mortals note
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唐沢 『タイムボカン』のように見る側と作る側が切り離されているというのは、ほぼ全てのアニメーションに通じる形ですよね。『ヤッターマン』のように、視聴者とあそこまで遊びながら作った作品は、唯一なのではないかと思います。ちょうどプレオタクから今のような後期オタクに移行する中間地点だったんですよね。自分達の存在を認めてくれる人たちが作品を作っているんだという、わくわくした喜びを持った世代だったからこそ、奇跡的にできたことだと思うんです。ただ、あまり時代に密接化してしまうと、古びるのが早いという欠点もある。今やアニメは商品ですから、あまり長く作らずに2クールぐらいで終わってしまいます。それは、再放送とパッケージングをしやすいようになんです。あまり長い作品だと再放送がしにくくて、どうしても二次使用がしづらい。だから、短く作ってまずは一纏めにしてしまうのが、一番効率的にお金を回収できる方法なんです。昔は人気があればずっと続いていたんですよね、『ヤッターマン』なんかは108週続いている。そのおかげで再放送しにくいという欠点はあるんだけれども、
ほとんど何年にもわたって、土曜日の18時半に、テレビを合わせればヤッターマンをやっているという。生活の一部に組み込まれちゃっているという形ですよね。それがあったっていうのは、サザエさんみたいな特殊なものを除けば、正義のヒーローもののアニメとしては、こういうものというのはあの時代だからこそ、アニメーションが商品としての一番能率的な・経済的な消費の仕方をされる直前のあの時代だったからこそ、ファン達もよりアグレッシブに作品にかんでくるという時代の息吹というのかな、今見ると古いんだけど懐かしくて涙が出てきますね。あの時代がよみがえって」
尾崎「今はおっしゃっていただいたとおり、1クールか2クールの作品が多い中で、時々1年やるものもあるじゃないですか。1年ぐらいあれば、ヤッターマンのようにお客さんと共にコミュニケーションしながらというアニメが作れると思うんですが、今は向こう側とこっち側で切り分けられちゃったアニメしかないというのは、見る側が成熟してしまった、ということなんでしょうか」
唐沢「成熟というのを通り越して、ちょっとすれてしまっているんですよ。ネットの荒らしのようなものですよ。ああいうふうに視聴者の声を大胆に取り入れるというのは、ある程度作り手と視聴者の間に信頼関係というものがなければいけないし、声を出すほうも「俺たちが作ってやってるんだ」と天狗になるのではなく、ただ、反映してくれているのがうれしいという、そういうものすごい蜜月の関係があったからで。今の人たちって言うのはすれちゃってますから、逆にいうとサービスしてもらって当たり前というところがある。そうなってくると、たとえば作品とブログというようなものを上手くやれば、今もっと面白いことができると思うんだけれども、グレンラガンのような例があるように、変な言葉尻を捕らえるという問題とかそういうのがあって、また、ファンがあまりにも長い間、1970年代が終わって、80年代から2000年にいたるまでの数十年間、ずっと続けてアニメーション作品が、オタクたちの方を向き続けて作品を作るというのが続けられすぎたがゆえに、ファン達が、こういうとファン達が怒るかもしれないけれども、ファンが増徴している。「俺たちによって成り立っているんだ」という。それは、正しいんですよ。オタク的なファン層があると、下駄を履かせることができるわけですよ。DVDやグッズの発売なんかで。だから、そういうような意識があって、ある種作っているほうがまさかこちらにこたえてくれるとは! というドキドキ感とかワクワク感とかハッピー感とか、そういうのがなくなっちゃってるんですよね」
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