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2004年10月23日(土) |
IE/047 【INTEGRAL】 3 |
3.SILVER/造作物
乱れ飛ぶ髪が、視界をちらちらと妨げる。 鼓膜を圧迫するような気圧の変化に、王室エージェントは眉をひそめた。 人には聞こえぬ音波を動物たちは聞き取るとは言うが、もし”犬笛”というものが聞こえるのだとしたら、このような圧迫感に違いないと、恋は思った。 音叉を鳴らすのにも似ている。
風をまきあげて、黒い巨大な塊がゆっくりと下降してくる。 マティア公人専用のエアポート。果てもなく続く灰色の滑走路の只中に、先日届けられた”七五三”のいでたちで、恋は立っていた。 巨大な獣がうずくまるようだと漠と思う。 黒く塗りつぶされた中型のジェット機の頭のあたりには、蛇をかたどった紋章が金色で施されている。 ヨシア聖公国の専用機だった。
やがて、飯田恋と相棒の眼前にタラップが下ろされ、そして。 白銀が現れた。 圧迫感を、感じた。錯覚だろう。 深く、息をつく。 専用機の入り口に立ち、下界を見下ろした小柄な少女。 なぶるような風に、眉の上と肩下あたりできっちりと切りそろえられた銀の髪がさらさらと流れた。 清浄な、圧迫感だった。息苦しい。 清さの塊が、滑るように段差を踏みしめて、やがて地に足をおろした。 恋の傍らを通り過ぎて、初老のいかめしい男が進み出た。顔中が威圧感を発しているような、冗談の通じなさそうな男だ。 「聖女アナスタシア・エレミア様。私は王室執務官アーノルド・グレゴリと申します。女王の代理として僭越ながらお迎えに参りました。本来ならば女王自らお迎えにあがるのが礼儀なのでしょうが、ご存知の通り女王は何分―――」 「承知いたしております」 すずやかな声が執務官の言葉を遮った。 「どうかお気遣いくださりませぬよう。お出迎え感謝いたします、グレゴリ卿。この度はご迷惑をおかけいたします」 整った顔立ちで、まだあどけなさすら残した少女が微笑した。 少女の傍ら。背後に控えるようにして、いつのまにか男が立っていた。 黒の上下に、胸にヨシアのエンブレムがある。端正な顔立ちはしかし、作り物のように味気がなかった。 「わたくしの側近の、キエフトです」 アナスタシアが、男を半ば振り仰いで、言った。味気ない顔のままに、男は頭を下げる。なめらかな黒髪が、目を隠すほどにこぼれかかった。 「それではこちらからもご紹介いたしましょう。滞在中、貴女の身辺警護を務めます、王室付エージェントで」 グレゴリは、わずかに体をずらした。 恋は、少女と向き合う。 「飯田です。―――彼女は、エージェント補佐用サイボーグで、Fi-Me017」 「どうぞ簡単に、フィメとお呼びください」 恋の傍で、補佐用サイボーグが丁寧に頭を下げた。 「ありがとう」 少女は、恋を見ていた。 見透かすような銀の瞳から目を逸らせずに、恋も見つめ返す。 恋、とフィメが背中をつついた。ようやく名乗っていないことに気がついた。 「飯田、です」 愛想のかけらもなく名乗った。 上品に口元をゆるめて、アナスタシアは笑む。 「あなた、不思議ね」 身のうちまでも見透かすように目を細めて、凛と通る声が言った。 「俺、ですか」 「そう。不思議なオーラだわ。おもしろい」 面白い? 理解しかねて恋は正直に眉間に皺を刻む。 「きっと、貴方のゆくさきにも」 まばたきが緩慢だ。濃い睫毛に彩られた銀の瞳が、恋を見据えた。 「近いうちに、変革が訪れる」 「予言っすか?」 居心地が悪くて、自棄ッぱちのような返答をする。視線だけで丸裸にされるような心持がする。背に、フィメの刺さるような視線を感じた。あとでおそらくお小言だろう。 「そう」 動じる様子もなく、聖女は微笑んだ。 「そのとき、貴方がどうするのか、私にはとても興味があるわ」 どういう意味なのかと、相棒の小言を恐れずに聞き返そうとした。その次の一瞬。 けたたましい爆発音とともに、足元が揺れた。 音を頼りに、恋は背後を振り仰ぐ。 背後にしたエアポートのビル。全面硝子張りの美しい長方形の中ほどから、黒い煙が上がっていた。 「飯田!」 鋭く、グレゴリが声を上げた。 「エレミア殿をお連れしろ。場所は、後ほど指示をする」 「ええっ!?」 「それが任務だ。行け!」 「恋」 傍で、フィメが促した。 肯かないわけには行かないだろう。 「こちらへ」 有能な補佐官が、隣国の聖女を促す。小さく首肯して、小柄な少女はサイボーグに従った。 側近という生気のない男も、それに付き従う。
手近に停めてあった黒塗りの公用車に手をかけたところで、恋は、こちらに近づいてくる黒い影を見とめた。 未だ黒煙を上げるエアポートビルの方向から、地を這うような影が一直線にこちらへ。その影の進路を阻もうとしたガードロボットが、派手に体と片腕を切り離されて地面に転がったところで、恋はそれが訓練を受けた人間なのだと気がついた。 「早く乗ってください」 運転席のドアを開き、少し乱暴にフィメが、恋を押し込んだ。 「お前っ……」 乱暴にドアを閉められる。 フィメは後部座席に貴賓たちを押し込んでいる只中だった。 「行ってください。私は残ります」 ガードロボットをなぎ倒して近づいてくる黒い影を見据えたまま、フィメは言った。 「訓練を受けている暗殺要員です。近くにいてもらっては庇いきれないと思われます。出来るだけ、遠くへ。後ほどグレゴリ卿から連絡も行くでしょう。分析の結果、強化はされていますが、生身の人間です。私ひとりでなんとかなるでしょう」 「フィメ」 「援護要請は出しておきました。他のエージェントとその補佐用アンドロイドが途中で合流するでしょう。荒事は、私の仕事です」 視線だけを寄越して、フィメは艶然と微笑んだ。 こういうとき恋は、彼女が機械仕掛けであることを忘れる。 「……メンテ行ったばかりなんだからな。腕一本も、壊すなよ」 素直に気をつけろ、というのも気が引けて、意地の悪い言い方をする。 相棒は慣れたもので、「気をつけます」と答えた。 じゃああとで、と短く言葉を交わして、恋は車の端末に自分のIDカードを飲み込ませる。 「あなたなのですか」 車の傍らからフィメが駆け出す背を見送ったところで、耳が、低い男の声を拾った。 バックミラー越しに後部座席を見る。 作り物めいた男が、聖女を見ていた。 男が話すのを恋は初めて聞いた。 聖女は後部座席に沈んだまま、双眸を閉ざしていた。 やがて、ゆっくりと両の目蓋を持ち上げ、白銀のまぶしすぎる瞳で、側近を見上げた。 「そうだったら、一体どうするの」 聖女は、微笑しているようにも、見えた。
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【続く】
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