Rocking,
Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?
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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)
*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
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2002年12月18日(水) |
例えば僕が間違っていても、正直だった悲しさがあるから |
夕べはご近所で飲んだ。
1件目。Guys。家から3、4分だが、初めて入る。 入った瞬間に名前を呼ばれる。え? 見れば英語学校の受付嬢のやすこさん。そして一緒にいるのは先生のBrian。あらー。一緒に座って飲む。ジン、ギルビー、ロックで。 家庭的な店で、店中で会話する。谷山さんていうお客さんが、私がロック好きだと知って大喜びで話しかけてくる。ランディ・ローズが一番好きだって。 「フリー知ってます?」 って訊くから、今うちにビデオあるって言ったら更に大喜び。哲が持ってきたんだけどね。 0時閉店。終電で帰るはずの谷山さんは、私がこの後もう1件行くと聞いてついてくる。
Tom Boy Clubに移動。先月哲と1度だけ来た、テンプテーションズやシュープリームスのかかる店。 谷山さんとロック話。スティーヴ・バイ、エクストリーム、ヴァニティ・フェア、ライ・クーダー。私ってほんっと音楽の話を合わせられる。我ながら最近そう思う。「これだけ話が通じる人は初めてですよー!」と言われる。いや、浅ーく通じてるだけなんだけどね、実は。 今日は店主にもちょっとだけ話しかける。何が気にいられたのか、私だけ自家製のキウイを10個頂く。キウイ好き。果物だけ食べて生きてけるなら、それでもいいくらい。 お支払い、谷山さんが1万円近く払ってた。わー。二人ともジンをばかばか飲んだからなー。ボンベイ、タンカレー、ゴードン、ギルビー、全部ストレートで。「お酒、すさまじく強いですね!」と言われる。気のせいだよ。
2時閉店。谷山さんちにCDが1000枚、DVDも多数あるから、これから行こうと誘われるが、断って帰る。
家に帰って、何となくフリーのビデオを見る。谷山さんがベースが好きだって言ってたな。そうそう、アンディ・フレイザー可愛いのよね。髪形も服装も動きもレイ・デイヴィスに通じるヴォードビル性がある。本読みながらたらたら見てたら、ビデオが終わって。止めないでほっといたら、何と残り部分に入ってたらしい「音楽の正体」が始まるし。 懐かしい。これ10年くらい前だね。この頃のCXの深夜って毎日ほんといい番組流してた。「TVブックメーカー」、「アメリカの夜」、「バトラーの受難」。「やっぱり猫が好き」はオープニングが矢野顕子、エンディングが忌野清志郎。「子供欲しいね」はテーマ曲がニール・ヤング! 今は週に1分もTVを見ない私だけど、当時はそれなりに見てたのね。 「音楽の正体」はほぼ全回見たはずだけど、強烈に覚えてるのは吉田拓郎の「結婚しようよ」の回だけ。そしたらその回が入ってた。わ、嬉しい。
まずは三和音のお話から。トニック、サブドミナント、ドミナント。懐かしい。ついでカデンツ。どうよ、C-F-G-Cだけで何でも出来ちゃうでしょ? 代理和音てのもあるわけですよ。サン・サーンスの白鳥、綺麗でしょ? 全ての音楽は1度(C)から始まって1度に帰る。ビートルズの"All My Loving"はそれを嫌って、あえてDmから始めたんですよ、と言われてちょっとうっとり。 倍音のお話。何故「C-F-G-C」ががっちり出来てるのかの説明。ここまでの説明に番組の殆どを使い、ほぼ終わりに近づいた時に一気に「結婚しようよ」を持ってくる。
妙に素直な笑顔の、若い拓郎の画像を映して、曲を流す。C-G-Am-C。あれ? 3番目のコードが代理和音の6度(Am)だ。 「ここで世間はあっと驚いたのです」と、近藤サト。 本当かよ!!と、10年前と同じ突っ込みを入れる私。 曰く、6度は1度の代理和音であるから、1度の代わりもしくは1度の次に使うのが正しい。逆の6度から1度という流れは音楽理論上ありえない、と。 何故6度→1度がダメなのか、例え理論についていけなくても、耳で聴けばはっきりしている。この流れは間抜けなのだ。女々しくて弱い。未解決のままおめおめと古巣に戻る。無責任な'70年代モラトリアムそのもの。
ところがここからたった1分半の間に、番組が一気に盛り上がる。「結婚しようよ」がかかる。控えめな男性のナレーションが入る。ここを要約することがどうしても出来ないので、全部そのまま掲載する。
「AmからCの不安定な進行の上に、キーワードの『結婚しようよ』が乗ってきます。不安定な進行の上に乗っているだけに、肝心なプロポーズの言葉も説得力を持ちません。他の歌詞も現実感のない夢見がちな言葉ばかり。肝心の結婚しようよという言葉が重みもなく流れていってしまう。これでいいのだろうかという不安な頼りなさが漂います。ところがこの後現れる最後のサビ、ペアルックのシャツを干すという生活感の描写を4−5−1の基本カデンツで語り、しかもそこに『結婚しようよ』という言葉を入れ込んでいるのです。曲のクライマックスで安定感のあるカデンツの中にプロポーズの言葉を入れる。実によく作られています。では最後のサビをどうぞ」
ははは。 泣いた。 10年前も泣いたよ。思い出したけど。 あのね、こんなのフロイト並みの誇大妄想だよ。 「二人で買った緑のシャツを僕のおうちのベランダに並べて干そう」のどこが現実的なのよ。他に負けないくらい不安定で頼りないでしょうが。 ただ私を泣かすのは、ここで語られている'70年代フォークそのものだ。少しうろ覚えだが、ある日本のクラッシクの大家(だか、作家)が当時のフォークを評してこう言っている。 「その虚無感、責任感のなさ、言語感覚の貧しさは筆舌に尽くしがたい。故に、殺意に近い憎しみを感じる」 ────そしてこれこそが正に、私の考える'70年代フォークの真髄なのだ。不安定な進行の上の、説得力を持たない言葉。現実感もなく夢見がちに流れる。不安定な頼りなさが漂う。
──無理やりな結論はいらないよ。そのサビも馬鹿げた夢のまんまだよ。平和な夢の真ん中に置き去りにされて、あんた達はみんな、どうしたらいいかわからずに、何の現実的な知恵も力も持たされずに、子供どうしで恋をしてたんだね。やわらかい木で出来た、切れやすい弦のギターを持って。似たような無意味な言葉を口ずさみながら。大人という生き物が本当にいると信じて。ひと時だけ、甘い自我の存在を信じて。
確かなことなど何もなく、ただひたすらに君が好き (流星)/ 吉田拓郎
例えば僕が間違っていても、正直だった悲しさがあるから *流星 / 吉田拓郎 (1979) の歌詞。
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