Rocking,
Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?
全日記のindex 前の日記へ |次の日記へ
*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)
*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。
この日記のアクセス数:
*1日の最高=2,411件('08,10,20)
*1時間の最高=383件('08,10,20)
2003年07月14日(月) |
And if the band you're in starts playing different tunes, I'll see you on the dark side of the moon. |
あれは土曜の夜だったのかな? あまり寝ないので、時間がつながっててよくわからないけど。
4ヶ月ぶりで、軽くパニックを起こした。深夜というより未明に近い時間。 アレがやってくるとわかった瞬間の恐怖に比べたら、この世に何も怖いものなんかない。一瞬で全身の毛穴が開く。 体内で獣が暴れ出すようなもんだ。何とかしてなだめないと。一緒になって騒いじゃダメだ。落ち着いて。落ち着いて。
外に出たほうがいい。ドアの前でしばらくためらう。既に悲鳴を上げてしまっていたので、もしかすると誰かが目を覚まして、外の気配をうかがっているかもしれないと思って。 しかしとにかく廊下に出る。夜気がひんやりと、皮膚の上の熱をはらう。 しばらくそこにいたら、何とか冷静になることが出来た。誰も起きた様子はない。ひとつ置いた隣の部屋の前で、大きな鉢植えの変色したヤシの葉が風にさやさやと揺れている。アレを鋏でめった切りにしたら、という発想が浮かんだが、実行はしなかった。
狂気はいつも、ロマンティックなものとして語られる。Crazyという単語は常にラヴ・ソングの中にある。特に女性の狂気。フィッツジェラルドの妻ゼルダ、高村光太郎の妻智恵子、マクベス夫人、オフィーリア。どうしてなんだろう。
特にそのことについて、「何も知らないくせに!」と抗議したいわけではない。他人が何を好むのも勝手だ。 というより、その「狂気」は、きっと私のコレとは違うところにあるんだろう。 じゃがたらの江戸アケミは発狂して死んだ。コレをカリスマとか伝説として捉えるのは個々人の勝手だ。でも例えば、彼が京都公演に向かう列車の中で、素っ裸で便器に頭を突っ込み「俺はゾウリムシ」と言っていた時、それを発見したアケミの彼女の感想は「悲しくなった」だ。この悲しみは、ロマンとは一片の関わりもない。それはうんざりとか、諦めとか、とにかく現実を前にした敗北感だ。
私は絶対にそこに行くつもりはない。仮に自殺することがあっても、はっきりした意識でそれを選ぶつもりだ。
お酒やクスリは、いつでも簡単に入手できて簡単に覚ますことの出来る狂気だ。ジェット・コースターやお化け屋敷と同じ、安全な子供のお遊び。ただメンテナンスをきちんとしないとコースターは脱線事故を起こすし、作り物の幽霊を見て心臓麻痺で死ぬ人もいる。それだけのこと。
現実の話をしようよ。酒もクスリも狂気も、問題はそれが何をもたらすかという結果だけなんだ。あなたが生きてると、歩き回るだけで周りの自然は変形していく。 生きるってそういうことだ。周りのかたちを変えること。良い悪いではなく。ウサギだってそうして生きてる。 そうしてあなたは、どこまでもあなたの中で独りぼっちだよ。
芸術の世界では狂気は高級な精神世界に位置することになっている。ロックでもそうだ。シド・バレットは「狂ったダイヤモンド」と呼ばれた。 お遊びの狂気も同じことで、酒やクスリで死ぬのは、カリスマの必要条件でないにしても充分条件ではある。そこに「殺す・殺される」という暴力的な要素が加わると、カリスマ度は一気に増す。だから、シド・ヴィシャスもカリスマになった。
彼がかたちを変えたのは「ナンシー・スパンゲン」という名の、あまり頭の良くない女の子だ。ジョニー・サンダースに言い寄ったが相手にされず、ジョニー・ロットンに押しつけられたが彼にも歓迎されず、ようやくシドに落ち着いた。いわゆる尻軽かもしれないが、別に悪いことをしてるわけでもない。 彼らが本気で愛し合ってたのか、そんなことは誰にもわからないし、どうでもいい。 ただ現実を見てみる? ナンシーが最後に何になったのかを? シドが彼女をどう変えたのかを?
あなたにひとつの「結果」を見せよう。今度の木曜の24時から2時までの間、このサイトのトップページにナンシー・スパンゲンの死体写真を掲載する。そこにあなたが何を見て取ろうと、あなたの勝手だ。
最後に。私がシド・ヴィシャスを好きなのは、彼が「可愛い」からだ。映画'No Future'でインタヴューを受ける彼は、顔に切り傷をつくり、しきりに鼻をクスンクスンさせ(私はコカインのせいかと思ったが)、至極真面目に語っていた。 子供のように純粋だった。そして子供っていうのは、何をしでかすかわからないものだし、勿論したことの責任も取れない。
悪いんだけど、この長くてまとまりのない文章のオチはないんだ。何故なら私にとってこのテーマは、結論をつけて終われるものではなく、今現在も格闘していかなくちゃならない現実だから。
(この文章は本当に趣旨がまとまっていない。何故なら、実際はこれの何倍もの字数を費やして書くべきテーマを、無理やり日記の分量に押し込んでいるからだ)
And if the band you're in starts playing different tunes, I'll see you on the dark side of the moon (おまえが狂い始めたら、その時おまえは自分の深淵を覗くことになるだろう) *Brain Damage / Pink Floyd (1973) の歌詞。 *アルバム「狂気」より。
前の日記へ |次の日記へ
|