早いもので今日から6月ですね。 朝のニュースで能登半島地震発生から5か月が経過し、現在もまだ多くの方々が大変な生活を強いられていると伝えていました。 改めまして、1日も早い復興を心からお祈りいたします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今日は四門出游についてお話をしていこうと思います。
お釈迦様が釈迦族の太子であったころのお話です… 約2500年程前のインドに生まれたお釈迦様は太子(王子とお考え下さい)でした。 豪華な生活をなさっておられ、美味しい食事や美しい女性に囲まれ、何も困る事のない贅沢な暮らしをされておりました。
ある時、城の外の暮らしをみてみたいと思ったお釈迦様は、家来を連れて城の東西南北の門(4つの門)から出かけてみることにしました。
まず初めに東の門から出かけてみますと、歯が抜け、腰が曲がり杖に頼って歩く哀れな老人に出会いました。城の外にでたことがないお釈迦様は連れてきた家来に「あれは何者なのだ?」と尋ねました。 「老人でございます。全ての人間はいつか年を取りあのようになるのです。」と家来は答えました。 お釈迦様は城に戻り老いの苦しみについて深く考えました。
また別の日に次は、南の門から出かけますと、道端に倒れている病人に出会いました。 そこでお釈迦様はまた家来に「あれは何者なのだ?」とお尋ねになりました。 「あれは病人です。人間はいつか病気にかかりあのような姿になるのです。」と家来は答えました。
次に西の門から出かけると、お葬式の行列に遇いました。 「あれは何者なのだ?」とお尋ねになりました。 すると家来は「あれは死人でございます。人間はいつか死んであのようになります。」と答えました。
お釈迦様は深く考え込んでしまいました。 人間、誰でもが必ず老いる、老いの苦しみを痛感し、また人間は病むという病苦の現実を実感し、人間は必ず死ぬものなのになぜ生きていくのだろうかと死苦の現実をまざまざと見せられ、どのような人間でも老いて、病に苦しんで、いつかは死んでいく、なのにどうして人間は生まれてくるのだろうか… 贅沢をするような生活ではなく、本当の意味で幸せになるのはどうしたらいいのだろうか…と深く考えました。
最後に北の門からでかけますと、質素な身なりの出家した修行僧に出会いました。 身なりは質素でしたが、穏やかな清々しい表情をする修行僧をみてお釈迦様はハッと気づいたのです。
『人は限りのある命を己の欲を満たすためだけに生きるのではなく、老いや病気や死が訪れるとわかっていてもそれを超えたところにある普遍的なものを求めるために生きているのではないか。』 『老いても病んでもいつか自分が死ぬとわかっていても心がそれに左右されない人生を…』とお考えになられ、準備を整えたのちに出家なさいました。
四門出游は仏教において根底にあるもの “苦悩からの救い“を示しています。 全ての人間が避けることができない苦悩、人生における悩みに対してどうしたらいいのか、どのような心の在り方が心の平安をもたらすのか等を、 生きている私たちに対してお釈迦様が説かれたのが『仏教』なのです。
私どもの身代わり念珠や祈祷や供養を執り行って下さっておられる六明師は高野山真言宗の僧侶であり、私がこうして皆様にお伝えしているお話は六明師から教えていただいた仏教の教えが根底にあります。
生きていれば自分ではどうしようもない悩みが出てくるでしょう。 そんなときは一人で悩むことはやめて、いつでも私にご相談ください。 心が折れてしまう前にその悩みを私にお聞かせください 私はいつも貴方を見守っております。
杏珠
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