mortals note
DiaryINDEXpastwill


2005年04月23日(土) 夢喰い 【イレギュラー】 第九話

【第九話】


 夕方から降り出した雨は、夜通し雷を伴って暴れまわり、次の日の朝までしとしとと続いていた。
 重い体を引きずって、要は教室のドアに手をかけた。
 肌に触れた金属の部分が、やけに冷たく感じられる。
 一呼吸、置いた。
 週刊誌の一件があったときの覚悟とも、神田勝利と挨拶を交わしたあとの高揚ともまた違う。
 妙に冷えた心地がしていた。
 横滑りに、いつものように扉を開いた。
 向けられる幾つもの視線が、今までとは違う気配を含んでいるように感じられた。

 みんな、そんなふうに思っていたんだろうか。
 自殺したタカハタという誰かの代わりにされているんだ、と。
 ここ数日、皆そう思っていたのだろうか。
 かわいそうに、と。憐れまれていたのだろうか。
 急に、要は叫び出したい気持ちになる。
 同情を寄せられるぐらいだったら、怯えられて遠巻きにされたほうがマシだ。
 自分だけ何も知らずに、やさしくされて喜んでいたなんてそんなの、惨めじゃないか。

「よぉ」
 気楽な挨拶に、憂鬱な思考が分断される。
 人懐こい笑みがそこにあった。
 屈託がなく、明るい。
 昨日までは、その笑顔を向けられるとくすぐったい気持ちになっていたけれど、今は違った。
 ちろちろと、小さな炎が胸のうちで燃えている。
 それは苛立ちかもしれない。
 自分の向こう側、どこか遠くのために、その笑顔が向けられているかもしれない。
 そう思うと、相手の顔がまともに見られなかった。
 うん、と素っ気無い相槌だけうって、要は椅子を引いて座った。
 一瞬、勝利が呆気に取られた顔をしたのが、視界の端に見えた。
 戸惑う気配が、隣から漂ってくる。
 要は、左側を意識からはずす努力をした。
 そうすればそうするほど、敏感にそちらの気配を感じ取ってしまうというのに。
 戸惑っているのも、こちらに声をかけようとするのも、気配で知れてしまう。
 こちらの機嫌を伺おうとしている勝利の気配が、尚更気に障った。
(放っておけばいいじゃないか)
 得体の知れない、転校生のことなんて。
 無理にかまってくれなくったっていい。
 誰かの代わりにするぐらいだったら、あからさまに遠巻きにされたほうがいい。
 勝利が躊躇っているうちに、以前よりは幾分か顔色のよくなった担任が教室前方の扉を開いた。
 出席をとっている最中、いつもならば小声で宿題を要求してくる声も、なかった。
(すっきりした)
 これで、元通りだ、と思った。
 左側に頬杖をついた。


            *


 時折伺うような視線を左側から受けながら一日を過ごし、授業が終わるとすぐに帰途についた。
 雨は上がっていたが、雲はどんよりと空を覆っていた。
 ただの荷物になった傘を引きずるようにして、住み慣れた家の玄関までたどり着く。
 鍵を差し込んだところで、要は急に憂鬱な気分になった。
 こんな日に限って。
 ひとりになる時間が欲しかった。何も考えないで、ぼんやりとしていられる時間が。
 家ならば、夜まで誰にも会わずに済むと思っていた。
 鍵を仕舞いこんで、要は扉を少しばかり手前に引く。
 予想通り、扉はあっさりと手前に開いた。
「……ただいま」
 更に扉を大きく開いて、その向こうに声をかけた。
「おかえり」
 居間の方から返答があった。
 無意識のうちに、要は嘆息していた。
 すきまから体を滑り込ませるように玄関に入って、しっかりと内側から鍵をかけた。
 傘立てに傘を突っ込み、のろのろと靴を脱いだ。
「カズマ、鍵」
 うかがうように居間の扉を開いて、声をかけた。
「ん?」
 家主は、ドアから左手側にある応接用も兼ねるソファーにいた。
 目を通していた新聞から顔を上げて、要のほうを肩越しに振り返る。
「鍵、開いてた」
 言葉を覚えたての子どものようにみじかく、要は告げた。
「ああ、ごめん」
 読みかけの新聞をたたんで、家主は詫びた。
 そしてそのままじっと、要の顔を見る。
 居心地が悪くなって、要は眉間に皺を寄せる。
「なに」
 不機嫌を前面に押し出して、要は訊いた。
「最近、あまり顔色がよくないな、と思って」
 たたんだ新聞をソファーの上に置いて、成瀬一馬が腰をあげる。
 要の背中を、冷たいものが一気に流れて落ちた。
 思わず一歩、後ろに引こうとする足を、必死に食い止める。そんなことをしたら、相手が余計にいぶかしむ。
(だから会いたくなかった)
 変なところで勘が鋭い。全て見透かされているような気になる。
 必死に取り繕ったとしても、そんなもの、全て無駄な努力だと言われているような。
「気のせいじゃないの?」
 上手く笑えただろうか。
 唇の端を持ち上げた感覚はあるけれど。
 歪んだ笑いになっているような気がした。
「じゃあ、宿題あるから」
 今は、これ以上顔を合わせていないほうがいい。お互いのために、それが絶対いい。
 何よりもひとりになりたかった。
 話を切り上げて、踵を返しかけると。
「要」
 呼び止める声があった。
 振り返らずに、ただ立ち止まる。
「何かあったんじゃないのか?」
 労わるような声が背に掛かった、次の一瞬、自分で自分の感情が分からなくなった。
 何かが、胸の内側で大きな爆発を起こしたことだけはわかった。
 けれどもそれが怒りなのかかなしみなのか恥ずかしさなのか、他の何かなのか。その全てなのか。
 ただ、目の前が真っ白になった。
「カズマには関係ないよ、かまわないでよ!」
 咽喉がカッ、と熱くなったような気がした。灼けるように。
 急激に発生した熱は、咽喉から一気に頭のほうへ駆け上る。目頭が熱くなった。
 泣きそうだ。
 様々な感情が絡まりあっている中で、それだけは分かった。
 泣き顔を見られるのは嫌だ。
 逃げるように、居間の扉を閉ざした。叩きつける勢いが、耳障りな騒音を生む。

 階段を駆け上り、二階のつきあたり、宛がわれた自分の部屋に飛び込んだ。
 閉ざした扉に背を預け、ずるずるとへたりこむ。
 怒っているのか、悲しんでいるのか、それとも?
 ぐちゃぐちゃしていて、収拾がつかなくて、自分の気持ちがわからなかった。
 泣きたいのか、喚き散らしたいのか、何かを傷つけたいのか。
 全てのような気がした。
 抱いた膝に、額を押し付けた。

(カズマに怒鳴ったって、仕方ない)
 ただの八つ当たりだ。分かってる。
 分かっていても、どうしようもなかった。
「……最低だ」
 同情されることも、過度に庇護されるのも気遣われるのも、いやだ。
 けれど、一番いやなのは、善意で伸ばされる手まで乱暴に振り払ってしまう自分、なのだ。


-----------------------------------------------------

【続く】


如月冴子 |MAIL

My追加