mortals note
DiaryINDEXpastwill


2005年04月17日(日) 夢喰い 【イレギュラー】 第六回

【第六回】


 目の前で、美術準備室の扉が閉ざされる。
 上履きの音が遠ざかってゆくのを聞きながら、気づけば嘆息していた。
 集団心理と言うものが、いまいち都佳沙には理解が出来ない。
 群れを作るということ自体、鬱陶しくて仕方がないというのに。
 群れがないと何も出来ない心理は分からなかった。

 孤高であることを、幼い頃から義務付けられていた。銀という家の束ねになるものとして。
 束ねであるということは孤独であるということ。
 そうあるために、自我を、芯をしっかりと確立することを常に求められてきた。
 だから、あまりにも周囲の同世代の人々とはスタンスが違いすぎる。
 強気な発言は躊躇うくせに、口さがない噂ばかりは音速で飛交う。
 互いの顔色をうかがって、どちらがわにつくかを決める。
 学校とは、魔窟だった。
 理解の範疇を越えている。
 数が力だという方程式が成り立つ場所だ。
 正直居心地は良くないし、肩が凝る。
 どうしてこうも、息苦しいのだろう。
 陰鬱な集団生活に耐えるということが、義務教育なのだろうか。
(無理をしている)
 先程まで向き合っていた少年の、暗い顔を思い出す。
 彼が無理をしていることなど、一目瞭然だった。
 大丈夫だから、という言葉に説得力はなかった。それでも都佳沙が引いてしまったのは、下手に触ったら悪い影響が出るかもしれないと思ったからだ。

 この部屋から、足を重そうに引きずって出て行った背中。彼と出会った、一年程前のことを思い出す。
 同い年なのだろうか、というのが正直な印象だった。
 人に支えられていなければ、立ってもいられないような頼りなさだったのだ。
 叔父である男に連れられて踏み込んだ、昔馴染みの家の中に、彼はいた。
 居間に踏み込むと、途端に怯えと警戒を全身で伝えてくる。その所作は、無力な小動物のようにも見えた。
 物陰に、全速力で駆け込むような怯え方だった。
 自分以外のものに対して発せられる威嚇と警戒。
 大きな瞳に、かわいそうなほど怯えを宿していた。
 本当に同い年なのだろうか。全身が、子どもっぽい。そんな気がした。
 子どもであることなど、許されずに都佳沙は育った。
 自我を持った頃から常に一個人として扱われ、甘やかされた記憶もないし、甘えたいと飢えた記憶もなかった。
 旧家銀の次の跡目として、幼い頃から縁戚やかかわりのある家に連れて行かれていたから、自覚が芽生えるのも早かった。
 そんな都佳沙から見れば、目の前の怯えの塊は、頼りない以外のなにものでもなかった。
 本当に、生き残っていくことができるのだろうか?
 今はまだ、庇護されているからいいかもしれない。けれど、一歩外へ出れば、外界は天敵だらけだ。
 己の身を守る術を身につけなければ、すぐに喰われる。

 同い年だし、修恵に通うことになるだろうから、何かと面倒を見てやってくれないか、というのが叔父と昔馴染みの知り合いからの頼みだった。
 保護しなければならないのかな、と。
 ぎこちない自己紹介と握手を交わしながら、億劫に思っていた。
 人の世話を焼くことが一番苦手なのだ。しかも、相手は幼い頃から自宅の敷地から外に出たことがほとんどないという相手だ。
 手が掛かるのは目に見えている。
 自分以外の誰かのことで、面倒を被るのは御免だ。
 内心で、冷酷に薄情に、そんなことを思っていた。
 詳しい話を叔父から聞いて、彼の生い立ちには心から同情した。それと同時に、厄介で面倒だとも思った。
 未だ時折発作のように、彼の内側に住むもうひとりが現れて、今の保護者と派手な喧嘩をすることもあると聞いた。
 いつ爆発するかも知れない爆弾を看ていろと言われたような心もちがしたのだ。
 そんな暇はない、と。自分のことだけで精一杯だと。都佳沙は思っていた。
 突発的な爆発に巻き込まれるのは御免だ―――。

(だけど、どうしたっていうのかな)
 都佳沙は戸惑っている。
 厄介事はごめんだと思っていたはずなのに、未だ不安定な爆弾である英要という少年を、どこか放って置けない自分がいる。
 絶対多数の口さがない噂話という、陰険な凶器が気に入らないということもあるのだろう。
 けれど、決してそれだけではなく。
 英要という少年の存在が、その行動や言動が、新鮮で刺激的であることもまた、認めなければならない事実だった。
 幼い頃から外界との接触を断たれて育った少年は、周囲の人間が「当たり前」と受けとめる物事に対しても疑問を持つ。
 そんな彼に何かを尋ねられるたびに、答えに困る自分もいた。
 分かっているつもりで、実は本質までは理解していないことに気づく。
 新しい発見だった。いつもはっとさせられる。

 また最近では、要も随分と都佳沙に慣れてきたのか屈託なく話し掛け、頼りにするようにもなってきたと思う。
 頼られるというのは重いものだと思っていたのに、どことなくくすぐったいと感じてしまう自分にも、都佳沙は戸惑っていた。

(これ以上、何も起こらなければいいけど)

 本鈴が鳴って、ようやく都佳沙は美術準備室を後にした。



-------------------------------------------------------

【続く】


如月冴子 |MAIL

My追加