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2005年04月26日(火) 夢喰い 【イレギュラー】 第十一話

【第十一話】


 目が覚めたら、昼を回っていた。
 いまだ、ぼやける視界で天井を見上げ、要は今、自分が今どこにいるのかが分からなかった。
 しとしとと、雨の落ちる音がしている。
 閉ざされたままのカーテンから、うすぼんやりとした光がベッドの上に射していた。
 枕もとにおかれた目覚し時計を持ち上げて目の前にさらしてみる。
 驚いた。
 そして、焦った。
 昼休みも終わる時間だったのだ。
「うそだ」
 呟いていた。
 短針と長針を何度も見比べてから、むくりと上半身を起こした。
 布団を退けて、ベッドを出る。
 階段を駆け下りて、居間の扉を開け放つと、ちょうど煙草に火をつけていた同居人と目が合った。
「なんだ、もう具合はいいのか?」
 素っ頓狂なことを言われて、要は固まった。
「ぐあい?」
「しんどいから休むって、朝」
 うそだ。
「その調子だと、もう大丈夫そうだな。学校には連絡入れといたから」
 咥え煙草のまま、成瀬一馬は間続きになっているキッチンに消える。
 居間の扉を押し開いた形のまま、要はしばらく呆然としていた。
 全く覚えがなかった。
「どうした?」
 台所から引き返してきた一馬が、入り口で固まっている要を見て怪訝そうに眉をひそめる。
「あ、なんでも、ない」
 立ち去ることも出来ずに、要は居間に踏み込んだ。
 ふらふらと、覚束ない足取りでソファーにたどり着いて、ぽすりと沈み込んだ。
 ずぶりと沈むような錯覚を覚える。二度と立ち上がれないような気がした。
 おおきく吐息をついたら、溜息のようになった。

―――宿題。

 多くを語らずに差し出される手を、気がつけば思い出していた。
 僅かな痛みが胸を刺す。目を閉じて、絡まりつく情景を振り払おうとした。
 やさしく、されたわけじゃないんだから。
 期待もしていなかったはずじゃないか。
 週刊誌に書かれていることは、ほとんど正しい。
 軽蔑されても、憐れまれても、仕方がない。全てのひとに受け入れてもらえるはずがない。
 神田勝利が、少し前に自殺した友人と自分を重ね合わせて、こちらに手を伸べていたのだとしたら、全て納得がいく話じゃないか。
(僕のために、じゃなくて)
 肩越しの向こう側、誰かを見ていたのだとしたら、こんな自分に手を伸べてくれた理由もわかる。
 だって、気色悪いいきものだもの。そんな理由でもなかったら、受け入れられないだろう。
 持って生まれた力も、体の中に棲んでいるもうひとりの自分も、一年前までの箱庭での生活も、全て特異で異質で奇怪だ。
 溶け込めるなんて、思っていなかった。
 何事もなかったかのようにぬくぬくとあたためられて、ふざけて笑いあうことなんて、許されないと思って―――いや、許したくなかったのだ。
 ぼんやりと、両の掌を見つめてみる。
 自分がしてきたこと。無意識のうちだとしても、許せるものではなかった。
 そんな生き物が、当たり前のように友達に囲まれて笑っている、なんて。
 信じてなんかいなかったよ、そんな奇跡のようなこと。
(本当に?)
 ぽこり。
 水面に浮かぶ泡のように、疑問符が浮かんできた。
 両の拳を握るようにして、また、下らない考えを振り払おうとする。
 あたりまえじゃないか。
 一体自分がどれだけのことをしてきたのか、忘れたつもりなのか?
 母親に―――一体何をしたのかを。
 産んでくれた人のことを思い出すと、急に泣きたくなる。
 それでも、囁きは食い下がった。
(本当に、期待していなかったのか?)
 揺さぶりをかけてくる。きつく瞳を閉じて、必死にそれを振り払おうとする。耳を貸さないようにする。
 当たり前だ。自分のことを、誰よりも自分が許せないのだから。
 簡単に許されて、受け入れられるなんて―――。

―――本当に?

 静かに、囁きは問いかけ続けた。
 本当に期待していなかったと言えるのか。
 たとえば、毎朝教室の扉を開けるときに感じていた、あの絶望感。むなしさ。
 おはよう、と。声をかけられた瞬間に体中に走った電流のような感覚。じわりと広がったくすぐったさ。
 そして今。
 どうしてこんなに、脱力感を感じている? 何を悲しんでいるんだ?
 初めから何も求めていなかったのなら、つまはじきにされても虚しさを感じる必要なんてないだろう。
 構われて喜ぶこともなかったし、何より、こんなふうに悲しむ必要なんてない。
 期待が全てを運んできたんだ。
 虚しさも喜びも悲しみも。

 本当は、本当は、本当は―――。
 受け入れられたかった、んじゃないのか。
 無理だと、諦めているつもりで本当は。
 欲しがってたんじゃないんだろうか。

 他愛もない話をして笑いあったりだとか、つまずいたときに励ましてくれたりだとか、何よりも、この胸の内側に抱えた全てを吐露しても、離れずにいてくれるんじゃないか、とか。
 奇跡のような期待をどこかでしていたんだ。

(本当は、傷ついてるくせに)
 自分のもののような、他人のもののような声が宣告した。
 ほろっと、見下ろした掌に何かが落ちた。
 重みを持った水分が、重力に引きずられて落下した。
 要は、無駄な抵抗を諦めて、受け入れた。

 友達になれるんじゃないかって、思っていた。

 こんな自分を受け止めてくれるんじゃないかって。
 無邪気に焦がれた夢が、やっぱり叶わないものだと気がついて、しらしめられて、だからこんなに苦しいんだ。

 頬を、水の流れが伝って顎を辿って落ちる。
 水の通ったあとが空気に触れて、ひやりと冷たい。
 唇を噛んで、必死に嗚咽を堪える。肩が細かく震え始めた。
 このままここにいたらいけない。
 勢いで、ソファーから立ち上がった。
「要?」
 いぶかしむ声も、無視する。
 荒々しい足取りで居間を横切り、部屋を出た。
 階段を駆け上がり、突き当たりの自室に飛び込んで、仰向けにベッドに転がった。
 ようやく、堪えていた嗚咽が飛び出した。


 傷ついてるなんて、認めたくなかった。



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【続く】


如月冴子 |MAIL

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