の文章はこちら。
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