草原の満ち潮、豊穣の荒野
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草原の満ち潮、豊穣の荒野 外伝 2 イカした海の男

海に囲まれた小さな島の夜。
月明かりは穏やかに眠る町を照らしている。

ひたひたひた。

出歩く人もいない静かな深夜の町をひとりの子供がはだしで歩いている。
彼はくんくん匂いをかぐと一軒の家の前で立ち止まった。

「よいせっとォ」

子供はするする庭の木をよじのぼって窓へ飛び移った。

バリン!


「…ん?」

眠っていたダニーが目をこすりながら起き上がった。
窓が開いてカーテンが風に揺れている。

「やだなあ。嵐でもないのに…」

「よお、オネショは治ったかい?」

「ギャア!」

ダニーは思わず叫び声をあげた。
顔からだらだらと血を流した子供がベッドの傍に立っていた。

「お、お化け!」

「違うっ!」

「え?その声は…」

「そ。オレ様」

青い髪と青い肌の魔物の少年は頭からガラスに突っ込んでだらだら赤い血を流しながら笑った。

「うーん、なに?何騒いでんのよ…」

隣のベッドで寝ていたディアナが起きあがったが、血まみれ妖怪を見て気を失った。

「お前まさか外から突っ込んできたの?血だらけだよ!
タオル、タオル…」


ダニーはタオルをひっぱり出しかけて固まった。
目の前の魔物の血があっというまにパリパリ乾いてはがれ落ちて行く。
血ももう流れていなかった。



「驚いたか。オレ様は不死身なんだぜ」

「…太陽であんだけ泣いてたくせに」

「誰だって苦手なもんくらいあんだろ」

「何しにきたんだよ。こないだの仕返しか?」

「いんや。お前のオネショ、治ったかなーと思って来てやった」

「そんなデタラメ誰が!!」

「こないだ、オレんちの前ででかい声で話してたじゃねえか」

「!!」

ブルーは失神したまま眠っているディアナを覗き込み

「オレ、ブルー。ディアナのパン…おっと言わねえ約束だ。
こいつ黙って寝てると可愛いじゃん」

「帰れ!余計なお世話だよ!また縛ってこんどこそ日干しにしてやろうか」

「あっ、そう。せっかく寝小便治す方法教えてやろうと思ったのに帰ろ」

「え…?」

「また縛られたくねえし。じゃあな」

「ちょ、ちょ、ちょ!!」

ブルーは窓からあっさり月夜の外へ飛び出して行った。
ダニーもパジャマのまま階段を駆け下り外へ出た。

「へへ、やっぱ来たな」

「な、なんだよ。教えてくれるんならさっさと教えろよ」

すたすた夜道を歩き出したブルーを追いながらダニーは唇を噛んだ。

「ムカつくよなあ、ダニー」

「え?」

「人はデリカシーがなきゃダメだとオレは思うんだ。
チビるくらいこわいものがあったって笑っていいことはない」

「はあ?」

ブルーはひたひた崖の方へ歩いて行きながら話し続ける。

「例えば、指差してくすくす笑う女の子達」

「…」

「悪ガキ共は大声で囃し立て、大人達はケツをひっぱたいて怒る。
誰もそれがどんな気持ちになるか考えねえ」

ダニーは首をかしげてブルーの顔を覗き込んだ。

「おかげでますますひどくなる!!」

ブルーは立ち止まるとそう叫んだ。

「び、びっくりしたあ。
あ、あの、ちょっと聞きたいんだけどブルー、君もしかして…」


ふたりはハイタッチをし、笑いながら崖の下の真っ暗な浜辺まで走りだした。


「オレさ、ほんとはこの町の人間と関わらずにきてたんだ。
ずっとここに住んでたけどいろいろ面倒くせえと思ってさ。
でもこないだ、お前が寝小便でからかわれてるって聞いて…」

「ごめん。ずいぶんひどい事したよね。気にかけてくれたってのに」

「気にすんな。いいもんも見れたし」

「いいもの?」

「パ…なんでもない」


「ブルーはひとりで暮らしてるの?父さんや母さんとか家族は?」

「…チビるから追い出された」

「は?」

「だからお前と同じなんだってば。オレの場合こわいとチビるんだ」

「追い出したってそんな」

「オレら海とその近辺で暮らしてんだ。男は狩りに行ってサメとか獲物捕まえて暮らしてる。
すげえデカいのな。そんでオレ、そいつら見るとビビっちまうわけ。
自分でも情けねえけどこええんだもんな」

