mortals note
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4.
「ほえー」 「すげー」 窓際に立ち尽くして、アンリとシロウは思わず口に出して感嘆した。 楕円にせり出した窓の向こう側を、巨大な影が埋め尽くしていた。 普段なら、漆黒の空が見えているそこは、巨大な客船の壁面が埋め尽くしていた。 遥か昔、まだ人類が宇宙探査をはじめるより以前、海に浮かべられていた豪華客船というものを模しているらしい。 黒と白のコントラストが美しく、甲板があり、手すりなどは電飾でけばけばしいほどに飾り立てられている。色鮮やかな旗が、風もない宇宙にひらひらとたなびいていた。 「どうやって飛んでるんだ、あれ」 子どものように窓にへばりついて、シロウは取引先である豪華客船「オリンピア」を見上げる。 「本来の姿は、普通の宇宙船だ」 窓にへばりつく大小の後ろから、抑揚のない声が告げた。 「それなりに形は船舶に似せてはあるが、電飾や旗の飾りつけと外観の色合いはホログラム。少し前に開発されたリアルモーション機能が使われているんだ。あれほどまで巨大なものにホログラムを投影するのは、並大抵の技術じゃない」 「じゃあ、あれは”幻”ってことなのか?」 ひらひらとたなびく旗を横目に見ながら、シロウは体を声の方へ向ける。 「有り体に言えば、そういうことになる」 「わぁ、アルバ君かっこいい!」 両手をたたき合わせて、アンリが抑揚のない声の主を褒め称えた。 「窮屈だ」 襟元に人差し指を差し込んで、アルバートはげんなりとつぶやく。 野暮ったい印象の頭脳担当は今や、黒のタキシードに身を包んでいた。ばさりと顔を覆い隠す長い前髪は後ろ側に綺麗に流され、隠されていた面があらわになっている。 普段は覆われているその素顔を目の当たりにするたびに、シロウは思わず息を飲んでしまう。 美しいのだ。 肌は透けるように白く、涼しげな瞳は髪と同じ深い青。バランスがとれて整った顔立ちは、威圧的ですらある。 これで標準だ、と本人は言い張るのだから、アグレイア人の”美人”というものは一体どのようなレベルなのだろうかと思ってしまう。 本人は堅苦しい恰好を厭う傾向にあるため、普段はあのような厚ぼったい印象なのだが、”営業”に連れ出される場合は、”正装”を申し付けられるのだ。 仕事のためとあらば、普段からは想像も出来ない歯の浮くような台詞も簡単に言ってのけるあたり、彼は策士なのだろう。 短気で直情型、駆け引きとは正反対の場所に立っているシロウには、逆立ちしても真似の出来ない芸当だ。 「ご覧の通り、アルバートは連れていく」 ぴんと張った声と共に、ブリッジの扉が横滑りに開いた。 圧倒的な迫力が、踏み込んできた。 「社長きれい!」 瞳に星をちりばめて、アンリはほぅっと溜息を落とした。 露骨なほどに肩と鎖骨のあたりを露出した黒のドレス。 女性としてはかなり長身の部類に入る体でそれを装着されると、計り知れない圧迫感がある。 いつもは無造作に纏め上げている真紅の髪は丁寧に巻かれ、肩から背に零れ落ち、眼帯は勿論外されて、前髪がうまく右目を覆い隠すように流されていた。 「豪華客船とは名ばかりのカジノに乗り込むんなら、このぐらいはしないとね」 両手を腰に当てた体勢で、社長は面倒くさそうに首を回す。 シロウはぼんやりと、ああこの人も女の人なんだなぁ、などと罰当たりなことを思っていた。 「船はアンリに頼むよ。シロウと一緒にお留守番してておくれ」 「はーい! シロとおるすばん!」 「え! なんですか、人をお荷物みたいに! ってか、カジノなんですか? ここ」 「頼んだよ、アンリ」 シロウの反応など耳に入っていない様子で、社長はアンリの水色の髪をくしゃくしゃと掻き乱した。 撫でられたアンリは上機嫌でこっくりと肯く。 