Jacarandaの日記
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2004年11月12日(金) 中東和平の行方



11月11日午前3時半(日本時間同11時半)、

パレスチナ自治政府とパレスチナ解放機構

(The Palestine Liberation Organization =PLO)の

ヤセル・アラファト議長が、

入院していたパリ近郊のペルシー軍病院で死去した。

75歳だった。

葬儀はエジプトの首都カイロで行われ、

自治政府の議長府があるヨルダン川西岸ラマラに埋葬されるそうだ。

アラファト議長は、イスラエルとの戦闘と和平交渉を通じ、

パレスチナの自治独立に一生をささげ、独立国家の樹立を目指してきたが、

道半ばにして病に倒れたことになった。

35年に渡る解放闘争のシンボルであるアラファト議長の死去が、

停滞する中東和平、パレスチナ情勢に与える影響が注目される。

--- 毎日新聞(11/11)---


 
アラファト議長は、イスラエル人を狙ったパレスチナ武装勢力の自爆テロの多発などにより、

2001年12月以来、イスラエル軍の監視下、ラマラの議長府で事実上の軟禁生活を送っていた。

高齢のうえ、長期間の不健康な生活環境によって最近は体調を崩すことも多かったという。

10月29日、血液疾患の悪化などで病状が急変し、フランス・ペルシー軍病院に移送されていた。



アラファト議長は、1929年エジプト・カイロ( 自称エルサレム)生まれ。

1948年のイスラエル建国と第1次中東戦争を機にパレスチナの抵抗闘争に参加。

カイロ大工学部卒業後の57年、

クウェートでパレスチナ人解放組織「ファタハ* 」の母体を創設した。


* パレスチナ人を代表する政治組織であるパレスチナ解放機構(PLO)の
最大派閥で、アラファトPLO議長(自治政府議長)の支持母体。
正式名称は「パレスチナ民族解放運動」。
特定のイデオロギーは持たず、純粋にパレスチナの解放を目標とするため、
民衆の幅広い支持を集める。
1950年代後半にアラファト氏らがクウェートで旗揚げした。
64年のPLO創設以降、その中核を担い、
反イスラエルのゲリラ活動で支持を獲得。
2000年9月のパレスチナ騒乱発生後に軍事部門の「アルアクサ殉教者部隊」が創設され、
自爆テロを繰り返している。