「ええ?そんな理由で追い出すなんてひどいよ」

「いや、それがさ。オシッコとか血とか狩りじゃ禁物なんだ。サメとか水妖共が群れで寄って来て大惨事。
親父もおふくろも喰われちまった」

「…ごめん…悪い事聞いた?」

「気にすんな。ま、てなわけであの灯台で暮らしてるのよ」

「気の毒に。もうどのくらいいるの?」

「うーん、かれこれ100年くらい」

「うえええ!?」

「そんな驚くこっちゃない。言ったろ。オレらは不死身だって。
勿論サメに喰われたり太陽に干されりゃ死んじまうけどさ」

「ずっとひとりぼっちって寂しくなかった?」

「全然」



ブルーは波打ち際に立って暗い海に石を投げた。


「チビるのはとっくに治せたけどひとりの方が気楽だ」

「治ったってどうやったの?」

「教えてほしいか?」

「もちろん!」

「じゃ、こいつを飲んでみな。オレが研究して作った薬だ。きっとお前にも効くよ」

ブルーは外套のポケットから小瓶を出して渡した。

「き…君が作ったって材料はいったい何なの」

ダニーは小瓶を怪しそうにつまんだ。


「海馬の金玉にナマコの腸、それから海蛇のウンコ」




「……」




「嘘に決まってんだろ。安心しろ作ったのは親父。
親父は薬屋で腕が良かったんだぜ」

「ごめん。ブルーの父さんの思い出のものだったとは…喜んでもらうよ」

きらきら不思議な光を放つ小瓶はハンカチで丁寧にくるまれポケットに仕舞い込まれた。



「あ、ひとつだけ言っとくが、人間が飲むと副作用もある。
死ぬとかそんな酷い事はねえけど、昔親父が人に飲ませた時ちょっとあったからさ」

「そんな!気になるよ!」

「気にすんな。寿命が延びたり若返るとかイイ事ばっかだ。
飲んだ人間達は皆喜んでたぞ」

「…ホントにオネショの薬なの?」

「オネショも含む万能薬だ。いらねえなら返せ。ひとつしか残ってないんだからな」

「ありがとう。もらうもらう!でもそんな大事な薬なのにいいの?」

「いいか、覚えとけ。
海の者はな、気が優しくてカッコイイ種族なんだぜ。
困ってたり悲しんでる奴を見たらほっとけねえのさ。オレも辛かったからお前の気持ちよくわかってるぜ」

「嬉しいな。じゃあ、せめてなんかお礼でも…」

「いらねえ。海の者は『無償の愛』に突き動かされるのみ」

「ブルー、なんか君凄くカッコイイ気がしてきたよ」

「何を今更。さあ、帰って飲みな。もう夜明け近いから明日の夜、寝る前に飲むといい。
幸運を祈る」


ダニーは嬉しそうに手を振って崖下の道を戻って行った。
ブルーはそれを見送ると気持ち良さそうに口笛を吹き、灯台へ帰っていった。






ダニーは大喜びで家へ駆け戻った。
ディアナはまだ眠っている。
彼は小瓶をそっと机の引き出しの奥へ仕舞い込んだ。
きらきらと光るきれいな石で出来た小瓶をディアナが見たらきっと欲しがるだろうし
なんの薬だか決して知られてはならない。
恥ずかしくてオネショの薬にもらったなんて言えるわけがないから。

「ブルーは素晴らしい友達だ。男同士の友情って奴を僕は今夜知ったのだ」

ダニーは安心してぐっすり眠った。
もうきっと寝小便小僧なんて誰もからかったりできない。
最高だ。

「むにゃむにゃ…」











「…全くどこに行ってたんだか。あいつが来て抜け出したのわかってんだから」



ダニーの寝息を確認したディアナがそっと起きだした。
血まみれブルーに驚いて気を失ったものの目を覚ましたら弟がいない。
窓ガラスは割れているし明日の朝両親にどう言えばいいんだろう。
そんな事を心配しているところに、帰って来た弟が何かこそこそ隠している。



「これは姉としてチェックする必要があるわよね」

ディアナはそっとダニーが仕舞い込んだ机の引き出しを開けた。

「わあ、きれい…」

窓越しの月光に照らされた小瓶はこの世のものとは思えない光を放っていた。

「すっごいいい香り。美味しそうな果物みたいな…」

ディアナは指でほんの少しなめてみた。

「おいしい!!…もうひと口だけ」


ディアナはあまりに美味しかったのでもう一口、と何度かの誘惑に負け
気が付いた頃には飲み干してしまった。

「まずいわ…」

ディアナはこっそり瓶に水を詰めて引き出しに戻した。
後ろめたい気持ちと同時にとても体が暖かく気持ちよかった。

「なんだかどうでもいいくらい気持ちいいし、眠い…」




ディアナはそれが自分の運命の激変を招くとは夢にも思っていなかった。

朝、ダニーが目覚めて彼女を見て叫び声をあげるまで、心地よい眠りに落ちて行った。



まだ町も眠っている。