「あの金にがめついバカが、少ない資本金を持ってカジノに突っ込んでこないように、見張っといておくれ」 アンリと視線を合わせるようにかがみこみ、少女の細い両肩をしっかりと掴んで、至極真剣な顔で社長が言った。 深刻な面持ちで、アンリも肯く。 「せきにんじゅうだい、ですね!」 「その通り。重要な任務だ」 「了解です、隊長!」 何処から覚えたものか、アンリがぴしりと敬礼をする。 シロウはもう既に、反論をする気も失せた。 「と、いうことだから。留守は頼んだよ。まァ、取引自体、数時間も要らんだろうが、念のため船の外には出ないように」 すらりと立ち上がって、ようやく社長はシロウに向き直った。 「荒事にはならないんすね」 それならば、シロウの出番はない。 「毎回毎回、そう荒事に巻き込まれてたまるか」 少々大袈裟に、社長が肩をすくめた。それもそうだ。SNAKEHEADSは戦争屋でも海賊でもなく、ただの運送業者なのだ。非合法ではあるが。 「社長、そろそろ時間が」 美形の能面が促した。 「分かったよ、信用商売だからね。じゃあ、あとは頼んだよ」 ドレスの裾を優雅に翻して、社長は踵を返した。 四人を乗せた船は、徐々に豪華客船の後方に回り込む。 ゆらり、と。きらきらしい船の姿が波紋を広げたように揺らめいて、客船の姿が薄れた。 無骨なつくりの宇宙船が、その幻の向こう側に透けて見える。 鯨が口を開けるように、船の底辺が下に開く。 ゆっくりと自分たちの船がその隙間に飲み込まれていく。まるで取って喰われるようだと、シロウは獏と思った。
*
《大佐、大佐》 ラウドは唐突にまどろみから引きずり戻された。 自らに宛がわれたブリッジの席に沈み、船をこいでいるところだった。 目の前にはぼんやりとした膜状のモニター。中央にはGFRAのマーク。 聞こえてくる女の声は耳に馴染んだ優秀なAIのもの。 「……なんだ、どうした?」 目を擦りながら、ラウドは掠れた声で問う。 《中央本部から通信ですわん。繋ぎましょうか?》 「ぶちっと切ったら俺の首が飛ぶ。繋いでくれ」 《うふふ、分かりました》 モニターの中央からGFRAのマークが消え、人間の上半身が浮かび上がった。 白っぽい金髪が肩の上あたりまでかかっている。黒の軍服とのコントラストが見事だ。 あまり瞬きのない瞳は冷えた青。じっと、ラウドを見据えていた。 整った顔立ちは中性的で、一見、性別が分からない。 《私だ》 低くもなく、高くもない声が言った。 画面の右端では、LIVEという文字がくるくる回っている。 「お疲れ様です、イアン少将。何か御用でしょうか?」 珍しく背筋を伸ばしたラウドが、敬礼で応える。画面の内側の人物も、ゆるやかに右腕を上げて、敬礼を返した。 《貴官は今、フォルモ星系周辺にいると聞いたが》 「ええ。いつもの運送業者を追いかけているうちにこんなところにまで」 冗談めかして言うものの、画面の向こう側からは反応ひとつ返ってこない。 (相変わらず鉄面皮だこと) 胸中で、ラウドはひとりごちる。緩みかける口元を、なんとか気力で引き締めた。 (鉄面皮も何も、つくりものだから仕方ないっちゃ、仕方ないんだけどな) ラウドの上官に当たるイアン少将は、脳の一部を除いて全身が機械化されている。 中性的な容姿や性格も手伝って、年齢ばかりか性別も不詳だ。 冷静沈着といえば聞こえはいいが、影では感情がないだの鉄面皮だの、酷い言われようである。 少将を張るだけあって、軍人としては非常に有能であり、ラウドも別に嫌いではなかった。ただ、あまりにも感情の起伏が欠しいため、何を考えているのか測りかねることはしょっちゅうだが。 「このあたりで何か?」 《神泉(センチュアン)グループを知っているな》 「大財閥ですね」 《その末息子が経営しているカジノがそのあたりにあるはずだが》 「ええと、ああ。