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2004年07月27日(火) ちまちま4

            *


 仲良く手を繋いだ体勢でふたりは、言葉を失って立ち尽くしていた。
 倉庫の奥。所狭しと積み重ねられたコンテナ―――おそらく中身は鴉猫の牙だろう―――その隙間にひっそりと置かれた檻の前で、シロウとアンリは石像と化している。
 愕然と、呆然と。
 檻の中の黒い物体が、来訪者に気がついて首を持ち上げ、金の瞳で一瞥してから、また面倒くさそうに目を閉じた。
「で、か……」
「かわいいー!」
 でかい、とつぶやきかけたシロウの声は、黄色い悲鳴でかき消された。
 繋いでいたはずの手がいつのまにか解かれ、アンリの小さな体は、倉庫の隅に寄せられた檻の前に駆け寄っている。
「あ、アンリ、あんまり近づくと!」
 言葉に効力はなかった。
 アンリは気がつけば、その檻の前にかがみこみ、緑色の瞳で中をじっと見つめている。
 視線に気がついたのか、檻の中の『鴉猫』が、また億劫そうに金の瞳を開ける。
 じっと、両者の視線が絡まった。
 のっそりと、黒くしなやかな体が起き上がる。
 猫、というよりかは豹という生き物に近い。両足を伸ばして立ち上がると、屈んだアンリよりも目線が高い。
 ばさっと音を立てて、背の翼が広がった。鴉、というネーミングは言いえて妙だ、とシロウは思った。濡れたような漆黒の翼は、思わず目を奪われるほど美しく艶やかだった。
 凛と立ち、金の瞳でこちらを見据える姿は、気高いと思うほど。
 威圧される。
 翼を広げるという行為は、自分の体を大きく見せる、という点で威嚇行動ではないのだろうか。そんな話を誰かから―――アルバートだったろうか―――聞いた覚えがある。
 圧力のある金の視線を、アンリは静かに見つめ返していた。
 そ、っと。小さな手を檻の中に差し入れる。
「アンリ……!」
「だいじょうぶ」
 駆け寄ろうとしたシロウの足を、穏やかなアンリの声が制した。
「だいじょうぶだよ」
 アンリは、じっと鴉猫を見ていた。穏やかな微笑をたたえている。
 ぴん、と針金を張ったように伸びていた漆黒の翼が、徐々に張りを失い、しなやかな黒い背におさまった。
 腰を落として座ると、檻の中に差し入れられたアンリの小さな手に顔を寄せて、大きな舌でべろりと舐めた。
「ふふ、くすぐったい」
 猫科の生き物特有のざらついた舌で手を舐められて、アンリが小さく笑った。
 へぇ。
 一部始終を見届けたシロウはすっかり感心する。
 野生の獣のようだから、危険だとばかり思っていたが。
 行動を見ていると本当にただの猫のようだ。
「案外、大人しいものなんだな」
 アンリの傍らに膝をついて身を屈めると、少女と同じように檻の中に手を差し込んで。
 一瞬。

 がぶり。

「―――い、ってえぇ!」
 噛み付かれた。
 檻に差し込んだ腕を慌てて引く。鮮やかにくっきりと歯形が。じんわりと血が滲んでいる部分もある。
 それでも、手加減はされているのだろう。本気で噛み付かれていたならば、この程度では済まないに違いない。
 ……それにしても。
「やだ、くすぐったいよォ」
 目の前では少女と一匹の鴉猫がじゃれあっているというのに。
 なんで自分だけ噛まれなければならないのか。理不尽だ。
 ここ数年―――社長に拾われてからというもの―――こういう扱いをされる機会が爆発的に増えたような、気がする。
「俺は戻る」
 くるりとシロウは踵を返した。
 一瞬、やだシロー、アンリも戻る、という反応を、心の隅で少しは、いやかなり期待していたかもしれない。が。
「うん。アンリ、もう少しロゼと遊んでるね!」
「……ロゼ?」
 聞き覚えのない名に、シロウは肩越しに振り返る。
「名前! 今つけた!」
 鴉猫の首に腕を絡ませて、笑顔でアンリが答えた。
「あ、そう」
 気のない返事をして、シロウはよろよろと、積み上げられたコンテナのあいだをすり抜けて、元来た道を戻り始めた。背後ではきゃっきゃという少女の喜ぶ声が聞こえてくる。
 そろそろ、プロメテアに到着する時刻だろう。


            *


「退屈だわァ」
 窓の外に広がる無音の海を眺めて、彼女はひとつ、溜息を落とした。
 爪に塗りこまれた乾きかけのネイルは真紅。照明に照らすように手を傾けて、色合いを確かめた。
「ねえ、本当に今度の私の誕生日には、鴉猫を下さるの?」
 爪の先に細く息を吐きかけながら、彼女は甘く強請るような声を出す。
「頭のいい生き物なんですってね。しなやかで、美しくて、セクシーで、頭がいいなんて最高だわ」
 美しく塗りこめられた真紅に目を細めて、彼女は笑う。
 惜しげなく晒した肩に、淡い茶の髪が零れ落ちていた。
 ゆるやかに孤を描く長い髪をかきあげて、濡れたような唇で女は。部屋の奥に据えられたデスクに、声をかけた。
「誕生日は明日なのよ、トニー」
「分かっているよレナ。おそらく今日中には届くはずだ」
「ふふ」
 流れるように立ち上がり、女はデスクに歩み寄る。
 巨大な椅子に沈んでモニターに向かっている男の首に、後ろ側から細い腕を絡めた。
「うれしいわ、トニー」
 グロスに濡れた唇を、男のこめかみあたりに押し付ける。
 ちゅ、と小さく濡れた音が響いた。
「暑苦しいな」
 口ではそういいながら、男の声は満更はない様子だ。後ろ側から絡められた細い腕に、抗う様子はない。
「愛しているわトニー」
 男の頬に自らの頬を寄せて、レナは囁いた。
 ネイルにも劣らぬ、真紅に塗られた唇を緩めて微笑した。


如月冴子 |MAIL

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