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2004年10月16日(土) |
IE/047 【INTEGRAL】 2 |
2.HOTLINE/753
「護衛ぃ?」 口唇で火のついていない煙草を咥えたまま、気抜けした声を上げる。 キャスター付きの事務用椅子に逆さに座り、背もたれを抱えるというだらしのない恰好で、だ。 四方八方に散る薄茶の髪が、同色の瞳の視界を邪魔するほどに顔に零れかかっている。二十も半ばと思われる男は、そのだらけきった体勢のまま、自室の壁に埋め込まれたモニターと向き合っていた。 《お前も知ってるだろう、ヨシアの聖女が今週末からマティアを訪問する》 モニターには立派なデスクが映っている。濃い茶で、なめらかな光沢の。上質なものだ。 そのデスクにあまりにも不似合いな人影が鎮座していた。技巧を凝らして作られたと思われる人形―――のような少女だった。 ぱっちりと大きな瞳は薄い紫で、ゆるいウェーブのかかった栗色の髪が肩から胸のほうへとこぼれかかっている。縦ロール。 幼い指を頬杖の先で組み合わせるようにしてこちらを凛と見つめているが、愛らしい体には似合わない体勢だった。 「知ってますけど。まさか、俺にその聖女サマの護衛をしろって?」 咥えた煙草の先にようやく火を灯しながら、恋(れん)は視界を侵食する前髪を後ろに掻きやる。 《その通りだ。今日は飲み込みが早いな》 「……」 にっこりと、大層愛らしく微笑されて、返す言葉も見つからないまま恋は紫煙を宙に吐き出す。 冗談のつもりだった。冗談にしておきたかったのに。 「い」 《詳細はこちらで伝える。一時間後だ。遅れたら今回の報酬をカット》 嫌だ、も「い」の字で阻止される。 「課長〜」 《遅れるなよ》 ぷつり。取りすがるような情けない声も完璧に無視して、モニターは漆黒に染まった。 しばらく物言わぬモニターに映る自分の姿を凝視して、のろのろと恋は椅子を立つ。 「現在時刻」 《午後六時四十八分 です》 誰もいないはずの室内からデジタルの女の声が返った。沈黙していたモニターに緑の文字が浮かび上がる。「18:48」。 「面倒くせぇ。要人の護衛なんて他の奴らにやらせろっての」 部屋の隅に寄せられたベッドに近づく。サイドテーブルの灰皿に煙草を押し付けて消すと、Tシャツに手をかける。 「恋、入りますよ」 ずるりとTシャツから頭を抜いたところで、落ち着いた女の声と扉の開く音。両腕にまだTシャツを絡めたままという中途半端な半裸で、恋は恨みがましく扉を振り返る。 「……お前なぁ、断ってからドア開けるまでが短すぎるっていつも言ってるだろ」 「いつも言いますけど、若い女性のようなことは言わないで下さい。見られて貴方に被害が出るようなものでもないでしょう」 文句は常套句で切り返された。 さらに言い返すことも敵わずに、恋は無言で腕からTシャツを抜き取ると、ベッドの上に放った。 美しい金髪を胸のあたりまで伸ばしたスーツ姿の細身の美女は、後ろ手で扉を閉ざす。 「さすが有能な相棒。迎えにきてくれたってわけか?」 「恋は目を離すとすぐに脱走しますから。それと、これを届けに来たんです」 「届けに?」 届けられるような荷物に覚えなど全くない。近づいてくる美女の気配に向き直ると同時に、何かを押し付けられた。押し付けられるままに受け取ってしまう。 「今回は公式任務なので、これを着用のこと、とのことです」 青い双眸の目元に笑みを浮かべると、美貌は一層華やかさを増す。しかし、付き合いの長い恋からしてみれば、悪魔の笑みのようなものだ。 「これって」 押し付けられたのは、スーツなどを収納するためのカバーだった。 「正装です」 簡潔に、美女が答えた。最高の笑顔だった。 恋は大袈裟に脱力する。 「前回ぼろぼろにしたので、代わりのものを、という課長からのお心遣いですから」 「要らんところにだけ気が回る婆だ」 「今の発言、しっかりと報告させていただきますがよろしいですか?」 「撤回する」 「手遅れです。記録してしまいました」 「そうだよな、お前ってそういう奴だよな」 いじけたように呟き、恋はカバーの中から黒の上下を引きずりだした。 「フィメ、お前は駐車場で待ってろ。三十分後には行く」 枕元から美女に向かって車のキーを放って、指示を出す。 「了解しました。お待ちしています」 危なげなくキーを受け取って、フィメと呼ばれた女は踵を返した。
静かに扉が閉ざされる音を聞きながら、恋はベッドの上に並べた黒の上下を見下ろす。大仰に腕組みなどして。 デザインは普通のスーツとあまり変わらない。変わっているところといえばネクタイが真紅であることと、左胸に施された剣を交差させたような紋章と「IE」という文字をあしらった刺繍だろう。 INPERIAL ERGENT.王室直属エージェントの正装の証だった。
*
「七五三を見ているようだ」 「シチゴサンてなんですか」 先程モニターで見ていた机が、今は目の前に据わっている。 言われたとおりに一時間以内にこの部屋までたどり着き、要求どおりに押し付けられた正装で現れた恋を、愛らしい少女は上から下まで眺め回したあと、小さな溜息で出迎えた。 「愚か者。七五三も知らんのか」 「昔の国の古い慣習なんでしょ。よく知りませんけど、馬鹿にされてるらしいことは分かります」 確か、子どもの行事だったような気がする。正装が似合っていないとでも言いたいのだろう。 着ろと言ったのはそっちだろ、と言いたい。 「ってか、嫌ですよ護衛なんて。護衛だけなら俺じゃなくてももっと適任の奴らがいるでしょ」 無理とは分かっている。分かっているが、とりあえず主張はしておくべきだ。 口答えするな、といつものように怒鳴られることを覚悟の上での不平不満だ。 「ただの護衛だけならな。お前よりも適任はいるさ」 面倒くさい、と顔に書いた亜津子が視線を床に落とすようにして溜息をひとつ。 「……ただの護衛じゃ済まない、ってことね」
「アナスタシア・エレミア。正式な年齢は発表されていませんが、おおよそのところは十代後半かと思われます。髪と瞳は白銀。ヨシアでは銀は神聖な色なので、彼女の人気にはこの髪と瞳の色がまず挙げられると思います。聖女になる以前の経歴は一切不明。数々の奇跡を起こす、といわれていますが具体的には判明していません」 室内にある巨大なプロジェクタ。その傍に立ったフィメが現れた画像を見上げて説明を始めた。 スクリーンには、小柄な少女の姿が映し出されている。肌は白く、髪も瞳も銀という、まぶしすぎる少女だった。 「聖女アナスタシアには、暗殺予告が出されている」 「"マティア"で、か?」 視線だけを上司に流して、恋は問うた。 亜津子は恋の視線を受け止めて、しばらくの間を置いた後、うなずいた。 「そうだ。だから、この護衛任務はおまえとフィメに頼むのだ」 恋は嘆息して、そして、あきらめた。
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【続く】
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