Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2002年12月17日(火)  思い出話を少々

新宿ロックバーRSの辻くんに電話して、今朝の件を謝る。全然怒ってない。なんていい子だろ。
それより私だよ。遅刻癖なおせよ。

ロックバーRSといえば。
私がまだ19歳の、多分3月。当時大阪にいた先輩(b)に電話した。ベースの腕は問題ありだったが、見た目がかなり好みだった。私は彼のバンドのボーカルとつきあっていたのだが、彼の方が好きだった。何だそれ。
その彼が電話で言ったのだ。「東京にいるのなら、新宿のRSっていう店が面白いから行ってみれば?」
この一言。この一言さえなけりゃ。

速攻で行った。一人で。初回はカウンターでジンライムを飲み、店員と友達になった。二回目からは他人のテーブルに座りこんで一緒に飲むという荒業を繰り出し(当時RSは平日でも混んでいたので、一人でテーブル席を取るのは無理だった)、どんどん常連と友達になっていった。いつ一人で行っても、誰か知り合いがいる。週に3〜5日は通った。

ある日、珍しく女友達と二人でSRに行った日に、初めて高橋(g)と出会った。高橋はジョン(彼ともこの時が初対面)と飲んでた。あちらに誘われ4人で飲む。閉店時には高橋と二人だった。そのまま彼の部屋に行き、3日間いた。3日めに帰ったのは、うちにマルがいたからだ。いくら水も餌もたっぷりあったからって、ひどすぎる。帰ったらにゃあにゃあ怒る怒る。
彼氏(vo)に電話して、別れると言って激怒される。

それからの毎日は、RSと高橋の部屋の往復。二人の時もあれば、菅谷くん(drs)が加わって三人の時も。RSにいようが部屋にいようがやることは同じ。ロックとお酒。それだけ。
当時RSはウイスキーが1,900円でキープ出来た。だからお金のない私たちがあんなに入り浸れたんだ。皆ほんとに金がなくて、MSGのCDを買うから何日か食事を抜いたなんてのはよくある話だった。高橋なんて家に電話もなかった。誰もまだ携帯なんか持ってない頃。

5月に、私は一人でRSにいた。高橋と切れようと決心して、むしゃくしゃして。こんな日に限って知り合いが誰もいない。
長髪の男の子(g)に声をかけ、テーブルに座らせてもらったら、この子が何と高橋の親友と判明。あらま。
彼はもう一人の長髪の男の子と来ていた。背が高くて茶色の髪。痩せて鎖骨が浮いてる。べろべろに酔っ払って目がいってた。バンド何が好き?と聞いたら「ガスタンク」と答えた。これが後のうちのダンナ(b)である。

その後、私は高橋と切れるのに失敗。それどころか彼はギターケース抱えてうちに転がり込む。往復はRSとうちに変わった。相変わらず菅谷くんがからむ。彼は彼で私を散々くどく。彼は自分では気づいていないだろうが、高橋を崇拝していて、高橋のものが欲しいのだ。

漸く高橋をギターケースごと追い出すことに成功。あの直前の時期は何だか忘れられない。ポール・サイモンディランビートルズストーンズツェッペリン────特にポール・サイモンのダンカンの歌。それからビートルズのホワイト・アルバム。二人でもうこればかり聴いていた。私は彼の前では24時間緊張していた。彼のことが好きだった。だから追い出した。

8月。ダンナと一緒に暮らし始める。

高橋は私の友達としての位置を取り戻す。おかしなことに、私たち皆でバンドを始めた。私(vo)、高橋(g)、ダンナ(b)、菅谷くん(drs)。また見事にパートがそろってたもんだ。ライブもやった。私は掛け持ちで別のバンドもしてた。ライブの打上げは当然またRS。

RSにいると感覚がおかしくなる。常連同士で飲んでたりすると、そちらへの仲間意識の方が、ダンナとの関係より優先したりする。高橋もこの仲間意識を利用して、私との距離を縮めようとする。当然それらは全てダンナに伝わり、彼は私がRSに行くのを歓迎しなくなる。
結局それから数年かけて、ゆるやかにRSから遠ざかっていった。ダンナの方はとっくにRSに興味をなくしていた。
しまいには年に一度も行かないようになり。
更に数年間行かない状態が続き。

今年の8月はじめにダンナが失踪。9月にRS通い再開。今じゃご覧の有様である。

ほんとにあの店さえなけりゃ、私の人生変わっていたはず。ここに書けないようなことも山ほどあった。何て充実した、何て馬鹿げた日々だったろう。
もう当時の常連は、ジョンを除けば誰一人いない。皆どこかで生活をしているのだ。
私だけが舞い戻って来た。生活から浮き上がって。



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