草原の満ち潮、豊穣の荒野
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草原の満ち潮、豊穣の荒野 外伝 3 青いたまご

朝の気配漂う海岸。
灯台の住人ブルーは暗い室内で膝を抱え、真ん中に置いてある柱のような水槽に話しかけた。


「あの薬、人間に渡したよ。きっと喜んでくれると思う」

『そうか』

水槽がコポコポと答えた。


「仲良くやってけるといいんだけどな」


水槽には水だけがたっぷり入っていて泡が生き物のようにゆらゆら揺れた。


『その子を見てみたい。連れてきてくれないか』

ブルーは照れを隠すようにそっぽを向いて答えた。


「そのうち遊びに来るだろうよ。だって大喜びで持ってったもんな」


ガンガン。ガンガン。



誰かが灯台の扉を激しく叩く音がした。

「…いくらなんでもちょっと早い気がするけど来たみたいだ。」

ブルーはいそいそと頭にすっぽり毛布を被り、わざとらしい大声で怒鳴った。

「うるせえ!こっちは昼夜逆転してんだっ、遊びに来るんならちったあそこらへん考えてよお…」

「ブルー!君はいったい何飲ませたんだよ!」


少し開いた扉から突進するようにダニーが飛び込み
半ベソで両手に抱えていた箱を突き出した。


「は?なんだこれ?卵みたいだけど」


木箱に入っていたのはダチョウの卵にように大きく青い球体。

「卵じゃない!姉さんだ!朝起きたら姉さんがこんななっちゃってたんだよ!」

「お前、酔っぱらってる?」

ブルーはダニーの額をデコピンした。

「なんで人間が朝起きたら卵になってるんだ。頭おかしくなったんじゃねえか」

「違うって!これ見てよ!」

ダニーは空になった小瓶をぶんぶん振った。


「おお、飲んだか。で調子はどう?」

「…僕は飲んでない」

「は?」

「だから…僕は飲まなくて、姉さんが…」

「はあ?」

「ね、姉さんが 勝 手 に 飲 ん じ ゃ っ た ん だ!

朝起きたら空になってて姉さんのベッドにこれがいた!!」

「……」


ふたりは同時に青い卵を覗き込んだ。




「…あのさ、ダニー。オレはお前に飲めと言ったよな」

「僕は机の中に隠しといたんだ」

「見つけられるような場所に隠してんじゃねえよ。
仮にディアナが飲んじまったにしてもなんで寝小便用の薬で卵になるかボケ」

「それは僕が聞きたいよ!」

「ディアナのいたずらなんじゃねえの。割ってみようぜ。面白い色をしてるし
ほら、なんか光ってねえか」

「わーっ!姉さんを殺す気か」

ダニーは箱の蓋を閉めると抱え込んだ。


「しようがねえなあ。念のために親父に聞いてみるよ。バカバカしいけどな」

「え?両親はいないんじゃなかったの?」

「あ、まあ。事情があってそういうことにしてる…」

「嘘つきだ!」

「なんだと?」

ブルーは仏頂面でダニーを水槽のある部屋まで連れて行った。

「いくらなんでも嘘つき呼ばわりされる覚えはねえ。
誰だって簡単に言えねえ事情くらいあんだよ。
こうなりゃ親父に会わせてやるから騒ぐんじゃねえぞ」



薄暗い部屋の真ん中に柱のような水槽はあった。
デニーは卵の箱を抱いておそるおそる水槽を覗いた。


「親父、薬をやった奴、連れて来たぜ」


ゴボボ。
水槽から勢い良く泡が噴き上がった。

「お父さんどこ?」

「水槽の中をよく見てろ」



水槽の泡がだんだん手や足、目玉と、人の体のパーツのようなものを作りだしては
それが集まって形になっていく。


「ブルー、ちょ…」

ダニーはスプラッタな光景に震え上がった。

「親父、ちょっと聞きたいんだけどさ、あの薬を飲んで卵になるなんてそんなバカな話ねえよな」


ゴボボボボボ。
スプラッタな泡はブルーに良く似た大人の姿をかたどり終えると、首をクキクキやって微笑んだ。

『それは順調だ』

「は?」

「おっ、お化け!バラバラ死体のおば…」

「騒ぐなつっただろ!」

水槽の中にゆらゆらゆれる青い男はダニーから見れば水死体にしか見えなかった。
しかもそれはバラバラに現れて合体し、人の姿になったのだ。
ダニーは半ベソで凍り付いていた。


「順調ってどういう事だよ」

『海で暮らす体を得る為、体を作り直しているのだ。もうじき出て来るだろう』


「はあ?何言ってんだかわかんねえ。あれ、ただの万能薬だろ?」

『何を言うか。あれは父さんが母さんにかつてプロポーズした時の秘薬だ』


ダニーが口をぱくぱくさせているが言葉は出ない。



「親父、話が見えねえ!どういう事なんだかちゃんと説明しろよ!」

水槽の男は箱を持って来るよう水槽から身を乗り出すと手招きした。

『貸してごらん。水の中の方が負荷が少ない。彼女が無事に出てこれるよう私が見ていてあげよう。
母さんのときもこうやって…』

木箱の卵にヒビが入り始め、ダニーはあわてて卵を水槽の男に手渡した。

「お、おじさん。これ僕の姉さんなんです!薬を飲んじゃって。お願いです。助けて」

『任せておきなさい。心配いらない』


男は優しく水の中に卵を浮かせると殻を撫でた。

『とても極上の青だ。これなら何も問題はない』

「お、親父…」

「ああ…」


ブルーとダニーは青い卵の亀裂から白い光が溢れ出すのを見た。


『さあ、出ておいで。お嬢さん』


「ま、眩しい…」


ふたりの子供は水槽に頬をぴったりつけディアナが水中に魚のように躍り出すのを見た。


「うわあ…」





『ブルー。お前の花嫁はなんと可愛らしいのだ。父さんは安心した』

「ちっちがちがちが…」

「ねっねねねね、姉さんが姉さんが花嫁ってなななな…」


ふたりの子供は水槽に佇むディアナを見つめた。
限りなく青い色に染まった髪から
きらきらビーズのようにきらめく鱗で覆われた彼女の下半身と尾まで。




「に、人魚に…人魚になっちまった…」








「親父、好きな人間に渡していいって言ったじゃねえか」

『ああ。好きになった人間で何か問題でも?』

「薬飲ませた人間に喜ばれたって言ったろ?」

『ああ、その通り。母さんはとても喜んで父さんと暮らした』

ダニーは顔を真っ赤にしてブンブン横に振った。

「バッバカタレ!!寝小便仲間にシンパシー持って気の毒に思ってだな…」

「うわー!やっぱ嘘つき!君は僕らを仲間にしようと…」

「頼むから全員人の話を聞けー!」

『お前達の結婚式はいつにする?
父さんがんばって水槽から出て出席するぞ。
そのまま命尽きても本望だ』

「出るなっクソ親父!そもそもあんたが紛らわしい言い方を…」

「このひと誰?なんであたしこんな格好…ええええええええええええ!?」




ブルーはいたたまれず脱兎のように逃げると自分の部屋に鍵をかけた。

「か、母さん、たすけて…オレもうやだ」



海辺は夜明け。
灯台の騒ぎを聞くのは海鳥ばかり。