Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2005年09月02日(金)  May this be love or just confusion born out of frustration wracked feelings

朝、ワイト島フェスティヴァルのDVDを見る。
1970年は音楽的には一番好きな年だ。けれどこの当時の若者たち―――ヒッピーの残党には我慢がならない。ヒッピー・ムーヴメントは1967年を境に下火に向かったと聞くが、ならば'69年のウッドストックは、彼らに大規模な同窓会の機会を与えたのではないか。それに味を占めた結果、'70年はロック・フェスティヴァルが流行りとなった。
そしてこのワイト島でもまた、気狂いじみた騒乱が起きている。会場を囲む塀の外にキャンプを張り、タダで入れろと騒ぐ群集。(ちなみに音は外側にいても聞こえているし、どうやら高台からはステージも見えている)
ワイト島は現在でも、ロンドンから1時間半のポーツマスから船で行くしかない。当時はもっと交通が面倒だったろうに、わざわざそこまで来ておいて、わずかな入場料を惜しんで、主催者を「資本主義の犬」呼ばわりする。マリファナでラリることと瞑想の区別もつかず、狂信的左翼にすらなれない、集団暴動を起こす「平和主義者」たち。
結局このフィルムの主役は「暴動」。

音楽はジミ・ヘンドリックスから始まる。以前に私がジェフ・ベックのライヴ・レポの中で三大ギタリストのことを書いた時、「ではジミヘンは? ジミヘンのことも書いて下さい」とある人に言われた。(ブラックが苦手な私は、ジミヘンも数曲知っている程度だった)
以前書いたのはこうだ。「ギター職人クラプトンは、ギターを弾いて世界に貢献する。芸術家ジミー・ペイジはギターで世界をつくりだす。ジェフ・ベックにとっては、ギターが『世界』だ」
今回このDVDでジミヘンをじっくり見聴きしてみて思ったこと。
うわあ。この人は、「ギター」だ。
(だからといってジミヘンが他の3人より上という意味ではない。それは牛と革ジャンとどっちが偉いかというようなものだ)

フーが凄まじかった。フーの良さは、映像を見てこそよくわかる。
キース・ムーンを知るまでは、ドラムというのは当然バンドの中心となって、バンドの音全体を引っ張っていくものだと思っていた。ところがキース・ムーンはまるでドラム・セットごと前へ前へとずり出して来そうなほど上ずっていて、逆にボーカルに合わせていながら、なのに恐ろしく自分勝手だ。
見事な指さばきのジョン・エントウィッスルは、地味で冷静でよどみなく見えながら、やわらかいシルクのような異常さを発している。元気印のピート・タウンゼントはベースを叩きつけるかのようにギターを弾く。・・・こんなインパクトの強いメンバーに囲まれては、そりゃロジャー・ダルトリーも、フリンジびらびらの衣装つけるわ。(それでも負けてるけどw)

フリー。一番大人びた格好のアンディ・フレイザーは、この時18歳(ああ可愛いっ)。しかし、前歯の欠けた浮浪者っぽいポール・ロジャースもまだ20歳(ああおっさん臭いっ)。

渋いテン・イヤーズ・アフター、何とも可愛らしく胸に迫るジョニ・ミッチェル、ただ可愛いだけのようなジョーン・バエズ、独特の切れ味の良いリズム感でたたみかけるジェスロ・タル
それらの面々の中にあって、一番燦然と光り輝くというより燃え上がっていたのが―――――

エマーソン, レイク&パーマー
これがデビュー・パフォーマンスだというEL&P。この迫力。このエナジー。緊張感。この美しさ。グリーン(青臭い)の美しさ。
グリーンな筈で、この当時、キース25歳、グレッグ・レイク21歳、カール・パーマーにいたっては19歳。
デビュー当時のEL&Pは美形揃いだが、そんなことは抜きにしてこのパフォーマンスは見る価値がある。
軽く興奮したキース・エマーソンがそわそわとせわしなく動いているのが、ありあまる才能と情熱を身内に秘めかねているようだ。オルガンを傾けて手元に引き寄せ、逆から弾き、それを飛び越えてまた弾く。この、5秒でそれとわかる、「キース・エマーソンの」和音。

フィルムの終盤で、ついに主催者は、塀の外の連中をタダで入れることに同意。その瞬間に多額の借金を背負う身となった主催者が、観客に向かってマイクで言う。"We've lost everything. But when I say 'everything', I only mean money."
彼は言う。僕らは無一文になったが、かまわない。大事なのは君たちがそこにいて、僕らがカネで提供できる以上のものを君たちに与えたことだ。どうか愛と平和を胸に抱いて家路についてくれ。
そして彼は両手を宙に向かって突き上げる。ピース。

―――開き直りか、或いは怒りの余りに錯乱したかと思えるような発言だが。
私はわかる。これが本気だってこと。ひとは、他者に向けての怒り、苛立ち、失望、悔しさがあまりに大きいと、えてして最後はこうなりがちだ。許しがたい相手を許すと決めた時、ひとはエクスタシーに似た気分を味わい、壮絶なカタルシスの中で涙を流す。
ひとはそうやって、とてつもないダメージから自分を救う。

ドアーズは何故、全ての騒乱から離れたところに立っているんだろう。
この超然さが気に入らない。ジム・モリスンは、既に半分この世にいないように見える。
実際彼は約10ヵ月後に死んでしまうのだが。しかしそれを言えば、ジミヘンはこのわずか19日後に死ぬのだ。
(9/21up)

May this be love or just confusion born out of frustration wracked feelings (これは愛か、それとも社会に見放された不満からくる混乱か)  * Machine Gun / Jimi Hendrix (1970) の歌詞。


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