イスラエルがヨルダン川西岸などを占領した

67年の第3次中東戦争後、

本格的にゲリラ戦を指揮し、69年にPLO議長に

選出された。

その後、パレスチナの内紛やイスラエルの攻撃に

遭いながら、ヨルダン、レバノン、チュニジアを転々とし、

イスラエルへの対決姿勢を強めた。


アラファト議長は1988年11月15日に

西岸とガザを領域とするパレスチナ国家の「独立」を宣言。

しかし、1991年のマドリード中東和平会議と1993年の中東和平の大枠を定めた

オスロ合意(パレスチナ暫定自治協定)をきっかけに、イスラエルとの共存を目指す和平路線に転換。

93年のオスロ合意の調印の際、米ホワイトハウスでイスラエルのラビン首相(当時)と

歴史的な握手を交わした。

この政治決断に対し、94年にイスラエルの故ラビン首相、ペレス外相(当時)とともに

ノーベル平和賞を受賞した。

しかし、1995年11月にイスラエル・ラビン首相が、ユダヤ教過激派学生に暗殺されてから、

中東和平への道は、また暗礁に乗り上げられた感があった。

96年にパレスチナ暫定自治区* の初代議長に選出され、財政と治安権限を握るワンマン体制を貫き、

治安問題などでイスラエルとの対立が再燃した。


* 人口:西岸約190万人、ガザ地区約102万人(98年)、宗教:スンニ派のイスラム教徒




2000年9月末、パレスチナとイスラエルの衝突が発生し、インティファーダ(反イスラエル抵抗闘争)を

放置し、これを是認する立場をとったため、

イスラエルは01年12月、議長を和平の障害とみなして交渉を絶ち、

米ブッシュ政権も02年6月、イスラエルへのテロを抑え込むのに消極的だと退陣を求めた。

パレスチナの若い世代からも独裁ぶりや腐敗、不明朗な資産管理などに批判が噴出、

晩年の権威は揺らぎがちだった。

2003年4月には米国を中心とした中東和平行程表(ロードマップ)が発表され、

自治政府もイスラエルも受け入れを表明したが、相次ぐテロと報復攻撃の連鎖で、

中東和平は宙に浮いた状態が続いている。

--- CNNニュース(11/11)参照 ---



アラファト議長にとって、イスラエルからの占領地の奪還とエルサレムを首都とする

国家独立が最大の目標だった。

1969年にPLO議長になった後は幾多の政治的、身体的危機をくぐり抜け、

「 中東の不死鳥 」と呼ばれ、波乱の生涯だった。

---- 朝日新聞(11/11)参照 ---




また、イスラム原理主義組織ハマスは、アラファト・パレスチナ自治政府議長の死去は、

対イスラエル攻撃継続への決意を強めるものだ、と表明した。

ハマスは声明を発表し、

「 偉大なる指導者の喪失は、敵であるシオニスト* に対する勝利と解放が

実現するまで聖戦と抵抗を続けるという、われわれの決意と姿勢をより強固にするだろう。」

と述べた。

ハマスは、自爆攻撃などの対イスラエル攻撃を行っているパレスチナ主流派で、

イスラエルはハマス一掃を表明している。

( ロイター ) - 11月11日 -


* シオニズム(ユダヤ民族祖国再建運動)を推し進める人




一方、彼に反目するイスラエルでは、

ユダヤ人たちは、「テロのマスター」と呼んでいたアラファト・パレスチナ自治政府議長の死に

敵意と軽蔑を投げかけ、多くの親族の死は議長に責任があると非難した。

ラビド法相は、数千人ものイスラエル人の死を招いたり、

イスラエル人とパレスチナ人との和平合意を阻止した議長を憎むとした上で、

「議長が世を去ったのは良いこと。彼が世界と中東を離れることは良いことだ」と述べた。

( ロイター) - 11月11日 -



12日、カイロで営まれたアラファト前パレスチナ自治政府議長の葬儀は、

一般人の立ち入りを禁止し厳戒体制で行われた。

アラブ各国は元首級が参列しパレスチナ問題重視の姿勢を示すも、米国はバーンズ国務次官補の出席、

その他ヨーロッパ諸国の参列者は、外相レベルの参列にとどまり、

イスラエルは代表を送らないなど、( 日本政府の参列者は、エジプト大使 )

葬儀は評価の分かれる議長の波乱の生涯を象徴していた。

--- 毎日新聞(11/12)---




パレスチナ問題は、

非常に長い歴史と複雑な民族闘争の歴史の中から

発生したものである。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三大宗教の

聖地エルサレムを巡る

ユダヤ人とパレスチナと呼ばれるこの地に住むアラブ人との

抗争は、有史以来の長い経緯がある。

第二次大戦後のイスラエル建国は

ユダヤ人にとっては悲願の達成であった。

しかし、パレスチナに住むアラブ人にとっては

土地を追われ流民となる、新たな悲劇の始まりだった。



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パレスチナ人:イスラエルの建国と共にパレスチナのイスラム教徒と

キリスト教徒の多くは難民となり、残りは、新しいユダヤ人国家の「少数民族」に転落した。

「パレスチナ人」とは、このようなアラブのイスラム教徒とキリスト教徒のことで、

ガザ地区とヨルダン川西岸に( エルサレム内を含む)が居住し、

西岸、ガザ地区、そして周辺のヨルダン、シリア、レバノンに、国連に認定されているだけで、

計400万人以上(2002年7月現在)の難民がいる。



ユダヤ人:一般にユダヤ教を信じる人たちを指す。

イスラエルの公用語の一つはへブライ語。

イスラエルへの帰還を保証する法律には「母親がユダヤ人、もしくはユダヤ教に改宗した人で、

他の宗教を信じていない人」と定められている。


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宗教の違い、民族の確執、領土問題が複雑に絡み合う問題に、

戦後の米ソ両大国の思惑も加わり、

パレスチナ問題は、20世紀後半の国際紛争の象徴となった。

そしてソ連が崩壊し冷戦構造崩壊後も、

絶えず紛争が続く中東地域は、

世界の火薬庫であり続けたのである。

1995年のイスラエル穏健派・ラビン首相の暗殺後、

中東情勢は振り出しに戻り、現イスラエル・シャロン首相の急進的な反パレスチナ政策と

アメリカ・ブッシュ大統領のネオコン(新保守主義)の体制が、さらに過激な民族闘争へ拍車をかけてきた。

パレスチナにとってのカリスマ的存在だったアラファト議長が亡くなった今、

後継者がアラファト議長ほどの尊厳と武装勢力に対する安定した統制力を

持つ事を期待することは難しいところである。

そして、この後継者の手腕の如何により、パレスチナ(ファタハ)内部闘争が起これば、

ますます危険な状況に陥る。



アラファト議長不在後の中東情勢は、

ブッシュ政権の対パレスチナ政策の方向性も含めて、

イスラエルの対パレスチナ闘争をどう制御するか、

PLOに属さないハマス、イスラム聖戦を代表とする過激武装集団の動きをどうコントロールするのか、

国連やアフリカ諸国のパレスチナへの対応姿勢、ヨーロッパ各国の動向、イラク情勢等、

国際関係の大きな転換期である。

今後の世界の動きを見守って行かなければならないと思う。



** その他参考資料:地図で見る中東情勢










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