旧き良き豪華客船を模したデカイ移動カジノですか」 右手の人差し指で、ラウドはこめかみのあたりを掻いた。そういえば、噂はよく聞く。いい噂とは言わないが。 「今まで黒い噂が聞こえてきても黙認だったのが、今になってどうしたんです」 《『銀色のガーベラ』》 ラウドは瞠目した。ここで聞くとは思わなかった名だ。 《五年前から姿を消している幹部のひとりが、トニー・C・神泉が経営するそのカジノに潜伏しているらしいことが分かった》 「それは、また―――」 それ以上、ラウドは言葉を継げなかった。 《彼らは軍内部の重要機密を知っている。野放しにしておくわけにはいかん》 イアンは黙った。何かを待っているような沈黙が流れる。 居心地の悪さに、ラウドは嘆息した。無言の圧力というやつだ。 「分かりました。巨大移動カジノオリンピアに調査に向かいます」 《助かるよ》 本当にそう思っているのか、まったく判別のつかぬ味気ない声で、イアンが言い添えた。 それでは、とそっけない挨拶とともに、通信は切れた。 背筋を伸ばしていた力を抜いて、ラウドは座り心地のいいシートに沈む。 「アリシア、聞いたな」 背後にある人の気配に、ラウドは声をかける。 「はい」 控えめな返事と共に、靴音が近づいてきた。 「オリンピアですね」 傍らに、小柄な副官が現れる。 「ああ。今更『銀色のガーベラ』だとよ。勘弁してほしいな。―――キャメロン、データ出してくれ」 《ハァイ》 鼻にかかったような色艶のある返事と共に、モニターに人の顔がいくつか浮かび上がった。SNAKEHEADSの人間を映し出したときのように、写真の傍には略歴が記されている。 「オヴレバー元帥直属の親衛隊のようなものが、銀色のガーベラと俗に呼ばれる一団だ。元帥閣下が暗殺されたあと、示し合わせたように軍から姿を消した。これが一覧」 「いずれも佐官以上の腕利きだったそうですね。今では全宇宙に指名手配中。名目は脱走、となっていますが―――」 「それだけで凶悪犯と同じ扱いはおかしいだろう。奴らは何か知ってるんだ。だから上層部が血眼になって探してる。イライザ・マーヴァルと同じようにな」 アリシアは、眼鏡の奥の瞳を細めて、モニターに映し出された人々の顔を眺めた。 《オリンピアの位置捕捉しましたわん。向かいます?》 「ああ、頼む。―――気は進まないがな」 深い溜息をひとつ落として、ラウドは首の後ろあたりで両手を組んだ。
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控えめに、ジャズが鳴っている。 すっぽりと巨大なドッグに収められたSNAKEHEADSから一歩降り立ったら、そこは別世界だった。 高い天井と、眩しい照明。白銀の床。五十メートルほど行った先に、エレベータフロアが設置されていた。あそこから艦内に入るのだろう。 これでここが荷物搬入専用のドッグだというから、驚いてしまう。客は大半が地上に停泊しているときに乗ってくるようだが、自らの船を乗りつける輩もおそらくいるに違いない。来客用のドッグはまた別ということになる。一体どうなっているのだ、この”豪華客船”は。 「……持ってるやつは持ってるもんだね、金をさ」 感心、というよりかは呆れた体で、社長が零す。 「さすが神泉財閥の末息子ですね」 「お褒めの言葉として受け取らせていただきますよ」 甘さを含んだ男の声が、広いドッグに朗々と響いた。 遠くに小さく見えるドアが横滑りに開き、黒い人影が踏み込んできた。靴音が高く響く。 黒い短髪の男だった。傍らに、赤いドレス姿の美女を従えている。 フレームのない眼鏡を装着しているインテリ然に、アルバートは僅かに眉をひそめた。 今の時代、眼鏡は完全にアクセサリである。権力者や金持ちが好んでつけたがる装飾品だ。アルバートの好みではない。 「わざわざお出迎えですか。恐れ入ります」 慇懃な口調とは裏腹に、社長は片手を腰に当てた体勢である。