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2007年10月17日(水) ヤッターマン2

尾崎「作り手のほうもかなり変化しているんですかね?」

唐沢「なぜかというと、そういうことが当たり前だと思っていたファン達が成長して、今作り手になってしまったから。昔は、作り手はプロ、見るほうはファン、というそこに明確な線があったんだけれども、日本のアニメーションというのは何故この短期間にぐっと質を上げて、世界に誇れるものに成長したかというと、作り手と受け手の距離というのが非常に短かった。だからこそ、こちらの声が即作品に反映され、そしてその反映された作品の感想や批評なんかが、ネットなどを通じてすぐに全国に広まる。そういう、きわめて距離が短い、悪く言えば同じ括弧の中にファンと作り手が両方いる、という状況があるので、それが非常に作品を先鋭化してくるというのは確かなんだけれども、逆に括弧の外にいる人たちには分かりにくいものになってくるということと、パワーがなくなってくる、ということ。下駄を履かせているという安心感がある程度あるということで、とりあえず、何がうけるかというのは分かっているわけだから。今は完全に、どういう声優さんや作画監督をおさえるかということで、大体視聴率が何%かというのがわかってしまう。そういう計算も市場の成熟があるから分かっちゃうんですよね。60年代とか70年代前半というのは、逆に作るほうも手探りで作っているから、下手をすると視聴者が置いていかれるという作品が一杯あったんですよ。伝説のとか、幻の、とか言われる。混迷期にはそんな作品がたくさんあるわけですよ。ガンダムが生まれるその前に、ザンボット3だとかダイタン3だとか混迷化した作品がたくさんあって、中には何でこんなものが生まれたのか、と今でもちょっとという作品がいっぱいあります。カムイ外伝だとか。そういう玉石混交のなかから、なんとか玉だけを拾い出すっていう、玉が出るのを幸運で待っているのではなくて、なんとか、こういうのが見たいんだという声を制作サイドに伝えられないかな、という思いを僕たちはアニメの初期の頃から持ってきたわけですよ。その、作り手と受け手の両側の比重が平衡した、はかりがつりあったっていう時期が、77~78年あたりで、ここに出てきた作品でヤッターマンというのは本当に象徴的だったと思いますね」

尾崎「それはさっきおっしゃってたように、タツノコだからというのはあるんですよね、きっと」

唐沢「タツノコという、アマチュア的な好奇心とプロ的なすさまじい技術の高さ。プロというのは案外、こんなものでいいだろうというところがあるんですけれども、それを必要以上に凝ってしまうアマチュアイズムというようなものがいい具合にあったということがあるかもしれませんよね。こう言っては悪いけれども、あの頃の東映動画ってプロの集まりみたいな形で、ある意味、非常に見て驚きがないというか。安定はしているんだけれども、見て驚きがない作品ばかりだったんですよ。ところがガッチャマンって、特に最終回近くになってくると、大人向きとしか思えないような深刻なストーリーで、何しろレギュラーキャラクターのひとりが不治の病にかかって死んでしまうというあたりだとか、政治を巻き込んだりして、人間の汚さだとかを巻き込んだむちゃくちゃなストーリーになっていって、あれは大きな会社だと絶対に、上のほうから何をやっとるんだ、ということになるでしょう。小さい会社であって、ファンとの交流が近しい会社であったからこそ、こういうの! って望めば、反響が大きいからやっちゃおうってことができたっていうことでしょうね。同じようなことをガッチャマンとは反対の、重くするのではなく軽くするという方向に行ったのがヤッターマンだったんだと」

尾崎「これは書き方に気をつけなければならないんですけど、タツノコの黄金期があって、そこからI.G.とかに別れていって、タツノコっていうと今は版権で食べてるっていう感じになっちゃってるじゃないですか。その辺って、やっぱりそのあたりが仇になっているんでしょうか」

唐沢「タツノコの罪というのもあるし、逆にアニメーションの業界全体が、ファン達を取り入れつつ、作品をきちんとパッケージングするということの方面に向いてきて、完全に業界先行という形にまたなってきちゃったということがありますよね。そうすると、面白いことをやりたい、刺激的なことをやりたいという人たちにとっては、なにもできなくなっちゃうという状態ではあるんですよ。ファン達も今までわあわあ言ってる世代が変化してきて、アニメファン自体が特化して、キャラとメカとというこのふたつの方向にいっちゃって、全体になにか新しいものを求めるような第一次、プレの世代っていうのがあんまり発言権がなくなってきちゃったっていうのがありますね」

尾崎「まあ、萌えキャラであったり、ガンダムみたいなメカであったり」

唐沢「それの原型みたいなものは、ヤッターマンにもあるわけですよ。メカは毎回出てくるし、ヤッターワンのデザインもなかなか斬新なものがあるし。キャラで言うと、元祖萌えキャラといわれるアイちゃんがいますし。そういう要素っていうのはあって。もし、この蜜月時代がもっと続けば、と考えることがあるかといえば、それはあんまりないんですよ。やっぱりこれはこうなっちゃうよね、と考えてしまうわけですよ。だからこそ、あの時代に奇跡的に、他のところの系列とも似ていない、タイムボカンシリーズはあれからも続きますけど、その中のどれとも違うヤッターマンという独特のテイストが生まれたんじゃないのかなと言うふうには思います。


如月冴子 |MAIL

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