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2004年11月15日(月) |
IE/047 【INTEGRAL】 4 |
4.WHERE?/消失
―――あなたなのですか。 ―――そうだったら、一体どうするの。
国賓ふたりの意味深な会話を咀嚼している暇は、なかった。 荒々しくハンドルを左に切る。市街へ続く道に、ほぼ直角の軌跡を描いて滑り込んだ。 後方で派手な音が上がった。 バックミラー越しに盗み見ると、量産型の普通車が角を曲がりきれずにガードレールにめり込んでいる。 後続はどうやらいないようだ。恋はようやく、詰めていた息を吐き出した。 「大丈夫スか?」 後部座席に声をかけた。 「ええ。平気です」 幾分か強張った声で、アナスタシアが応える。 振り返るのがなぜか憚られて、バックミラーを覗くと、少女は荒々しい運転など別次元のことのように、しずかにシートに座っていた。双眸を閉ざし、華奢な両手を膝に重ねて乗せている。 (慣れてるのかね) 大通りに車を向けながら、胸中で恋は独白する。 命を狙われて、どうしてここまで落ち着き払っていられるのかが不思議だった。 それほどまでに”狙われ慣れて”いるのか。
ヨシアは、一神教国家である。先の大戦後、前世紀の大国たちは、次々と自らが開発した兵器によって自滅してゆき、人々が生活可能な大地は激減した。いくつもの国が統合し、世界は見違えるほどに変わった。 ヨシアは、国と同じ名を持つ一神教の信者のみでまとめられた小国である。戒律のきびしいヨシア教は、細かくいくつもの宗派に分かれており、国内の治安も良いとは言えない。 決して外に開かれた国ではない。 隣国であるマティアでさえ、その動向がほとんど伝わってこないのが実情である。 どうして今、そのヨシアの聖女がマティアになんか? ヨシアにおいて、聖女は象徴である。国主である教皇に次ぐ地位を持ち、通常は世間に姿を現さない人物が、今の時期に外遊に訪れる理由が見つからない。 何をしに来たんだ?
《047、この車からアンタのIDを感知してるんだけど、乗ってる?》 車に搭載された端末から艶っぽい女の声が流れ出した。恋は考え事を止める。 聞き覚えのある声に、思わず深々と嘆息した。 色気に溢れた女の声は大歓迎なのだが、彼女には、必ず要らないオプションが標準装備だからだ。 《オイ、乗ってんだろうがよ、返事しねぇか、ガキ》 「フォル姐さん、ドーモ、お久しぶり。俺はどこにいけばいいの」 威勢のいい男の罵声は完全に無視して、恋は艶声に挨拶した。 《テメ、先輩をなんだと―――》 《そのまま西の03エリアにあるロイヤルハルクホテルに向かって。あたしたちは今アンタの後ろにつけてるから。邪魔が入るようならあたしたちが対応する。アンタは指定場所まで着くことだけ考えんのよ》 「了解」 《頑張んなさい》 フォルてめぇ、横から口はさんでんじゃねぇ。 ぷつり、と通信が途絶える間際、男のぼやきが遠くで聞こえた。煩い先輩だ。 「身内です。すいませんね、うるさくて」 返事はなかった。 聖女とお供は、まるで先ほど交わした会話が嘘のように、シートに座っていた。彫刻のように、微動だにせずに。 (なんか、調子狂うな) 襟元のネクタイを、恋は乱暴に引き抜いた。七五三とは、もうオサラバだ。 相棒に綺麗にまとめて、後ろに流してもらった整髪料塗れの髪を掻き乱した。これでいつもどおりだ。ネクタイを助手席に放り出すと、交差点を右に折れた。