上背がある分、やたらと圧迫感がある。 視線を感じて、アルバートは目だけでそちらを見る。男の後ろに控えた女が、肩に羽織った毛皮を巻きなおしているところだった。 隙なく化粧の施された瞳と口元で、僅かに笑った―――ように見えた。 「このような場所にまですみませんね」 穏やかに微笑して、黒服の男は社長に右手を差し出した。 「運び屋ですから。荷物があれば運びますよ」 社長が握手で応じた。まるで、そこに山があるからのぼるのだとでも言うような台詞だ。 「わたくしの鴉猫を連れてきてくださった方たちですの?」 あまやかな、強請るような声を出して、女の細い腕が、握手をしている最中の男の腕に絡まりついた。自然と、握手の手がほどける。 インテリ然とした男の右腕に両腕をしっかと絡めて、女が大きな瞳でふたりを見比べた。 長い栗色の髪は丁寧に巻かれ、舞台女優のようにくっきりとメイクを施された派手な顔立ちながら、どことなく行動が幼く見えてしまう。 「レナ、少し待ってくれないか」 苦笑しがちに、男が嗜める。しかし、自らの腕に絡んだ華奢な腕は解こうとはしない。 「いやだわ、これでもわたくし、随分待ったのよ」 少女のように、レナ―――という名前らしい―――が頬を膨らませた。 「会えてうれしいわ。本当にずっと待っていたのよ」 華やかに微笑して、レナが社長を見た。 「お待たせして申し訳ない」 首を傾げるようにして、社長が詫びた。 「いいえ、来てくれてうれしいわ」 「そろそろ話を譲ってくれないか、レナ。自己紹介もまだなんだよ。―――申し遅れました、私がこのオリンピアの支配人を務めているトニー・C・神泉です。今回は厄介な荷物を頼んですまなかったね」 「お荷物を背負い込むのが運び屋のさだめさ―――イライザだ」 「鴉猫はどこ?」 子どものように瞳を輝かせて、レナが身を乗り出した。 「まだ、ウチの船の中に」 右手の親指で、社長が後方に停泊している自分の船を指差した。 「荷物運搬用のドッグとはいえ、人目もあるでしょうし。何処に運んだらいいかも分からなかったんで、まだ倉庫に」 トニーは、細い顎に指先を当てて、小さく肯いた。芝居がかった様子だった。 「確かに、ここは倉庫も兼ねているから、しばらくは人の出入りもあるだろう。明け方にもなれば皆寝静まる。それまではこの船の中は自由に行き来してくれてかまわないよ」 するりとトニーに絡めた腕を解いて、レナが社長との間合いをつめた。物欲しそうな目で社長の後方に佇むSNAKEHEADSを見上げる。 「朝まで待たなければならないの? 少しでいいから見せ―――」 船に近づくレナの、進路を遮るように。一本の腕が伸びた。 細くしなやか、とはいえない。締まった女の腕だった。 「―――申し訳ありませんが、レディ」 低く通る声で、社長が告げる。 行く手を遮られて驚いているレナを、頭ひとつ高いところから見下ろした。 「どれほど素晴らしく偉い方でも、酒を酌み交せるほど仲良くならなきゃ船には乗せないと決めているので。賢くて美しい鴉猫は、もう少しお待ちいただきたい」 真紅の瞳を細めて、社長は微笑した。 一瞬何を言われたものか分からない顔をしたあと、レナはしょんぼりと肩を落とした。 「分かったわ、イライザ」 「我儘もいい加減にしなさい、レナ。そろそろ夕食の時間だろう。ホールに顔を出さないといけない。―――もしもご迷惑でなければ、おふたりもいかがですか」 顔に張り付いたような、作りこまれた微笑で、トニーが誘った。 アルバートは後ろから、かつての上官であり今の上司をうかがった。 「それじゃあ、お言葉に甘えて」 気が重い―――それでいて予想と寸分違わぬ上司の回答に、アルバートは小さく溜息を落とした。
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