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2005年03月27日(日) IE/047 【INTEGRAL】 6

6.Rendezvous/スポットライト


 アナスタシアは、ホールの分厚い扉を押し開ける。
 音を逃がさない仕組みの扉は、ずしりと重厚だ。
 非常灯の緑が、ステージまで続く緩やかな段差を彩っていた。足元だけがかすかに明るい。
 照明の落とされたホールは、下ろしたてのやわらかな座席が無数に並んでいる。
 なんとも言えぬ真新しい建物の匂い。
 深く息を吸い込みながら、アナスタシアは一段、段差を降りた。

「やぁ」
 気安い声が、広いホールに良く反響した。
 舞台は真新しく、ぼんやりと白い。
 一筋のスポットライトが、舞台を照らし出した。
 アナスタシアは、色素の薄い瞳を僅かに細め、その明るさに耐える。
 円形に照らし出されたステージに、黒い影がひとつ、浮かび上がった。
「ようやく会えたね、聖女様」
 芝居の途中のように、影は両手を大きく広げた。
「貴方が、ヴリトラ―――?」
 靴の裏に、柔らかい絨毯の感触を踏みしめながら、アナスタシアはゆるい段差を下る。
「そう呼ばれているね」
 線の細い男が微笑した。
 距離を詰めるうち、端正に技巧を凝らされたらしい顔が視界に飛び込んでくる。
「王子に会ったわ」
 客席の段差を下りきり、舞台の下から、アナスタシアは黒いスーツ姿の男を見上げた。
 へぇ、と少し感心した素振りをして、舞台上の役者がステージの縁に近づいてきて、腰を折った。
 アナスタシアを覗き込むように、しゃがむ。
「元気そうだったかな?」
「貴方は、彼を脅かそうとしているのね」
 質問には答えずに、アナスタシアが言った。
「私が今、そうされているように、貴方もまた、彼を食い潰そうとしている」
 唇の端をゆるめて、ヴリトラはただ、笑う。
 慈愛の女神のような、やわらかな微笑だった。
「貴方は、私を殺してくれるの?」
 銀の瞳に、まるで感情を感じさせない様子で、アナスタシアが物騒なことを言う。
「君はどんな最期がお望みかな?」
 食べ物の好みを問うように、穏やかな微笑のまま、ヴリトラが尋ねる。
「大勢のひととメディアの前にして。ヨシアの聖女アナスタシアが、誰から見ても死んだと分かるように。聖女がいなくなったと、ヨシアに分かるように。彼らの目を覚めさせないといけないのよ」
「目を覚ます、ね」
「聖女が老いもせず、朽ちず、死なずに生き続けていると人々は信じている。神の所業だと、ね」
「だけど、そうやって国民を束ねているのがヨシアだろう。絶対的な力で多くの意見をねじ伏せる」
「このままでは、駄目になる。上から押さえつづけると、いつ大きな反発が返ってくるのか―――」
 男とは思えぬ白い手が伸び、アナスタシアの顎を捕らえる。
 形の良い顎を、上向ける。
「君にはまだ、未来が見えるのかな?」
「貴方の未来は、混沌としていて、よく見えない」
「結構」
 含み笑いを残して、ヴリトラは指を引いた。
 がちん、と金属がぶつかるような音がして、照明が落ちた。



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【続く】


如月冴子 |MAIL

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