ロイヤルハルクホテルのある界隈は、完全に郊外である。 首都第三カリッサは、海の只中に作られた人口海上都市。当然、四方を海に囲まれている。 倉庫や工場、市場が多く立ち並ぶ東地区に比べ、西側にはイベント会場やらホテルやらがひしめいている。 件のロイヤルハルクホテルは、海に面した高級ホテルとして名高い。国の要人御用達であり、今までにも国賓が何度も宿泊していることでも有名だ。とても庶民に手の届くような宿泊施設ではない。 それゆえ、周囲には人気はない。確かに、住宅街などに比べれば、何か起こったときの被害は少ないだろう。しかし同時にこちらの負担は大きくなる。人目につきにくいということは、敵方も大胆になる可能性が高い。 「あなたはどう思っているの」 林立するビルの群れから離れると、建物の密度がまばらになる。 薄曇りの空が車の頭上に開け、傍を走る車の気配がなくなった頃、唐突に少女が口を開いた。 バックミラーで後部座席を伺うと、少女は真っ直ぐに恋を見ていた。 「はい?」 不快をあらわに声に混ぜて、恋は訊き返した。 揺らがぬ水面のような、淡々とした少女の声は、この状況には不似合いすぎた。狙われているのは自分だというのに、これではまるで他人事だ。恋は苛立った。 「なぜ貴方は生きているの?」 「な―――」 唖然として、恋は声を無くした。 「……お得意の説法かなんかですか?」 からかうような調子を声音に込めて、慌てて取り繕う。が、滲み出した動揺は隠し切れなかった。 僅かに上ずった声で答えてしまってから後悔した。ヨシアでは、決まりきった問答なのかもしれない。 「どうして今も生きているの。―――その体で」 揶揄にも動じず、アナスタシアは繰り返した。 「あなたには信じられないかもしれないけれど。私には、見えるの」 一体何が―――見えるというのか。 なぜか、恋はそれを聞き返すことが出来なかった。 恐ろしかった、のかもしれない。 「あなたは、”どうして生き残った”のかしら」 少女は薄く、微笑していた。
影。 黒い影が、突然前方に倒れこんできた。 悲鳴を声に出す暇もなく、恋は思いっきりブレーキを踏み込む。耳障りなタイヤの擦れる音と、どっ、と鈍い衝撃を伴って、車が真横に滑ってから、止まった。 まるで蹴り開けるようにドアを開け放ち、恋は車の前方に回りこんだ。 半ば車の下敷きになっているものを覗き込むように、地面に片膝をつく。 ぶつかった衝撃からだろうか、腕の服と皮膚が破れ、鉄の組織が覗いている。 ありふれた警備員の装いは、街のそこここに配置されているガードロボットの正装だった。 ビルやマーケットの出入り口を警備していることの多いそれがなぜ、こんな郊外にいるのか?
「どうした!」 後方に荒々しく車の止まる音。それに続いて、怒声のような男の声。 恋は顎を持ち上げて、車の陰から後方を振り仰ぐ。 見覚えのあるスーツ姿の男が駆け寄ってくるところだった。黒い短髪の、目つきの悪い男。 「こいつがいきなり目の前に倒れこんできたんで」 同僚で先輩あるところの梶原左ノ丞は、素早く恋の傍まで回り込むと、地に伏しているガードロボットを見下ろして、眉を持ち上げた。 「なんでコイツがこんなところに」 「俺が知るか」 事情を説明して欲しそうに左ノ丞が後輩の顔を覗き込む。それを、すげなく恋はあしらった。 「……テメェ、それが先輩に対する態度か」 “国家公務員”というよりは”頬に傷を持つ人々の幹部”という顔つきで、左ノ丞は上目遣いに恋を睨みつけた。 「一遍お前とはじっくり話しなきゃならんと思って―――」 「恋、サノスケ!」 叱りつけるような女の声だった。艶っぽい女の低い声に叱られて、二人ははたと顔を上げた。 ボンネットをはさんだ向こう側に、長身を黒のボディスーツに包んだ女がひとり、立っていた。 ワインレッドの髪を背に流し、ともすれば厳格にも見える美貌できつくこちらを睨み据えていた。左の目元にある泣き黒子が、幾分か表情の厳しさを緩和してはいたが。 これでサイボーグだというから恐ろしい。 「言い争っている場合なの?」 左ノ丞のパートナーである補佐用サイボーグは、険しい顔つきで車内を顎で示した。 促されるままに立ち上がり、車内を覗き込んで、恋は愕然とした。 「お姫様は一体どこに行ったのかしら」 Fo-L02が示した後部座席には、昏倒した男がひとり倒れているきり。 眩しすぎる聖女の姿は、幻のように消えていた。
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【続く】
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